第41話
気がつくと、カラオケステージの中央である。
三階の天井からスポットライトをあび、プランタンはぼうぜんと立ちつくす。
目の前の一階席には、四人掛けのテーブルがいくつか並び、椅子に座った男たちがステージに顔をむけ、王女を注視していた。吹き抜けになっている二階席、三階席も同様だ。ステージが見える位置にテーブルを寄せ、王女を見おろしている。スーツ姿の男たちが多いが、ブルゾンや革ジャンパー、ジャケットにジーンズという服装もちらほら見える。一階席の奥には、体格のいい用心棒らしき男たちがサブマシンガンを肩からだらしなく、ぶらさげていた。
男たちの目は、眼球の表面に油膜を張っているようで、どんよりしている一方、みな異様にぎらぎら光っている。薄暗い店内で、そんな目がいくつもいくつも、プランタンを見つめているのだ。
ステージ正面左側(王女の右側)には、スーツ姿の品のよい中年男性がテーブルに着席している。右手に木槌をもっていた。プランタンは事態に気づかないわけにいかない。
(……こ、ここはオークション会場だわ! 関係者はすでに全員集合し、競売がはじまっていたのね)
木槌を手にした紳士がアナウンスする。
「ロットナンバー・セブン。一七歳の現役高校生です。カラオケボックスで友人と遊んでいる最中に、店員のモンキーズメンバーが誘拐しました。健康状態はすこぶる良好。おそらく、どんな環境にも適応しますよ。砂漠でもジャングルでも」
(わたし、「出品」されたんだ!)
内心、パニックのプランタンである。
「一七歳だと?」
バイヤーがどよめく。
「それにしては……」
「ほんとに高校生……?」
何人かが疑問を口にする。
「それに、この『商品』、王女にどことなく似てないか?」
「そうそう。おれもそう思った」
会場がざわめく。プランタンは硬直したまま。しかし、頭のなかでは事態を打開する方法を必死で模索していた。
(追いつめられた緊張状態が、外見上、クスリで呆然とした状態に見えるのね)
一般に、競売に出される「商品」はクスリを打たれ、もうろうとした意識状態だという。王女は事前に、スメル警部から人身売買のようすをレクチャーされていた。
(それでバイヤーたちはわたしを拉致被害者と取り違えているんだわ。どどどどうしましょう!? 大ピーンチ!)
「いや。王女はもっと美人だぞ!」
誰かがいう。
「そうだそうだ」
「プランタンさまは、こんな××じゃない!(検閲済み)」
王宮省から公式発表される画像は、つねに××されている(検閲済み)。自分の置かれた状況を忘れ、プランタンは不満げに頬をふくらます。
「×××サボール!(検閲済み)」
値付けの声がフライングでとぶ。ゲラゲラ笑い声があがる。
オークショニア(司会者)が木槌で卓上を叩く。
「では、王女似のこの女子高校生、××××サボールからスタートしましょう(検閲済み)」
「×××××サボール!(検閲済み)」
鋭く、声がとぶ。
「×××××サボール!(検閲済み)」
すかさず誰かが反応する。
「×××××!(検閲済み)」
「×××××!!(検閲済み)」
「××××××!(検閲済み)」
値付けの声が交錯する。
(どうしましょうどうしましょう。わたし、売り飛ばされてしまうの? えええ? 一国の王女なのに!?)
頼みの綱は外の駐車場でナンバープレートを撮影しているスメル警部と、アイドルの画像をくよくよと見つめつづけるオールシー。ふたりにSOSを送ろうにも、コミュニケーターはバッグごと取りあげられていた。プランタンは知らず知らず下唇を噛みしめる。
「現在、最高値は××××××サボールです。どうですか、他の方?」
「七番、何か芸はできないのか?」
「王女に似ている以外に『売り』はないの?」
オークショニアが命令する。
「ロットナンバー・セブン。お客さまのご質問です。特技を申し述べてください」
プランタンが身代わりになっている高校生は、カラオケボックスで誘拐されたという。それにいま、王女が立っている場所はカラオケバーのスタンドである。だから、こう返答したのにはそれなりの心理的な背景が推測された。
「う、歌えます」
男たちは低い声で疑わしげに、うーんとうなった。
「歌え」
「なにか歌ってみろ」
からかうように、注文がとぶ。
(人身売買の犯罪者たちの前で、わたし、いったいなにをしているの?)
激しく混乱しながら、卒倒しそうなプランタンである。崖っぷちで深淵を覗きこんでいる心境だ。
「ロットナンバー・セブン。お客さまのご要望です。何か歌って差しあげて。クスリの影響でもうろうとしていますから、スローバラードがいいでしょう」
オークショニアが指示を出す。
王女はもういちど、会場を見回した。薄暗い照明のもと、おおぜいの男たちが自分に注目している。そのことをもういちど自覚したとき、彼女のなかで何かのスイッチがカチリと入った。生まれたときから王族――王女として、つねに誰かの注目を浴びてきたのだ。ひと前でスピーチをするなど、膨大な回数をこなしている。ステージにあがったら、そこで何か話したり、楽器の演奏をしたり(プランタンはピアノとヴァイオリンが弾ける)、オペラの短いアリアを軽く歌ったりしてきたのだ。王国の数学研究者の前で、複雑な公理や定理についてとんちんかんな演説を述べたこともあれば、現代芸術家の会合で、奇怪でしりめつれつな詩を暗誦したこともある。
(そんなミッションにくらべれば、人身売買組織の買付人の前でカラオケを歌うことが、なんだっていうの。時間稼ぎのために、一発、ぶちかましてやるのよ!)
やってやる。とことんやってやる。こうなったらなんでもかんでもやってやる。プライドの高い王女は逆境に直面すると、むしろ「挑戦スイッチ」がオンになるのだ。
妙に肝の据わってきたプランタンは、オーディエンスの年齢を四〇歳から五〇歳代と読んだ。近寄ってきたスタッフの耳もとに曲目を伝える。革ジャンパーの男は、にやりと笑い、カラオケ装置にリモコンで入力した。
最初からあまり期待せず、ひやかし半分で待ちかまえているバイヤーたちは、ラウドスピーカーから前奏が流れ出すと、「は」と目を開いた。
「こ、これは」
「この曲は……」
「マツダセイコだ!」
「ロックンルージュだ!」
一九八〇年代、退屈王国でもマツダセイコは絶大な人気を誇ったアイドルであった。革ジャンのスタッフが黄金のマイクをプランタンに投げとばす。ステージ空中を横切る光の軌跡を右手でキャッチし、王女は歌いはじめた。
聴衆は驚愕し、どよめく。
「リズム感ばっちり。クスリが効いていないのか?」
「何度も歌いこんで、身体が勝手に反応しているんだろうよ。それにしても……まじか!」
「なんて歌声だ。すげー!」
子どものころから情操教育として音楽を強制的に学ばされていたプランタンである。音感はばっちりだ。また、クラシック音楽ばかりでなく、ジャズもポップスも好みに応じて広く聴いているので、歌唱がオペラ調に固定されていない。ジャズはジャズ、ポップスはポップス、ロックはロックとそれぞれの曲調に合わせて、歌唱方法を変えることができた。
だが、なんといっても聴衆を圧倒するのは、王女の歌声だ。
虫でも鳥でも動物でも、歌ったり鳴いたり吠えたりするのは基本的に、テリトリーを主張するためだ。人間も同様に、その歌声にはどこか押しつけがましいところがある。どんなにうまい歌手でも、いや、声量や歌唱力のある歌い手ならなおさら、聴き手に「自分」を押しつけてしまう。
ところが、プランタンの歌声には、押しつけがましいところが一切ないのだ。その声は、透明な光の軌線となって聴き手の胸にまっすぐ浸透する。耳で聴くのではない、こころに直接、とどくのだ。そして、じんわりとあたたかみが全身に広がっていく。天性の声質である。
歌い終わった。
軽くおじぎをする。
客席は、しんと静まり返ったままだ。
やがて、我に返ったひとりが盛大に拍手をはじめた。その音でみな、正気が戻り、歓声をあげる。拍手が広がる。
「セイコちゃーん!」
「ロットナンバー・セブーン!」
「セブン、セブン、セブン!」
プランタンはもういちど、宮廷風に膝を曲げ、挨拶する。これが大ウケ。王女のマネをしている、と受け取られたのだ。
「えー、それではオークションを再開し……」
「なにいってんだ。もう一曲、歌わせろ!」
「そうだそうだ。アンコール!」
「アンコール。アンコール」
バイヤーたちは立ちあがった。二階席も三階席も同様の騒ぎである。
思わぬ反響にとまどうどころか、王女はご満悦。
(おほほほ。やっぱりわたくし、アイドルの才能があるのだわ。王宮省は止めるでしょうが、仮面をかぶってこっそりCDデビューしようかしら。おほほほ)
こうして、人身売買のオークション会場は、王女プランタンの歌謡リサイタルカラオケショーとなったのだった。以下はこの日のセットリスト。
スウィート・メモリーズ(松田聖子)
Mythology~愛のアルバム~(Berryz工房)
Never ending story[EXTENDED MIX](SweetS)
Bye & Thanks(CANDY)
生まれたてのBaby Love(Juice=Juice)
Pink or Black(初音ミク)
ヒマワリと星屑(東京女子流)
自分の立場や状況を失念し、調子にのってプランタンは歌った。会場は総立ち。王女のアドリブダンスに合わせ、犯罪者たちは手足を動かし、声援をとばす。オークショニアもサイリウムの代わりに木槌を振る。
パフォーマンスの最中にプランタンは気づいた。
(あら? 一階席うしろにいるのは、オールシーじゃないかしら……)
スーツ姿の少年SSが曲に合わせて身体を揺らしている。王女の視線に気づき、片手を挙げた。薄暗い後部席を注意深く見回すと、スメル警部もいる。さらに、警察関係者と見られるひとかげが散見される。
(いつのまにか、建物に侵入し、強制捜査の準備は終わっていたのね……。わたくしとしたことが、そもそもの目的を完全に忘れていたわ。おほほ)
曲が終わり、スタッフがタオルをもってきてくれた。プランタンはそのタオルで額の汗を押さえる。
「セブーン!」
「セブンちゃーん!」
バイヤーたちの声援に笑顔で応じ、王女は宣言する。
「えー、次で最後の曲になります」
「えええええ?」
「みなさんもそろそろ、お仕事をはじめてください。そもそも、今日はなんのために集まったんですか?」
犯罪者たちは、「あ」という表情になり、本来の目的を思い出した。
「では、最後の曲はMisiaの『Into the light』です。みなさんも暗いところにばかりいず、たまには明るい場所に出てきてくださいね。うしろの方で、サブマシンガンもっている方。武器なんかフロアに置いて、クラップ・ユア・ハンズ!」
前奏が流れ、オーディエンスはみな、両手を挙げて打ち鳴らした。バイヤーたちは(どんな高額になっても必ずこの「商品」を落札せねば)と決心している。
「警察関係の方! ライトアップしてください」
ステージのプランタンのことばが合図だった。
待機していた刑事たちは、持参の強力ハンドライトを点灯する。建物のなかが、昼のように明るくなった。
「わ。なんだ?」
「やばい。警察だ!」
「くそ。手入れか!?」
用心棒たちはフロアの武器に手を伸ばしたが、刑事にすぐに取り押さえられる。スメル警部が携帯した拡声器のスイッチを押す。
「むだな抵抗はやめろ! 建物の出入口も警官で封鎖している。おまえたちは全員、袋のねずみだ」
スピーカーから流れる楽曲も中断した。ステージからプランタンもマイクで呼びかける。
「通路の途中の部屋に拉致被害者が監禁されているはずです。すみやかに解放し、病院に連れていってあげてください」
手首を背中に回され手錠をかけられたバイヤーたちはあらためて、王女に注目した。
「なんだ、あいつ」
「女刑事だったのか……?」
「あんな、歌のうまい刑事がいるとは……」
人身売買組織のバイヤーたち、主だった幹部たちはこの強制捜査で一網打尽となった。
ステージにオールシー・ブライムが寄ってくる。プランタンは黄金マイクのスイッチを切った。
「王女さま、救援が遅れましたこと、お詫び申しあげます」
「まったく。何をあんなにぐずぐずしていたの?」
にこにこしながら質問する。まだまだ歌いたりない王女である。
「正面玄関から突入しようとしたのですが、インターフォンを押しても返答がありませんでした。建物内から歓声や音楽が聞こえるので、なかにひとがいることは確実なのですが、どういうわけか反応がなく」
(う。それはわたしが犯罪者を盛りあげていたから)
「裏口のテンキーは暗証コードが設定されており、解読に手間がかかりました。
プランタンはちょっと考え、こう答えた。
「生まれながらのアイドル性のせいね」
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