第45話

 公聴会は一〇時からはじまった。

 議事を進行する議長と副議長がふたり、一段高い席から質問する告訴人と、喚問された参考人を見おろすかたちになるのが一般的だ。今回は参考人が王族なので、議長席をフロアに直接、設置しようかという案が出た。しかし、「形式通りでかまいませんことよ。おほほ」とプランタンが応じ、従来の位置で変更なしとなった。

 小委員会室は大学の階段教室のような構造だ。

 アリジゴクの巣を思わせる擂鉢状の雛壇席が周囲をぐるりと埋めつくす。そこには元老院議員、護民院議員、抽選に当たった一般傍聴人が真剣な表情の裏にわくわくする気分を押し隠し、着席していた。擂鉢の底のアリジゴクの席が告訴人席。その餌食の虫の席が参考人席。それぞれ対面して机が配列されている。警備の人員は雛壇席の途中、あるいは壁際で待機した。マスコミ関係者は雛壇の上の方で位置を指定されている。


 プランタンが議場に登場すると、カメラの砲列がいっせいに集中砲火をあびせるようだった。マイクをもったインタビュアーが「あ、いま王女さまが入場なさいました」とリポートする。直接質問を受ける記者会見は別の時間に用意されているので、プランタンはオールシー・ブライムをはじめ数人の警護に囲まれ、階段をおり、すたすたと参考人席にむかう。

 ところが途中でまたも、ひとりの老人が進路をはばみ、王女を待ち受けていた。

「あら。あの方は……」

 プランタンは立ち止まる。小声で何かいうと、警護の輪が一部ゆるむ。スーツ姿の老人はよろよろと王女に近づき、その輪をすり抜け、階段にひざまずく。

「リュウ男爵ではございませんか。まあ、おなつかしい」

 小柄な身体をさらに縮めるようにして、白髪の老人はあいさつする。

「おぼえていただけたとは……光栄の極致でございます」

 ことばをつづけようとしたが、感動のあまり絶句している。

「男爵、お身体の具合が思わしくないとうかがっております。外出してだいじょうぶですか」

「……かたじけのうございます。このような年寄りにあたたかいおことばを……」

 老人は涙ぐむ。

「何をおっしゃっておいでです。みなさまのお力添えがあって、退屈王国は円滑に動いているのです。これからもお元気で活躍していただかなくては」

 ふだんは政治家を嫌っている王女だが、老議員たちには敬意を欠かさない。その態度は一貫しており、親身な発言、いたわりのことばには真情がこもっていた。そのためか、年長の議員には王女のファンがおおぜい、いるのである。

 リュウ男爵は王女の右手を両手でつつみ、額の上でおしいただく。プランタンは左手で男爵の手首に触れ、やさしいことばで長年の労苦をいたわった。老人は感きわまり、むせび泣く。テレビカメラはその一部始終をリアルタイムで放映した。

 TV1、TV3、TV5……国営放送も民放各局も特別報道番組でこの公聴会を電波に流している。ネットでも生配信である。各放送局のメインキャスター、花形アナウンサーが出演し、文化人、知識人、タレントなどをスタジオに呼び、コメントを求めながら、番組は進行した。各局とも最終的に、この特番で平均二五パーセントの視聴率を計上する。だがTV7だけは、世界的に有名な児童文学の再放送アニメ(トーベ・ヤンソン原作)をぶつけた。そして、視聴率一九パーセントと健闘するのだった。

 一〇時になり、小委員会室の扉が警備の手で閉じられる。議長が公聴会の開会を宣言した。プランタンは参考人の席に着き、王国憲法の初版本に手をのせ、証言に虚偽がないことを宣誓する。

 告訴人はラチエンスキーを含めて四人。みな、貴族で元老院議員である。たがいに小声で相談し、打ち合わせに余念がない。代表はラチエンスキーなので、彼が直接、プランタンに疑問を問いただすことになる。四人の告訴人席の背後には大型のディスプレイがあり、証拠の提示に利用される。

 元老院、護民院の九人の議員(九人委員会)が、控訴人と参考人のやり取りを聞いて、憲法裁判所に事案をもちこむかどうか判断する。

 銀髪の議長にうながされ、ラチエンスキー公爵は席から立ちあがった。

「われわれの疑惑は『週刊愚鈍』のスクープ記事に端を発します。ご存じのように、警察捜査に対するプランタンさまの介入を『退屈しのぎのお姫さまのお遊び』と断じた内容です。ユアハイネスはこの記事の内容を否定なさっておいでですね」

「事実無根ですわ」

 参考人席でプランタンは断言する。

「われわれも捜査への介入を『お姫さまの探偵ごっこ』ではないと考えています。これはもっと根深く、悪質な妨害行為であると」

 王女は眉をひそめる。

 オールシー・ブライムは警護班として、ほかのメンバーと一緒に部屋の壁の方で不審な動きを警戒していた。だがラチエンスキーの強い口調が耳に入り、あらためて不安が表情をくもらせる。

 公爵はこの日、ブラックの上下に濃い灰色のタイ、黒の革靴とダークなトーンで統一していた。スーツはラルフローレンである。

 一方、プランタンは濃紺のスカートスーツに純白のブラウス、アンティークの銀のネックレスという出で立ち。就職活動中の女子学生のようだった。

「なぜ、プロの捜査官にまかせず、いちいち現場に顔を出し、とんちんかんな指示を命じたり、捜査方針をかく乱したりするのですか」

 公聴会出席者全員が王女の応答に注目する。地上波テレビ、デジタル放送、ネット配信の番組……王国中の注目がこの瞬間に集中する。

「それは……この国で起こるどんなささいな出来事も、わたくしと無関係とは思えないからです。毎日、報道される悲惨な事件、同情をさそう事故、おろかしい過ち、ささやかな美談……こうしたニュースは絶えず、報道機関をとおしてわたしたちの目に触れています。誰もがその一部なのです。王族とはいえ、わたくしもそのなかに含まれています。世のなかの出来事に無関心ではいられません」

 ラチエンスキーはちょっと譲歩する。

「……なるほど。王女さまの社会に対する関心の深さはよくわかりました。ご立派なおこころがけでございます。感動的ですな。

 でしたらなおさら、重大な殺人事件の捜査活動に口出しなさらない方がよろしいのでは。ユアハイネスの不適切な指示が現場を混乱させ、犯人逮捕に深刻な遅延をもたらしていると報道されています」

 プランタンは瞳をきらりと光らせる。

「週刊誌の報道はわたくしも拝読いたしました。しかし、すべては事実無根でございます。記事を書いたライター氏に、わたくしの方こそ直接、質問したいくらいです。いったいどの警察関係者に取材したのか、何を根拠に『現場が混乱』とおっしゃっているのか。

 そのライター氏を証人として喚問してほしいですわ。

 また、捜査責任者である警視庁捜査一課警部のソーシュ・スメル氏が、わたくしの証言を支持してくださると存じます。今日は……こちらにお見えになっていらっしゃらないようですが……」

 小委員会室を見回し、意外そうにつぶやく。

「スメル警部はご多忙なようで、喚問を拒否なさったそうです。また、週刊誌ライターのセレク・タブル氏は現在、行方不明。ご家族が当局に捜索依頼を出しています」

(スメル警部が喚問を拒否? ばかな。ありえない。そもそも一般市民や役人に拒否権はないだろう?)

 やり取りを聞いて、オールシーは驚く。

(そもそも喚問していないんじゃないか……ラチエンスキー公爵、平気でうそをつく男か。なにしろプロの政治家だからな……)

 参考人席のプランタンもびっくりしたようだ。

「そうですか。このような茶番でむだな時間を過ごすより、捜査に邁進なさった方がスメル警部にとって有益ですね。

 わたくしの意見は変わりません。王国で起こった事件について、わたくしは無関心ではいられないのです。自分の推理能力や直観にもいささか自負がございます。むしろ、それを積極的に役立てないのは、国民に対する裏切りなのでは、と信じているのです」

 口調は誠実で真剣だった。

 このひと言はのちに、くり返し報道される。新聞の記事の見出しにも引用された。実に、こころのこもった真摯なスピーチだったのである。

(あの方はほんとに……恥ずかしくなるようなきれいごとを大まじめで口にする才能があるよなあ……。こころの底からあんなふうに考えているんだろうか。中途半端な決意だと、国民を二重に裏切ることになるけど、その覚悟はおありだろうか?)

 ふだんから、王女に接している警護の少年だけは、畏れ多くも以上の感想を抱いた。

「なるほど、たいへんご立派ですな」

 公爵は反撃をはじめる。

「では、時間をさかのぼって、七月七日、アルベルト・ラファロ博士殺害事件についてお尋ねします。

 事件当日、公式の報告では王女さまのスケジュールは不明、少なくともラファロ博士のご自宅にはいらしていないという発表でしたが、まちがいございませんか」

 笑みを含んで質問した。あの日、プランタンはこのラチエンスキーと会い、じかに会話しているのだ。そうとうの鉄面皮でなければ白を切ることがむずかしい。

「そ、その件でございますが……訂正しなくてはなりません。わたくし、あの日、ラファロ邸に出むいておりました」

 小委員会室がざわざわしはじめる。議長が木槌を叩き、「静粛」を呼びかけた。

「正直に申しあげます。殺人現場に王族が同席していた事実を王宮省の職員が醜聞とみなし、事態を収拾しようと拙速にも『現場に王女はいない』とコメントを出したのだと存じます。担当職員には決して悪気はなかったのでしょう。お許しを願います」

 プランタンはやや苦しそうに、職員の判断ミスを詫び、ラファロ博士殺害の現場に自分がいたことを認めた。

「わたくしもあの日、現場にいましたからね。ユアハイネスがいらしていたこと、おぼえておりますよ。出席者は次のメンバーでしたね。


 弁護士のニキタ・グラゼマ氏。

 大手薬品メーカー開発部長、アロマ・カイゼム氏。

 ミステリ作家、パウロ・アルマビーヴァ氏。

 博士の助手、エリカ・マジャール嬢。

 それにわたしとプランタンさま。


 まちがいございませんね」

「まちがいございません」

(あ、あれ。ぼくもいたんだけど!)

 こころのなかで自己主張するオールシー。しかし、警護は人数としてカウントされないのだ、と自分を納得させる。

「なぜ、われわれはラファロ博士の館に集まったのですか。王女さまのことばでご説明ください」

「承知しました。

 あの日は、博士が開発中の集中力増強剤の中間報告会だったのです。本来、人間の注意力を喚起し、集中力を深化させる目的で開発していた化合物から、予想外の副産物が発生したというお話でした。その副産物を何か、別の有益な目的に転用できないかと、アイディアをつのるために、博士から呼ばれたのです」

「ふむふむ。わたくしも保健行政に明るい点を評価され、声をかけられました。それで、その副産物とはどのようなものですか」

「そ、それは」

 プランタンは絶句した。

(まずいわ。一連の事件の背景で悪用されている「ポストイット」に言及することに……。でも、公爵もあの現場にいて、事情を知っているのよ。マスコミでもすでに公表されているし。ここでうそをつくわけにはいかない。堂々とふるまえばだいじょうぶよ。やましいところはないのですもの)

「わたくしたちは『ポストイット』と呼んでいました。視覚のマイクロサッカード現象を無効化し、目の前のものがほとんど消えてしまうという効果をもつ副産物です」

 小委員会室がふたたびざわめく。だが今度は議長が注意をする前に、自然に静まった。みな、つづきが気になるのだ。

「そう。あのときもそんなお話だった。

 でもねえ、わたしは疑っているんですよ。あの日、集まったメンバーはわたし以外みんなグルで、目の前のものが見えない芝居をしていただけだったんじゃないんですかね。そもそも、ものが消えて見えなくなるだなんて、にわかには信じられませんよ。ほんとうはもっとちがう作用があったんじゃないですか」

「ですが、あの日、消えた博士の姿を公爵も確認なさったはずです」

 王女はラファロ博士の余興について、公聴会の出席者にかんたんに説明した。「固視微動」「ドリフト眼球運動」などということばを利用する。網膜内の血管や盲点に気づかない現象を、「フィリングイン」という用語で解説した。

「周辺の視野が消失したあと、その空白部分は視覚全体の背景が塗りつぶすように充填するのです。たしかサルトルも『想像力の問題』という著書で同じ問題を扱っていたと存じます。人間の知覚は『無』『空白』を嫌うのです」

 ラチエンスキーは薄気味悪く笑っている。何人かの傍聴人、議員が携帯端末で「マイクロサッカード現象」を検索しはじめた。

「そうですか。しかし、わたしは気が小さく、子どものころから大勢たいせいに迎合する性格でしてね。あとでよく考えると、あの日のあれは集団心理が見せた錯覚、幻覚のたぐいじゃないかとも疑っているんです。実際、頭を強く振って博士の姿が出現したのか、テレポートして博士が戻ってきたのか、どうやって判別するんですか」

 「テレポート」ということばで、出席者たちがまた「ざわざわ」しはじめた。公爵はカードを切る。

「そうです。いま、王女さまと話している内容は『タケノコ』と呼ばれ、連続拉致誘拐事件や密室殺人事件のときに必ず現場に置かれている、あの装置なのです」

 うなり声や疑惑、疑問の声があがる。すでに周知の事実とはいえ、公の場であらためて話題にのぼるとみな、興奮するらしい。

 銀髪を乱し、議長が木槌を叩いた。王女は咽喉のかわきをおぼえる。

「あ、集まったメンバーが事前に打ち合わせし、公爵をあざむこうとしたなど、事実に反します。みなさまを証人として喚問し、証言をお取りください。また、テレポーテーションを可能にする化合物だ、という疑問も事件当日に打ち消されたはずです。現場で体内に化合物を吸引した誰ひとり、テレポートできない、そんな芸当が可能なような気がしないとおっしゃっていました」

 参考人席の台の上にグラスと水差しがあった。プランタンは発言の切れ目を利用し、グラスに水を注ぐ。

「グルだとしたら、喚問してもむだですよ。みな、口裏を合わせ『そんな事実はない』というだけでしょう。『偽証しません』という冒頭の宣誓はほんの形式にすぎませんからね。テレポートが不可能だというのもうそで、わたしの知らない、何かコツがあるのかもしれない。……呪文を唱えるとか」

 最後は冗談のようだったが、誰も笑わなかった。

「テレポートが可能だとしたら、九月のシニザ教授殺害事件、ブラント・ハスラー殺害事件の密室状況の説明はかんたんだ。そもそもラファロ博士の事件も重要参考人のマロジャーン嬢が犯人=テレポーター説を示唆する証言を残していたのではないですか」

「そう……かもしれません。しかし、ハスラー殺害事件の密室状況は説明がつきます。すでに解決案がマスコミで報道されているはずです」

「それは、あくまで可能性ですよね。窓のハンドクリーム痕は犯人がわざと残したニセの手がかりでは? すべてに整然と説明をつけられる理屈は単純明快なものである。なんでしたっけ。『オッカムの刃』ですか」

「『オオカミの八重歯』なんて、うそっぱちですわ。そんなこといい出したら、わたくしたちはいまだに天動説を信奉しているでしょう。トリックに必要な品物を購入した謎の女性の映像がコンビニの監視カメラに残っています」

「それも状況証拠でしょう? その女性の正体は明らかになったのですか?」

「……いえ。それはまだ……」

 王女の額には汗がにじむ。スーツの下の脇もじっとりしていた。

 シニザ教授殺害事件の密室トリックも、王女はすでに合理的な推理を披露できたが、「それもニセの手がかりでは。可能性を示唆するにすぎない」と一蹴されては反論できない。

(咽喉が……。お水がほしい……)

 手をグラスに伸ばしたが、公爵の次のひと言でその指先が止まる。

「そもそも、この化合物の開発をラファロ博士に依頼したのは、王女さまご本人でしたね」


「は……あー……いいえ」

 とっさにうそをつく。


「いいえ? プランタンさまがスポンサーだったからこそ、あの日、ラファロ邸に呼ばれたのではないですか」

「……」

「証拠をお見せします」

 告訴人席の背後の大型ディスプレイに電源が入る。報道カメラがみな、そちらに砲列をむける。

「王宮省ホームページ、王族メッセージ欄の一部です」

(王族メッセージ? 裏切り者はいったい誰?)

 プランタンはグラスに手を伸ばす。

「『今日から退屈大学の神経生理学者アルベルト・ラファロ博士による集中力増強剤の研究を支援します。予算は国から出ないので、わたくしのポケットマネーで基金をつくりました。趣旨に賛同される方から協賛金を募りたいと存じます』――と、プランタンさまご本人のメッセージですね。得意げにアナウンスなさっている」

 どこかで、盛大にむせ返る音、咳の音がつづいた。咽喉に流しこんだ水のせいだ。

「王女さまが『タケノコ』のスポンサーだということ、まちがいないですね」

「……まちがい……ございません」

 小委員会室は騒然となる。銀髪を振り乱し、議長が木槌を乱打する。民放各局はコマーシャルをあとでまとめて放映する判断を下す。

「ですが、半分だけ。半分だけです。わたしがスポンサーだったのは集中力増強剤メザメールについてでございます。ラファロ博士はその生成途中で『タケノコ』を偶然、作り出してしまったのですから。

 わわわたくしは、退屈王国のみなさまの不注意や怠慢による人為的事故をいくらかでも軽減しようと、集中力増強剤の開発を支援したのです。……王国のためです。犯罪に利用しようなどとは……まったく考えていませんでした」

 スカートのポケットからハンカチを取り出し、王女は額に押し当てた。

 公爵はあわれむようにその姿を見つめる。公聴会での「勝利」を確信していた。

 壁際で聞いているオールシー・ブライムは気が気ではない。

(だからいわんこっちゃない。公聴会への召喚、拒絶するべきだった……!)

 後悔先に立たず、である。

 参考人席でアリジゴクの餌食となっている王女は、心理的に追い詰められていた。擂鉢状の巣から這いあがろうともがく虫にむかい、アリジゴクは砂を盛大にはねとばし、妨害する。振りかけられた砂のせいで足場の斜面が表層雪崩を起こし、虫は底部にむけてずり落ちていくのだ。王女の弁明はすべて、ラチエンスキーによって解釈が反転され、ブーメランのように自分に旋回してくる。

(スポンサーだと素直に認めた方が、まだダメージが少なかったわ……)

 ラチエンスキーは同僚の告訴人たちと目で合図し合った。とっておきの罠に獲物を追いこむつもりだ。

「王女が犯罪組織に関与していた。いえ、組織の黒幕だったという証拠をこれからお示しします」

 公爵のこの、さらなる発言で小委員会室は衝撃を受けた。最後の爆弾の導火線に、とうとう火をつけたのだ。

「どういうことだ」

「そんな決定的な証拠があるのか」

「まさか、信じられない」

 傍聴人席では動揺、驚愕、興奮の私語の波が沸きあがる。「静粛に願います!」と議長が木槌を鳴らし、絶叫する。

 オールシーは耳を疑う。

(完全なでっちあげ、虚偽の告発だ! 参考人の偽証は責められるのに、告訴人のでまかせは許されるのか!?)

 プランタンもショックを受けた。

(どういうことどういうこと!? そんな証拠、あるはずないわ。事実に反するもの!)

「これから、ある動画をお見せします。わたくしの知人の捜査関係者が犯罪組織に潜入捜査したとき、偶然、目撃して撮影したものです」

 ラチエンスキーは手もとのPCを操作し、背後のスクリーンに映像を出した。

「何しろ隠し撮りなので、音声はうまく録音できませんでした。お見せする再生動画は音をカットしています」

 誰もが巨大スクリーンに注目する。そのスクリーンと、緊張する王女の両方をとらえようと報道陣のカメラはアングルを変える。

 王女の顔がアップで映った。右手に黄金のマイクをもち、大声で何か叫んでいる。非常に興奮し、高揚しているようだ。音声がないので、しゃべっている内容まではわからない。

 プランタンのことばを聞いて、やはり興奮している集団が映る。両手を振り回し、叫び、飛び跳ね、わめいている。声援を送っているように見える。

 ふたたび王女の映像。マイクを片手に腕を振り、ステージを右に左に移動する。集団を鼓舞し、扇動する演説をおこなっているようである。赤いボーダーのプルオーバーを着て、ベージュのクロップドパンツをはいている。首にはシルバーのネックレス。

 それを耳にし、さらに盛りあがる集団。中年の男性たちで、人相が悪い。高級そうなスーツ姿も見えるが、ブルゾンやスタジアムジャンパーを着こんだ姿も見える。頬に傷のある、ひとりの男性の顔がアップになり、公爵はそこで動画を止める。


 ぶきみな静寂が公聴会を支配した。


「動画を提供してくれた警察関係者によると、この男性の名前はゲレカナ・ムヘンカ。人身売買・強制売春組織の幹部のひとりです。このあと、警察の強制捜査が入り、逮捕されました。

 動画に映っているほかの男性たちも姓名、職業がみな、判明しています。全員逮捕されたからです。これは人身売買組織の秘密会合なのです。さて、犯罪者集団を前にして、王女さまはいったい何をなさっていたのでしょうか」

 公爵はいちど、間を取る。みな、映像に映った女性と参考人席の王女を見くらべていた。似ていた。そっくりだった。シルバーのネックレスまで同じだ。プランタンは気絶しそうである。

「どう見てもこれは、扇動演説です。人身売買組織の幹部たちを前に、ハーマジェスティは『もっと効率よく市民を誘拐せよ』『より多くの市民を拉致し、ノルマを達成せよ』とハッパをかけていたのにちがいない。

 そして、演説を終えてプランタンさまが姿を消した直後に、当局の強制捜査が入った。ダミーの犯人として、この組織を――それにスペースモンキーズも――利用していたからです」

 時刻はこのとき、一一時。この瞬間、テレビ放映では瞬間最高視聴率三五パーセントをたたき出した。いくら午前中から自宅でぐーたらしている国民が多い退屈王国でも、平日のこの時間帯は会社や学校で過ごしているひとびとが圧倒的だ。だが、オフィスでは携帯端末で家人から連絡を受けたサラリーマンがテレビをつけた。教室では公聴会が気になり授業どころではない教師が、生徒の積極的な同意のもと、テレビのスイッチを入れた。

 公聴会の傍聴席は、公開された動画に驚愕し、みな絶句。ひとびとの心臓の音が聞こえるのではないか、と思えるほど静まり返っている。

 オールシーも息をのみ、吐くのを忘れた。

(なんてことだ! あのときの映像だ。プリンセス・カラオケ・ワンマンショーを携帯端末で撮影していたやつがいたのだ! そして現場から外部の仲間に動画を送信した……。公爵は何らかのツテでその映像を入手したのにちがいない。しかもたくみに編集している。音をカットしたのはそのせいか)

 画面に大写しになった自分の映像を見て、王女の全身の血はさあっと足もとに落ちてしまった。顔面は蒼白、指先も真っ白でぶるぶる震えている。

(どうしましょうどうしましょう。ああ。たしかにあれはわたしだわ! でもちがうのよ。犯罪者に扇動演説していたんじゃない!)

 では何をしていたのか、と考えると、とても公表できる内容ではなかった。

(だめだ。いえないわ! 人身売買組織の幹部連中とカラオケで盛りあがっていました、なんて! しかもアイドルソングで! たいへんなスキャンダルだもの。どうしよう。大ピンチだー)

「動画には撮影日時が出ていますね。一〇月一五日二〇時三分。一か月半ほど前のことです。このとき、いったい王女さまはどちらにいらっしゃったか」

 停止した動画をプランタンはじっと見つめる。王女はおぼえている。頬に傷のあるこの中年男性はこのとき、「セブーン」と叫んでいたのだ。

「王女さま。質問にお答えください。一〇月一五日二〇時三分。どちらにいらっしゃいました?」

 プランタンの額に玉の汗が噴き出る。ついに宿願を果たす瞬間がきたのだ。


「き、記憶にございません」


 ざわめく傍聴人席。意外そうな表情で攻撃をつづける公爵である。

「プランタンさまは今回の一連の事件に関心が深く、捜査に口を出し、現場にものりこんでいらっしゃった。この日の強制捜査にもご興味がおありだったと拝察されます。それなのに、記憶にない? おかしいじゃないですか」

 同意のつぶやきが傍聴人席から洩れる。王女の態度、発言にみな、違和感をおぼえている。

 一九世紀の西欧の小説に登場する淑女たちのように、失神してぶっ倒れたらどんなに楽なことか。しかし、二一世紀の王女であるプランタンには無理な芸当だ。うつろな視線が左右に泳いでいる。

(一〇月一五日! 忘れるわけない。組織のアジトの、裏口の解読コードだったんですもの。あー、あのとき、暗号を解読してあんなに自画自賛して……おかげで、しっかり記憶に残っているわ。だって、うれしくて楽しい思い出だから! なんどもくり返し、あの記憶を反芻したわ! 忘れるわけがない! それがまさか、こんな目にあうとは……)

 小声でつぶやく。

「秘書が……」

「え? なんですか。よく聞こえません。もういちどおっしゃってください」

「……秘書がスケジュールを把握して……います。あいにく、母上の……王妃さまの公務に随行し、この公聴会には欠席していますが、のちほど……その日の予定を確認いたしたいと……」

 ぼそぼそとつぶやく王女プランタン。その日、実際に何をしていたかが明らかになったらなったで、「不見識!」「不行跡!」「不名誉!」とバッシングの嵐になるだろう。犯罪者扱いされるより、ましかもしれないが……。

 勝利の確信をえたラチエンスキーは、余裕を見せ、おおげさに溜め息をつく。

「たいへん残念です。王女さま。失望しました。

 わたくし、今日こそは真実を明らかにできると期待していたのですよ。この疑惑に真剣に対応してくださり、真相を告白してくださると。王国の国民に対し、王族の一員として――王女として、範を垂れてくださるものと。それなのに……」

 わざとらしく首を左右に振る。

「おっしゃってください。一連の犯罪事件の黒幕はご自分だと」

 プランタンは力なくうなだれ、かすかに頭を横に振った。

「ラファロ博士殺害事件のとき同席していたのは、ご自分の計画の実行を確認するためだったんですね。テレポーションによる犯行がうまくいくかどうか。また、部外者であるわたくしを上手にだませるかどうか。口裏を合わせた博士はあの日、あのタイミングでご自分が殺害されるとは知らず、ユアハイネスの指示どおりに振るまったんでしょう? 当日の出席者はじめ、博士にも大金を渡し、いうことを聞かせた。そしてダミーの犯人としてモンキーズや人身売買組織を利用した。

 それもこれもすべて、ご自分の犯罪計画をとおして国民を教化し、覚醒させるためだった。犠牲者はみなそのための『教材』であり、犯行の目的は『啓発』だった」

(ちがう。ちがう! わたしじゃない。そんなのうそっぱち。真犯人は神さまだけがご存じよ。お願い、どうか助けてちょうだい!)

 「再審請求」の歌詞だった。錯乱気味である。

 公爵は無念そうに下唇を噛む。決定権をもつ九人の議員にむかい、こういう。

「しかたがない。つづきは憲法裁判所の手にゆだねましょう。ま、有罪は確実でしょうね」

 自信に満ちたその声を耳にし、王女の瞳に涙が盛りあがる。

(わーん。もうだめだー。犯罪者になるのね! 何も悪いことしていないのに! カラオケバーではたしかに、ちょっと悪ノリしちゃったけど、刑務所に入るような振るまいなの? しかも刑務所には、今までわたしが悪事をあばき、逮捕に協力した凶悪犯たちがいるのよ。エンザイ・ガールズもいるし!)

 次のような光景が王女の脳裏に、ふいに浮かぶ。第二期メンバーとしてエンザイ・ガールズに参加し、刑務所のレクリエーションで一緒にアイドルソングを歌い、踊るのだ。

(……あら。ちょっと楽しそうかも。

 だめだめ! なにをばかなこと考えているの。正気に戻るのよ!)

 姫君、ご乱心である。

 そのとき、傍聴人席で何かの動きがあり、全員がそこに注目した。雰囲気の変化に気づき、王女もさっと顔をあげ、みなの視線をたどる。

 ひとりの老議員が立ちあがっていた。

(あら。あの方は……先ほどごあいさつした……リュウ男爵。どうしたのかしら……?)

 男爵はよろよろと身体を揺らし、片手を振りあげて叫んだ。

「こ、この不忠者め! 畏れ多くも、プランタンさまにむかってなんたる無礼な……。恥を知れ! こ、こ、この……!」

 苦しそうに、胸を右手で押さえる。呼吸もつらそうだ。周辺の傍聴人は不安げで、気がかりそうに男爵を見つめる。よろめく身体をささえようと、手を出すひともいる。

 そのとたん、老人は転倒した。

 もう何度目か、騒然となる。

「救急車を呼べ!」

「医者だ。医者はいませんか」

「ネクタイをゆるめろ!」

 怒号や悲鳴がとびかう。警備が数人、男爵のもとへ殺到する。

 木槌を乱打し、議長が叫ぶ。

「公聴会はしばらく、休会します。再開は一三時!」

 オールシーのコミュニケーターが着信の合図に振動したのは、ちょうどそのときだった。

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