第34話

「玄関に鍵がかかっていたとしても、犯人が合鍵をもっていた可能性だってあるはずね。それにしても……ベランダの窓は内側から半月錠がかかっていた。もうひとつの西側の部屋は?」

 王女の質問に警部がていねいに応じる。

「書斎にも西側の窓があります。しかし、内側から錠がおりていて、動かした形跡はありません。そこも、うっすらとほこりが積もっているのです。王女さま、この犯人がシニザ教授殺害事件と同一犯だとしたら、どうしてこんな中途半端な密室状況にしたのでしょう」

 ダイニングのテーブルの上に置かれているロケットの弾頭のような装置を示し、プランタンは自説を述べる。

「あの『ポストイット』が存在する以上、同一犯なのはまちがいありません。あの装置の形状を知っており、内部の化合物を調合できるのは真犯人だけだからです。

 悪人たちは、この殺人事件もテレポーターのしわざに見せかけたいのでしょう。ただしその場合、何がなんでも、どうあっても密室にする必要はないのです」

「密室にする、必要がない?」

 警部はそのことばを噛み砕くようにオウム返しする。プランタンはうなずく。

「テレポーターが犯人であるなら、密室状況は偶然、発生するはずです。窓がちょっと空いているくらい、自然なこと。むしろ毎回毎回、犯行現場が密室なら、その方が不自然ですね。

 また、逮捕された元コンビニ店員のモンキーズメンバーも、ここを隠れ家にして潜んでいたわけではなさそうです。ふたりの人間が同居していたという生活臭が希薄ですから。容疑者の元店員は他の隠れ家から、捜査側の目をこの殺人現場にむけさせるために解放されたのでしょう。所持していたメモに、この部屋の住所が書かれていたという話でしたが、ほんとうの隠れ家を出る直前に、強制的にそのメモをもたせられたのでしょうね」

「うーむ。なるほど」

 警部とオールシーは、納得した。だがここで、少年SSには妙な疑問が浮かぶのである。

(王女さまのおっしゃることが、すごく理論的でまともだ! おかしい。いつものハーマジェスティじゃない)

 ためしてみよう、と畏れ多くもこんな質問をする。

「シニザ教授殺害事件では、『犯人は壁を歩き、倒立して天井を歩いて天窓にいった』とユアハイネスはおっしゃっていました。同一犯人なら、今回も賊はこの窓を出て、姿勢を地面と平行にたもち、外壁を歩いておりたのではないですか」

 プランタンは、何もいわずにふしぎそうに少年を見返す。

(このおバカさんは何をいっているの? 自分のことばの意味を、ちゃんと理解しているのかしら?)

 プランタンの一瞬の目のきらめきから、以上の「こころの副音声」を読み取り、羞恥と自分自身への怒りのせいでオールシーの顔は真っ赤になる。夜の道端に立っていたら、街灯の代わりができたろう。気のせいか、周辺が少し明るい。

「その件ですが、王女さま、ご報告が遅れ、まことに申し訳ありません」

 警部が謝意をにじませ、頭をさげる。

「教授の犯行現場の壁と天井にローラーをかけ、採取した微物を科学捜査研究所で分析した結果、ケイ素、アルミニウム、鉄、カルシウム……などが含まれる粒子が見つかりました」

「えーと、つまりどういうこと?」

「ごく微量ですが、土や砂が壁や天井に付着していたのです」

(……えー! そんなばかな!)

 仰天するオールシーの横で、当然そうな態度のプランタンである。顔色ひとつ変えない。

「ユアハイネスのおっしゃったとおりですね。おそらく犯人は壁と天井を歩き、天窓から脱出したのでしょう。靴底の土が付着したのにちがいありません。問題は、あの天窓を閉じる方法だけです」

 王女は「うんうん」と何度もうなずく。そして突然、移動中に放送されていた情報番組を思い出した。

「そうそう、警部。今日のお昼、TV7の情報番組に出演していた女性アイドルグループを調べてください。アクロバットダンスで有名なんだそうです。名前はたしか……シャイダーとかジャミラとか……?」

「わかりました。あとでさっそく調査します。

 ですがどうでしょう。この中途半端な密室について、解明の手がかりめいたものだけでも……ヒントだけでも……教えていただくわけには……? この件もやはり、バカな振り作戦でいきますか?」

 王女はしばらく沈黙した。

 この沈黙によって、いまのスメル警部の質問こそ、王女が待ちかまえていた「ホームラン確実の打ちごろの球」なのだ、とオールシーは確信する。

(きっと、もったいぶって話し出すぞ。なんてことだ、ハーマジェスティはすでにこの「セミ密室」の謎を解明しているのだ!)

「……いえ……」

 プランタンは右斜め下に視線をむけ、目を伏せる。警部も少年SSも、いらいらしながら次のことばを待つ。

「……シニザ教授の密室はそのまま……わたくしたちの敗北ということにしておきましょう――ほんとうはちがいますが――こころないジャーナリストが、わたくしの捜査方針をめぐって現場が混乱しているなど、嘘偽り妄想夢想ふらふら金魚草の八百大言の虚構記事を書き、それが検閲をすり抜けて書店流通にのって市場に出回り、関係者各位に多大なる迷惑と不幸をもたらしました。しかし、この事件はちがいます」

(今夜のごはん、何にしようかな……最近、脂っこい料理が多かったから、久しぶりにあっさりした食事がいいな……)とオールシーは考えていた。スメル警部は、このあとの捜査会議で話す内容を頭のなかで箇条書きにし、整理した。

「ホメオスタシス(公安警察)が数週間、八方手をつくして虚偽と欺瞞といつわりに満ちた記事の作者を捜索しましたが、その行方は杳として知れません。おそらく、すでに悪の組織、スパイダーによって抹殺されたのでしょう」

 「スパイダー」は王女のお気に入りの「絶対悪の代名詞」である。この世のどんな生物、無生物、妖怪、幽霊、怪物より、プランタンは蜘蛛を忌み嫌っている。その嫌悪感を架空の「悪の秘密組織」に仮託していた。

「ですがあの、臆面もない似非えせジャーナリストが書いた内容を真実、ほんとうのことだと信じこんでいる、王国の善男善女も少なくないという話です。まったく、世も末です。

 ですからここは、わたくしの推理力をしっかり、はっきり示し、捜査陣の士気を高め、組織の求心力を回復すべきでしょう。これから、謎を解きます」

 プランタンは宣言する。

「まずはこの……謎の白いゾル状物質の正体を明らかにしましょう」

 そして、左手をさっと窓の外に出し、窓ガラスの外側に付着した白い物質を指ですくい取った。すばやい動きで、止める間もない。

「王女さま。それは大切な証拠でございます!」

「直接、お指で触れなさって……危険ですよ。痛みやかゆみはございませんか?」

 ふたりの意見を無視し、プランタンは白い物質が付着した人さし指を顔の前に近づける。しかし、ある程度の距離で止め、右手であおぐ。空気の流れで謎の物質のにおいをかいだ。試験管内の試薬のにおいをかぐ要領である。

「……ふーむ。あまい、よいかおりがするわ……」

 その感想を耳にし、(やっぱり、生クリームか!)とオールシーは思う。

 そのまま人さし指をじっと見つめているので、(ひょっとしたら、王女さまは口に指をぱくりと入れ、生クリームを舐め取りなさるのでは?)と思ったほどである。だが、プランタンは少年SSの予想をこえた振るまいに及んだ。

 人さし指の物質を右手の平の塗りつけ、さらに左手の平をかさね、もみこむように両手に塗り広げたのだ。

「な、なにをなさっていらっしゃるのですか!?」

 王女はにやにや笑う。

「わかったわよ、オールシー。この物質の正体。科捜研の分析結果を待つまでもないわ」

 スメル警部がふしぎそうに訊ねる。

「いったいなんですか、その白い物質は」

 にっこり笑顔で現場指揮官に答える。

「乳液――ハンドクリームよ」

「ハンドクリーム?」

 少年SSと警部はきれいに二重唱。

 ふたりはしばらく、呆然としている。優越感をにじませたニコニコ笑顔でプランタンは見守った。無文字社会でアルファベットをすらすらと読んでみせ、仰天している現地人を相手にしている探検家のようだった。

「いったい、なぜハンドクリームが窓ガラスに……?」

「まちがいありませんか? ハンドクリームによく似た、他の物質じゃありませんか……たとえば、生クリームとか……?」

 余裕の王女は笑いながら首を左右に振る。

「まちがいないわ。ここは、ハンドクリームでなければならないのです。あ。でも、そうねー。生クリームやマヨネーズでもいいのかな……」

 ぶつぶついいながら背中のリュックを床におろし、サイドポケットからメモ帳とペンを取り出した。そして、何やら書きつけ、オールシーに渡した。

「これ、近所のコンビニかワンコインショップ、ホームセンターで買ってきて」

 渡されたメモを少年はまじまじと見る。横からスメル警部も覗きこむ。

 箇条書きされていたのは、次のことばだ。


 ゴムホース

 ハサミ

 吸盤フック

 ハンドクリーム

 ロープ

 軍手


 さかんに首をかしげるオールシー・ブライムなのだ。

「……吸盤フック……なんですかこれ?」

「え。オールシーは知らないの?」

 王女は意外そうである。コミュを取り出し、ネットで画像検索し、すぐに写真を示した。

「あー。よく台所まわりでお玉とかフライ返しとか、引っかける時に使う……て、ええええ! 耐荷重、天井使用時二一キログラムって、ほんとうですか!?」

 写真に添付された商品説明を読んだのだ。

「ま、売り文句だからどこまで信用できるかわからないけど。ここ数年で吸盤フックの吸着力が増大しているのはたしかね。さらに、吸盤部分にジェルやハンドクリームを塗りつけ、接着面の空気を完全に閉め出せると、耐荷重はさらに大きくなるのよ」

 つまり、王女はこういいたいのだ。

 犯人は窓ガラスに吸盤フックを貼りつけ、ロープを利用して地上までおりたのだと。この仮説なら、ガラスに張りついた白い物質=ハンドクリームの謎は解決する。吸盤の窓ガラスに対する密着度を高め、吸着力を増幅するためだったのだ。また、窓枠周辺に金具のフック痕が残っていない理由も説明できる。しかし――

(ゴムホース?)

 文字を指で示し、「これはなんのために?」と少年は訊ねる。

「あら。ゴムホースの使い方を教えてくれたのは、オールシーなのに……。忘れてしまったのね。いいわ。買ってきてくれたら、教えてあげます」

 少年SSはまだ納得がいかない面もちだったが、根が素直なので五○三号室を出て買い物にいった。

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