第4話

「……というわけなのよ、オールシー。いまやデンちゃんとはの仇敵どうしね」

不倶ふぐ戴天たいてんですよ。ま、いまの説明を聞いても、ユアハイネス(王女さま)がどうして殿下を敵視なさるのか、さっぱりわかりませんけど」

「こんなところに裏切り者が」という愕然とした表情で、王女は少年SSを見つめた。桃のようにふっくらした頬が、こころなしかさらにぷっくりふくらんだようだ。

「そ、そうかしら? 『フグを炊いて料理し、毒殺をたくらむほどの憎い相手』という意味だとばかり……」

 プランタンに勝手なことをいわせたまま、彼は次のように考える。

(どうせ、チビッコだと思い「上から態度」で接していた殿下がどんどん注目され、世界的に評価されているのが、お気に召されないのでしょう。なんでもかんでも、ご自分がいちばんでなければご機嫌をそこねなさる方だからな……)

 一瞬で真相を見破るものの、オールシーは完全な無表情をつらぬいた。

「……わたしの話、ぜんぜん聞いていなかったんじゃないの? なんだかこころここにあらずといった面もちで、きょろきょろしていたじゃない」

「あ、お話をなさりながらわたくしの振るまいをきちんとご覧になっていたのですね。恐れ入りました」

「注意散漫よ、オールシー。そんな態度でわたしの警護をきちんとできるの?」

「お叱りはごもっともでございます。しかし、きょろきょろするのは警護上、必要なのです。決して注意散漫、集中力ゼロではございません」

「どうして?」

 育ちがいいせいか、根は素直な王女は小首をかしげて質問する。

「王女さまの周辺に不審な人物、不審な車輌がないか、常時、確認しているのです」

「え! そうなの?」

 プランタンは心底、驚いていた。

(だから、ユアハイネスがお忍びでお出かけのときは、いつもぼくはきょろきょろしているんだが。今日はじめてその点にお気づきになった王女さまの方が注意力ゼロなんじゃ……)

 と一瞬で真相を見破るものの、オールシーは完全な無表情をつらぬいた。

「それじゃ、オールシーはこうやってふつうに歩きながら、周囲の状況につねに目配りしているわけね。じゃ、ちょっと質問。三人前にすれちがったひとの特徴は?」

「赤い帽子、グリーンのトレイナーに紺色のクールテック、黒っぽいジャージに紺のスニーカー。推定六〇歳代の男性。赤いリードで犬を散歩させていました。犬種は……イングリッシュ・セター」

 王女は驚愕のあまり、立ちどまる。

「……すごい! たしかにそのとおりだったわ」

 すれちがった通行人の特徴を記憶しておくのはスパイ活動の初歩である。敵の尾行に気づくかどうかも、この点がポイントになる。オールシーにとっては完全に習慣化した振るまいで、歯みがきや自転車の運転と変わらない。

「なんてこと。すっかり感心しました。オールシーがこんなに優秀だったとは! 

 じゃ、ほかにも、こうやって街歩きしながらこころがけていることってある?」

「はい。ございます」

 この少年も調子がよく、うかつなので、ほめられて単純に得意になっていた。

「なになに?」

「気配を消す訓練でございます」

「気配を消す? どうやるの?」

「だいたいふたり以上の集団の通行人にそっと近より、周囲からはその連れに見えるようにさりげなく、一緒に歩きつづけるのです」

「それって……ただの不審者なんじゃ……?」

 と一瞬で真相を見破り、遠慮なく指摘するプランタンである。

「え、いや。ばれたら『横並びに歩くのは通行のじゃまだなあ、急いでいるのに、これじゃ追い越せなくてイライラするよ』と、そ知らぬ顔でそそくさと追い抜くのでございます。むしろ逆に、相手の公衆道徳心の欠如に顔をしかめて抗議する……。け、けっして、不審者などでは……」

 しどろもどろのオールシー。クールテックを着こんでいるのに額にうっすら汗をにじませた。

「ふーん、でもそれ、ちょっと面白そうかも」

 興味をもったプランタンは周囲をきょろきょろ見回す。

「あ。あれあれ。あの集団のうしろにそっと忍びよって、仲間の振りをするというのはどうかしら?」

 五メートルほど前方を、ブルーのクールテックを着た少女が三人、おしゃべりをしながら横並びで歩いている。歩道の幅いっぱいに広がっており、通行のじゃまだったが、本人たちに自覚は一切ないようである。

「了解しました。ユアハイネス、息を殺し、できるだけ気配を消してください」

「無になるのね。ラーメンを食べるとき、よくなっているわ。気づいたら、上顎の皮がむけていたりするの」

 それとは何かがちがうような気がするが、あえて抗弁せず、少年SSはそっと歩調をはやめる。プランタンも歩く速度を慎重にあげた。

 先行する三人の少女は、クールテックの下にココア色のブレザーを着ている。制服らしい。高校生くらいの年齢だ。後頭部と背中しか見えないが、右側が栗色のショートカット、真ん中が麦藁色のロングストレート、左側が赤毛のポニーテール。手には大きな革のカバンをぶらさげている。おそらく下校途中なのだろう。

 ふたりが近づくにつれ、会話の内容が耳に届きはじめた。

「……でしょ。誕生日おめでとう、パット。これでようやく一七歳ね!」

 と栗色がいう。

「やーん、そうなの。ひとつ歳とっちゃった。もう、おばさんだ」

 麦藁が返事をする。三人とも、けらけら笑う。

(一七歳でおばさん……?)と王女の片方の眉がはねあがった。

「そうなのよー。一四、一五のころはほんとに若かったけど、一六こえてからはまったくだめ。夜ふかししたら朝起きれないし、目の下のクマとかとれないし」

 赤毛の台詞に、栗色が追い討ちをかける。

「ジェーンはあたしより半年、お姉さんだもんねー。あ、目尻に小皺が」

「やめて。これは笑い皺」

「『カラスの足跡』て、いうらしいよ。お母さんがいってた」

「ベルはいいわねー。まだ一六だもんねー」

 と赤毛。

「一六でも衰えをかんじる。お化粧のノリとか、足腰とか」

「わかるー。朝礼とか、しゃがんじゃうよねー」

 オールシーもプランタンも、すでに三人の背後に忍びよっていた。周囲の目からは「五人でひと組」の集団のように見えるだろう。テリトリー空間が完全に共有されているのだ。高校生三人のうち誰かひとりが背後の気配に気づき、振り返ったら、びっくりするはずである。ところが少女たちは、自分たち以外の世界に驚くほど無関心だった。

(しめしめ。いまのところ、うまくいっているぞ。ターゲットとして適切だったな。この世代の女の子たちは周囲に無防備なところがあるから……ん? なんだなんだ?)

 少年は、自分のすぐそばから微妙な「精神的震動」をかんじた。地震では最初に「かたかた」と小さく揺れ、次に「がたがた」「ぐらぐら」と大きな揺れがくる。前者をP波、後者をS波と呼ぶ。このP波に当たる初期微動のような気配が、オールシーのすぐ右横からかんじられるのである。

 彼はそっと、右側の王女のようすを確認した。

 「黄金の爪楊枝をのせた」と自慢する長いまつげが、ふるふると震えていた。王女の瞳はまんまんと涙を溜め、今にもふきこぼれそうである。頬は紅潮し、呼吸は苦しげ。硬く握りしめられた両手のこぶしも、こまかく震えている。

(ま、まずい! 王女さまは「年齢」について、かくべつに敏感であらせられる。何しろ「退屈王国最大の謎は王女の年齢」といわれているほどだ。しもじものこのような下劣な会話を聞かせるべきではない。とんだお耳汚しだ!)

 オールシーの深刻な心配など、どこ吹く風。三人娘は「年齢話」をエスカレートさせる。

「一六なんて、若い若い。赤ちゃんみたいなものよ。でも、一七はおばさんだー。肩こるわー」

 と麦藁。

「じゃ、一八になったら?」

 赤毛が答える。

「そりゃ、おばあさんに決まってるじゃん!」

 三人はきゃっきゃっと笑った。

 プランタンが不意に立ちどまる。オールシーは身をのり出し、高校生と王女のあいだに立ちふさがった。怒りに肩をふるわす王女は目で「じゃまよ、どきなさい!」と伝える。少年SSは、ここは命を賭けるところだ、と覚悟を決める。

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