第11話

「真相はみなさんの目の前にある、と申しましたでしょう」

 プランタンは、にこりとほほえむ。

 博士がボードの陰から姿を見せた。

「王女さまのご説明、すぐそばで拝聴しておりました。みごとな推理でございます。感服いたしました」

 賛辞を惜しまず、ほめたたえる。

「すまんが、わたしはまだ、納得がいかない。ユアハイネスの説明は一応、筋がとおっているが……。そもそも、博士の姿が見えなくなった直後、われわれはけっこうあちこち、きょろきょろ視線を動かしていたはずだ。あのときだって、いまと同じ効果――つまり、意図的にマイクロなんとか現象をつくり出していたはず。さっきは見つからなかったものが、なぜいま、見つかるんだ?」

 手を挙げ、疑問を呈したのは弁護士のグラゼマ氏。

「どちらから説明しましょうか?」

 とプランタンは博士を気づかう。

「今日は王女さまのオンステージでございます。どうぞ、こころゆくまでお話しください」

「それでは」

 と軽く咳払い。

「あのとき、博士はパーテションの陰に隠れていたのです」

「パーテションの陰? 誰もいないと全員で確認したはずでは」

「はい。そのときはすでに博士はホワイトボードのうしろに移動していました。

 ご記憶ではございませんか? パーテションの陰を確認する直前に、誰かがわたくしたちの視線を別の方向へ誘導したのを」

 五人はエリカに注目する。

「するとあれは……意図的な作為?」

 弁護士は、信じられないといった表情だ。

「助手のエリカ・マジャールさんが共犯だったのか……!」

「申し訳ございません。みなさまにうそをついていました。もしパーテションの陰を確認する流れになったら、視線を窓に誘導するようあらかじめ、博士と示し合わせていたのです」

 エリカは顔を伏せ、謝罪する。

「じゃ、窓の外を飛んでいる博士の姿を見たというのは完全なうそか」

「はい」

「テレポーテーションなど、考える必要がなかったんだ」

「はい」

 公爵は不機嫌そうに窓を見ている。

「パーテションの陰に博士がいないことを確認したあと、もういちどホワイトボードのうしろをチェックすることはなかったな。なぜなら、すでにいちど、そこに博士がいないことを確認していたからだ。だが、エリカさんがわたしたちの視線を窓に誘導したとき、博士はホワイトボードの陰に移動していたわけだ」

 弁護士がうなり声をあげる。

 ようやくひとりでトイレにいけた子どもをあたたかく見守る母親のような微笑を、プランタンは浮かべた。

「それにしても……視界があれほど狭く、風景が見えていないのなら、もっと早くそのことに気づくものじゃないか」

 弁護士がいう。

「眼球運動が少しでもあれば、すぐに視界が回復する――通常はそうです。しかし、この化合物は視覚の神経伝達にも影響を与えるのでしょう。風景がほとんど消失していても、視神経が麻痺している。脳はその場合、トラブルを補正するため記憶や音、周辺情報を利用するのです。わたしたちの目には必ず盲点が存在しますが、ふだんは脳が見えない部分を補正しています。だから本来は見えていないのに、見えている気になっている。その風景は現実の風景ではないのです。脳が作りあげた虚構ですね」

「しかし盲点は、そんなに広い範囲ではないぞ」

「わたしたちの眼球の構造では、風景は本来、倒立して映ります。脳はそれを補正しているのですよ。

 それにそもそも、人間はそんなに風景を詳細に見ていないのです。ドアのノブをつかむとき、その位置を的確に確認していますか? 記憶にまかせて適当に手を伸ばしているのでは?」

 王女は指摘する。

「ホワイトボードの下の方に、誰もわざわざ視線をむけなかったのは、そこも『見えている』と思ったからか」

 と弁護士。

「ふつうはボードの面の方を見るからな。にせの視界が誤った情報を提供し、こちらの判断を狂わせていたわけね」

 と開発部部長。

「そういうことです。みなさん、どうでしょう? 何かこの、新しい化合物を利用するアイディア、ございますでしょうか」

 博士はあらためて、招待客にもちかける。

「わたしの意見は、さきほどどなたかがおっしゃったように、スパイ活動や軍事利用ですな。それはともかく、余計な頭脳労働のせいで、咽喉もかわいたし小腹もすきました」

 相変わらず仏頂面の公爵は無遠慮に申し出た。

「お紅茶、お代わりおもちしましょうか?」

 エリカが席を立ちかける。

「いや。紅茶などではなく、もっと元気の出る飲み物を所望します」

 博士はにこりとほほえむ。

「ホールに、立食パーティー風の粗餐を用意しております。年代もののワインもございます。ここでひとまず、休憩をさしはさみましょう。お口に合うかどうかわかりませんが、よろしかったら、どうぞ召しあがってください」

「まあ、そんな」

「食事までごちそうになるなんて」

「いたれりつくせりで恐縮です」

 と、口々にいいながら招待客はいそいそと立ちあがる。机の上の鍵を取りあげ、扉を開錠した助手のエリカに誘導され、部屋を出る。プランタンもオールシーもひとの流れにのって、新作化合物の充満する空間をあとにした。

(それにしても、花瓶を振り回していたエリカさんの行為は、いったいなんだったのか?)とこころ残りで、部屋を出るときオールシーはうしろ髪を引かれる思いだった。


 ラファロ博士がひとりだけ、部屋に残った。

 窓辺に立ち、外の景色をながめていると、助手のエリカが戻ってくる。紅茶カップやソーサー、ポットを回収にきたのだ。

「お客様はみなさま、ホールに移動なさいました」

「そうか。ありがとう。……ところで、エリカくん」

 あらたまった口調で博士は声をかける。

「はい。なんでございましょう」

 エリカはこころもち首をかしげ、博士を見る。ラファロ博士は窓に背をむけ、助手とむき合った。

「きみはわたしのPCから研究データを盗んでいるようだね」

「なんのことでしょうか。身に覚えのないことです」

 エリカは即答した。

「わたし以外の人間がキイワードを打ちこみ、アクセスした履歴が残っている。ハッキングされたようすもないので、この部屋に出入りできる人間がやったことだとわたしは推理している」

 博士は助手の目をじっと見つめる。エリカの瞳はその視線を平然と跳ね返す。そして告発を否定するように首を横に振る。その振り方は大げさで、ちょっと激しすぎる。

「濡れ衣です。証拠がございますか」

「キイボード、マウスに無色透明の発光塗料をぬっておいた。明るい場所で蓄光し、暗い場所で発光する。発光塗料に特殊な酵素を混入したから、ふつうに水洗いしたくらいでは流れ落ちない。もしきみが、両手をきちんと消毒する機会をまだもっていないのなら、机の下に両手を差し入れると、ほんのり緑色に発光するだろう。さあ、この長机の下に手を入れてみてくれ」

 エリカの視線は不安げに泳いだ。そして突然、

「あ! 窓の外にひとかげが」

 と指をさす。

「え」

 と振りむいた博士は、その瞬間にだまされたことに気づいた。窓の外には青空と街並みしか見えないのだ。

 もういちど振り返ると、エリカ・マジャールの姿は消えていた。

「くそ。自分の考えたトリックに自分がひっかかるとは」

 博士は「タケノコ」のスイッチを切った。

 きょろきょろし、首をリズミカルに振ってみる。しかし、エリカの姿が室内に浮きあがってくることはない。いったい、どこに消えたのか。パーテションの陰しか考えられない。

 そう思いつき、いきおいよく身をひるがえし、デスクの方に突進した博士は頭部に強烈な衝撃を受け、意識を消滅させた。

 そのうしろに、イヌサフランの花瓶を抱えたエリカが立っている。両手に実験用の薄手のゴム手袋をはめている。花瓶を床に放り投げ、手袋を脱いだ。彼女はそっとかがみこみ、博士の左手首に指を当て、鼓動が止まっていることを確認。息を深く吸いこむ。

 悲鳴をあげた。

 何ごとか、とホールの招待客が部屋に戻ってくる。

「博士が、博士が殺されました! 突然、部屋のなかに姿をあらわした黒づくめの男が花瓶で頭を殴ったのです。犯人はその直後、煙のように消えてしまった。わたし、見たんです!」

 エリカはそう証言した。



『プランタンの優雅な午睡』基本問題 マイクロサッカード現象 おわり

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