7【暗】煙突広場のライブコンサート
第36話
わたしの容疑は幼児殺人
親の目盗んで子どもをさらい
隠れ家つれこみ首絞める
金などいらない快楽殺人
若い親たちにアッカンベー
殺したちびっこ両手で足りぬ
連続絞殺メスオオカミ
でもそんなのうそっぱち
取調室で刑事は叫ぶ
「お前がやったんだろー」(×3)
真犯人は神さまだけが知っている
お願いどうか 助けてちょうだい(×2)
(Enzai-girls「再審請求」)
一〇月五日。この日の最高気温は二五度で、クールテックは必要ない、すごしやすい秋の一日である。もっとも、退屈王国では「秋」といっても季節感がない。空は高く晴れあがり、青い窓ガラスに拭き残った洗剤の泡のように、ひとひらの雲が天頂に浮かんでいた。空気は乾燥し、ここちよい。
この日、王国の北にある「ボンヤリ湖」では毎年恒例のニジマス祭りが開催されていた。二千匹のニジマスを湖に放流し、親子づれに釣りあげて楽しんでもらおうという企画である。主なスポットは湖の西岸で、朝からキャンピングカー、ワンボックスカーなどが隣接の駐車場に群れなし、色とりどりのレジャーテントが岸辺に密集していた。遠くから見ると花畑を連想する。
七歳のワロップ・ボトムは興奮していた。釣竿をもつのも、タモ網をもつのもはじめてだ。父親が釣竿に糸を結ぶ方法を教えてくれたが、からまってしまう。結局、自分では結べなかった。餌のブドウ虫は、父親によると「ハチミツガの幼虫」らしい。全身を貫通するように釣り針を虫に刺さなければいけない。しかし何匹も腹を裂いてしまい、これも父親がやってくれた。
「釣りあげるのは自分でな」
目もとの皺を深め、笑いながらコリン・ボトムはいう。三六歳の高校教員である。妻のスミラとは職場結婚。音楽の教師であるコリンが、数学教師のスミラをクラシックのコンサートに誘った。スミラは子どものころからヴァイオリンを弾いており、趣味が合い、話題も盛りあがり、ふたりは三か月の交際で結婚した。翌年にはワロップが生まれていた。
そのスミラはテントのそばで携帯コンロの準備をしている。釣りあげたニジマスをその場で調理し、もちこんだサラダと一緒に食べようというのだ。コリンはずっとピアノを演奏してきた男だが、アウトドアにも関心があり、山歩きや釣りも趣味である。スミラも身体を動かすことが生活の一部だった。ヴァイオリンを弾く一方で、ハイジャンプの選手として学生時代、活躍した。楽器の演奏は一見、インドアの印象だが、基礎体力やスタミナを必要とする。その方が息の長い、インパクトのある音を自在にあやつれるのだ。楽想に深みとコクが生まれる。とはいえ、ふたりともマニアというほど、アウトドアや体力づくりに熱心なわけではない。子育てや仕事が忙しく、職場や買い物にいく以外、戸外に出る機会をなかなか捻出できずにいた。今日は夫婦ふたりにとっても久しぶりのアウトドアレジャーだ。ワロップ以上にスミラやコリンの方がよろこんでいた。
ニジマスの放流はすでに終わっている。養殖池で体表に出血、外傷のないニジマスを選別し、水槽コンテナに移し替えた。荷台に大型水槽と酸素ボンベを備えた輸送車でボンヤリ湖に運び、八時ごろ放流した。何しろ二〇〇〇匹である。輸送に要したトラックは数台にのぼり、作業には人手と時間がかかった。
イベント開催スポットの湖畔周辺には露店が出て、綿アメ、ホットドッグ、クレープ、お面、水鉄砲を買うことができた。子どものころに流行したセーラールナのお面は若い母親たちに人気だ。後頭部にお面をつけ、彼女らは簡易テントを立てたり、携帯コンロを用意したりする。
ワロップ少年は釣竿を手に、周囲を見回す。すぐそばに、黒髪の女の子がいる。やはり釣竿を手にし、にこりと笑う。ワロップも笑い返す。彼女は手にもった何かを突きつける。なんだろう、とよく見ると、ブドウ虫だった。
「あげる」
「……ありがとう」
ワロップの手のひらで、大きな芋虫が身をよじり、うごめく。やや恩着せがましい、まるでキャンディやクッキーを「おすそ分け」するような態度だった。そのまま少女はどこかに駆けていき、取り残された少年はブドウ虫の処置に困惑した。ぼんやりしていると、横から手が伸び、誰かが虫をつかみとる。
「え?」
野球帽をかぶった同じ年ごろの少年だ。
「んだよ?」
「……な、なんでもない……」
帽子の子はちゅうちょなく、自分の釣り針にブドウ虫をぶっ刺し、釣竿を振って糸を湖面にたらす。その動きはむだがなくスムーズで、ワロップは感心した。
「釣りはよくするの?」
話しかけても、返事がない。野球帽の少年はワロップに関心をなくしたようだ。その子のそばに近づき、いっしょに釣り糸を垂らす。ふたりが立っているのは突き出た岩場で、観客席に張り出した大きなステージのようである。周囲では子ども同士、あるいは子どもと親の組み合わせで、それぞれ釣り糸を湖面にたらしている。はしゃいだ話し声、押し殺したひそひそ声、得意げな声、うめき声、でたらめな鼻歌、唐突な悲鳴や歓声に満ちている。水ぎわで、しぶきをあげて走り回る小さな子もいる。
釣り糸を垂らしたとたん、引きがあり、「わー。かかった!」と叫ぶ女の子。うらやましそうに、じっと見つめる男の子。ひとりでは釣りあげられず、親に釣り竿をもってもらう小さい子。タモ網でなんとか魚をすくい取ろうとする子ども。釣りあげたと思って歓声をあげていたら、針が取れ、大魚を逃し悲鳴をあげる少年。イベントは活況を呈し、周囲はにぎやかになっていく。
ワロップはまだ当たりがこない。野球帽の少年のかたわらのバケツにはニジマスが二匹、きゅうくつそうに押しこまれていた。
日ざしをあおいだワロップは、気温がぐんぐん上昇していることに気づく。振りむくと、釣り竿を手にした父親が近づいてくるところだった。
突然、となりの野球帽の子どもが立ちあがった。驚いたワロップは「ど、どうしたの?」とすっとんきょうな声をあげる。
「……あそこ! 見てみろ!」
指さされた湖面の一部を見て、ワロップも異状に気づく。何か白いものが浮いているのだ。目を凝らし、よく見ようとする。ひとつだけではない。白い、木の破片のようなものがいくつか浮いている。
「どうした?」
背後から、父親のコリン・ボトムが声をかけてきた。
「父さん、見て。あそこ」
息子が指をさす地点を見やり、彼も息をのむ。浮いているのが何か、すぐにわかったのだ。周囲の親子づれも異変に気づいたようである。不安そうなざわめきが、しだいに広がっていく。
「あれ! 見て見て」
「や……あれは……ひょっとして……」
「ひょっとして……お魚……?」
「すごいよ。多すぎる!」
「ニジマスだ……魚が死んでいる……」
「あれぜんぶ、おさかな?」
「わーん。おさかなさん、しんじゃった!」
「えーん。えーん」
「……あんなにたくさん……どういうことだ……?」
気になって、ワロップは野球帽の少年のバケツをのぞきこんだ。さっきまで開閉していた二匹の魚のエラは、もう動いていない。じっとして、ぴくりとも動かない。帽子の少年はバケツを手にし、なかみをさっと湖に捨てた。
ワロップは立ちあがり、父親に近寄る。コリンはわが子の頭をなでた。心配と不安は彼にも伝染している。見回しても、まだ誰も、釣った魚の調理をおこなっていないようだ。魚を焼くにおいがまったくしない。それでも一応、息子に訊ねた。
「おまえ、誰かからもらって、魚を食べたりしていないよな」
「うん」
拡声器のスイッチが入る、耳ざわりな雑音が湖畔にひびく。
〈え、……ええ~……こちら、イベント実行委員会です。……ニジマス祭実行委員会……〉
主催者側の告知を聞こう、と周辺の雑音がおさまっていく。炎天下のアスファルトの打ち水がみるみる蒸発するようだった。親たちも子どもも、身動きを止め、空中を流れるアナウンスに神経を集中する。
〈たいへん残念ですが、本日のイベントは中止いたします〉
えー、という失望の声が洩れる。
〈イベント参加チケットの半券を、なくさないようにお持ち帰りください。後日、参加料金を払い戻しいたします。払い戻し方法の、詳細はイベント実行委員会のホームページに、近日中にアップいたします。〉
アナウンスの間も、死んだニジマスがぷかぷか浮きつづけ、湖面はどんどん生白くなっていく。水鳥やカラスがにおいに気づき、少しずつ集まりつつあった。
〈本日、釣りあげたマスに関しましては、家にもち帰らず、必ず、湖に戻してください。また、料理して口に入れることを絶対に、なさらないでください。すでに調理して食べたという方はこちらに申し出てください。イベント関係者にその旨、おっしゃってください。すぐに医療スタッフを手配します。また、ニジマスを食べた食べないにかかわらず、気分の悪くなった方、具合の悪くなった方、どうぞお気軽にイベントスタッフにその旨、お伝えください〉
「お祭り、中止なの?」
アナウンスの内容で、ワロップ少年が理解できたのはその点だけだ。
「ああ」
コリンは動揺や不安を押し隠し、応じる。
「残念だね」
「……父さんもそう思うよ。ほんとうに残念だ」
小さな子どもたちが泣いている。涙を流し、顔を真っ赤にし、号泣する子どももいる。子どもたちは、いま目の前で起こった出来事にショックを受け、動揺し、悲しみ、落胆している。だが、おとなたちはみな、同じ不安、同じ恐怖を共有していた。新聞、テレビの報道、ネットのニュースを通じて知っているからである。
いま、退屈王国のあちこちで小動物、魚、鳥、昆虫がばたばたと命を落としているのだ。
専門家が調査しても、原因が不明だという。
おとなたちはこの死が、小さいものから順番に訪れるのではないか、と考えてしまう。さっきまで元気に走り回っていたはずなのに、急に高熱が出てぐったりする、この小さな生きもの。免疫力、抵抗力、体力がなく、病魔にかんたんに冒されてしまう、やせっぽちで小さな身体の幼生体。何かというと食べたものを吐き出し、油断すると倒れてひきつけを起こし、本人は無敵のつもりでいるが、ひとりでは何もできない頼りなく、はかない生きもの。そして、小さな棺がいくつもいくつも、王国中の家や病院から葬儀場に運ばれていくイメージが、脳裡から離れないのだ。
コリンはワロップの小さな手をぎゅっと握った。
「さ、はやく帰ろう。お母さんがテントを片づけるの、手伝わないとな」
「うん」
少年は釣り竿に釣り糸をぐるぐる巻きつけた。野球帽の子どもは、竿を肩にひっかけ、さっさと帰りじたくをはじめている。保護者など同行せず、最初からひとりで参加したようだった。
身近にいる、大切な誰かが突然、消えていなくなってしまう――歩きながら、コリンはその悲劇について考えていた。ヒネモスを騒がしている、誘拐失踪事件。これはスペースモンキーズの犯行だ、と当局は断言し、捜査を進めているらしい。だが、犯人が誰であれ、行方不明の被害者の家族、友人、恋人らは、突然の事態に激しく動揺し、こころに深い傷をこうむるだろう。
彼は簡易テントに戻った。ちょうど数学者の奇行集を読んでいた妻が、心配に眉をひそめ、ふたりを出迎えた。
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