第35話 図書館にて

 万条はそれから数日間、ときどきだが道楽部に顔を出した。そこでは小池さんや堀口さんと他愛もない話を楽しくしていた。万条にとってそれは新鮮なことで、高校生活でやりたいことのヒントがそこにあると思ったし、何よりも楽しい時間であった。だが、万条は正式に道楽部に入部しようとは、本気で思っていなかった。

 そんな中で、日々は過ぎていき、気が付くと、試験まで残りの日にちが迫っていた。周りの生徒は、ほとんどの者が、勉強をしていた。しかし万条は、あまり勉強せずにいた。

 ある朝、万条は学校に登校した。教室へ入ると、ミキが朝からせかせかと勉強をしていた。


「あ、ユイ、おはよー」


「おはよ!」


「ユイ、勉強してる?」


 万条はその問いに戸惑った。万条はここ一週間ほど、道楽部へ行っては勉強も碌にしていなかったからだった。


「う、うん……ぼちぼちしてる……」


「ユイ……全然やってないでしょ?」


 万条の動揺した態度を見て、ミキはそう呆れながら言った。


「こ、これからやるもん!」


「やっぱり……ユイ。もうテストまで一週間ないんだよ?それに高校初めてのテストだよ?初めから下位だったら、そこから上がるの難しいよ。ユイはやればできるんだからさ……」


「何も言えないよ……はい……ごめんなさい……」


「あ、じゃあさ!」


「ん?」


 ミキは万条の不安そうな顔を見て、何か思いついたらしく、言った。


「一緒に勉強しよっか。勉強見てあげる!この前パフェ行けなかったしさ。お詫びといってはなんだけど」


「え?ほんと?」


「うん!図書館で放課後勉強しよ。どう?」


「あ、ありがとう!助かる!」


 万条は勉強ができるわけでもなかった。中学生の頃は陸上部で部活を専念してたせいもあってか、勉強の習慣も疎かではあったが、平均の高校よりも少し難しいレベルである桜峰学園に合格するくらいは勉強ができた。

 テストは一週間を切っていた。科目は、英語、国語、数学、世界史、地理、生物、化学、物理だった。万条は、数学は得意だったが、暗記科目は苦手で、特に世界史は、全くと言っていいほど覚えていなかった。つまり、このままだとやばかったのである。


 放課後。万条とミキは図書館にやってきた。万条は普段、図書館に来ることはない。「静粛に!」という張り紙がある図書館の静かな雰囲気に、万条は緊張した。


「ユイ。図書館とか使わないでしょ?まぁワタシも中学の時、試験前くらいしか使ってなかったけどねー」


 ミキは笑いながら、そう言って、本棚と本棚の間の道を歩き出した。ミキに言われるがまま、自習スペースへ向かった。向かっている途中、ミキはある人を見つけて、小声で話しかけて言った。


「あ、大花さん、今日も図書館にいたんだね」


「ええ」


 大花は静かに、本棚の前で本を探しながらそう言うだけだった。万条たちと大花はクラスが一緒だったため、面識はあった。しかし、大花はいつも一人でいるためほとんど話したことはなかった。万条は、大花に何気なく、話しかけた。


「本好きなの?」


 大花は、本棚からお目当ての本を取り出してから、答えた。

 

「ええ……」


 大花は万条の顔を見た。大花は続けて言った。


「あなたは、えっと……」


「万条ユイ!」


「万条さんは……」


「ユイでいいよ!」


「……万条さんは……とても元気なのね」


「うん!」


「でも……いえ。何でもないわ。お互いテスト頑張りましょう」


「え?う、うん!頑張ろうね」


 大花は、他の本棚へ歩いていった。万条は、大花に対して、不思議な印象を受けた。言葉にできないようで、しかし何か近いものを感じた。そして、大花が


「でも」といったその先が気になった。万条はつい小声でつぶやいた。


「『でも』なんなんだろう……」


「え?」


「ううん!何でもない!」


「さ、ユイ。勉強するよっ!」


「うん」


 万条たちは、その後、席に着いて勉強を始めた。万条は早速、一番やらなくてはいけない世界史の教科書を開いてみた。そこに書いてある、カタカナを発音しながら覚えようとするも、万条はいくらやっても、うまく発音できないのだった。


「あうぐす……とうーす……?」


「アウグストゥスね」


「すごいミキ先生!」


「ちょっとその呼び方やめてよ。ていうか、ユイ。そんなだと、赤点濃厚だよ……」


「え~やばいよ~覚えなきゃ……」


 万条は世界史の教科書をじっと見つめて覚えようとするも、全く頭に入ってこなかった。しばらく教科書に書いてあるカタカナの単語を頭の中で発音した。しかし、万条は繰り返していくうちに、頭がパンクしそうになった。


「あーーー!なんでカタカナなの!?」


「ユイ……声大きいよ……」


「あ、ごめんなさい……」


 万条の大きな声に、何人かの生徒がこちらを見てきた。万条は、小さく謝りながら、また教科書見始めた。が、再び、頭の中でカタカナが混在し、嫌になり、ついには、教科書から目をはなしまった。


「流れで覚えると覚えやすいわよ」


 うしろから聞こえてきた声は、冷静だった。万条は振り向くと、大花が試験とは関係ない分厚い本を持って、万条の世界史の教科書を見ていた。万条はびっくりした。


「え?」


「さっき大きな声出していたでしょ。世界史(それ)が問題なんでしょ?」


「う、うん……」


「例えば、そのページ。単語だけを追うんじゃなくて、歴史的な流れの中でその人がどんなことをやったか、どんな人だったか、想像しながら読むといいわ」


「え、う、うん!わかった!やってみるね!ありがとう!」


「いえ、いいわこれくらい。図書館で毎回、騒がれたらワタシの読書もままならないから」


「ぐ……ごめん……」


 大花は、万条たちが座る机の横にある机に座って、本を読み始めた。万条は大花の方を見て、ボーっとしていた。


「ちょっと、ユイ。ボーっとしてるよ」


「あ、はい!ごめんなさい……」


 万条はその日から、今までやっていなかった分を取り戻すように、一生懸命に勉強した。ミキが監視していることもあってか、万条は勉強せざるを得なかった。2人はその日から、毎日図書館へ行っていた。また、大花もその万条たちの横の机に座って、本を読んでいた。だから万条は、時々、分からないことがあると大花に聞きに行ったりもした。それに大花も毎回、教えてくれた。大花の説明は分かりやすく、万条の分からないことが、大花に聞くとどんどん解決していった。次第に万条は、分からないところがあると、ちょっと嬉しかった。なぜならば、大花と話すことができたからだった。

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