第3話 万条の勧誘
翌日。オレは昨晩あまりよく眠れなかった。
昨日起こったことがオレにとってはあまりに非日常であった。クラスの人気者というべき万条に話し掛けられ、オレの家までやって来たかと思うと、「部活を一緒にやろう」などと言われ、内心でそわそわしていた。今までのオレの日常、即ちオレの怠惰っ生活は危機に瀕していたからである。
朝。オレはいつもよりも早く目が覚めてしまった。昨日の万条を思い出すだけでオレは、動揺していた。今日もまた昨日のように話し掛けられ、家まで跡を付けられ、あの壮快な調子で「部活をやろう!」などと言われてしまうのではないだろうか。オレは学校へ向かう途中、どうやって万条を避けるかを思索していた。その時、オレはふと自分のやっていることが馬鹿げていると思った。
オレは何をこんなに考えているんだ?もしかしたら万条は話し掛けて来ないかもしれないじゃないか。第一、オレは部活をやるつもりはないんだ。ならば、話し掛けられたとしても、白々しくしていればいいだけじゃないか。そわそわする必要もない。
しかしオレは油断していた。万条は昨日部活をやらないと言ったオレに対して更に部活の勧誘をするようになったのである。朝オレが教室に来た途端に向こうからこう話しかけて来たのであった。
「よっ!そこの暇そうな君!部活やらないかい?」
朝の第一声がそれか……。
「誰ですか?あっち行ってもらえませんか?」
「だ、誰って!同じクラスじゃん!」
「そうなんだ。初めまして。そしてさようなら」
そう言って音楽を聴こうとすると万条はそのイヤホンを取り上げて、
「部活のことなんだけど」
と怒ったようにオレに顔を近づけて言った。その近づいてきた顔から眼を逸らし、オレは続けた。
「ちょっと。誰ですか?」
「同じクラスの万条ユイです。よろしく!」
「そうなんだ。初めまして。そしてさようなら」
オレは携帯電話をいじりながら、自分の席へ向かった。
「ちょっと!何回やるの?」
「ん?誰ですか?」
「万条ユイです!次はさようなら、禁止ね!」
「そうなんだ。初めまして。グッバイ」
「英語もだめ!」
「おいおい。なにやってんだ?八橋~。今日は来るのが早いな!それにしてもお前ら朝からよ……って……八橋と誰かが話してる!?え!?しかも何で万条さんとっ!?」
そうしていると登校してきた谷元が話しかけてきた。
「ああ、ちょうどいいところに来たな。助けてくれ谷元。オレの目の前にいる万条はどうやら耳が悪いらしくてな。何を言ってもキリがないんだ」
「え?そうなのか?て、ていうか八橋!万条さんといつの間に友達になってたんだよ?」
「は?友達?誰と誰が?」
「お前と万条さんだよ」
「え?違うぞ」
「えーーーーー?ひどい!そうなの!?」
「そうじゃないのか?」
谷元はそのやり取りを不思議そうに見た後に言った。
「まぁ、よくわからねぇけど、まさか八橋に先を越されるとはな……」
「先を越される?」
「い、いや別に。ていうかどういうきっかけで友達になったんだ?ま、まさか八橋から話しかけたとか!?」
「そんなわけないだろ。何でオレがこんな頭の中お花畑みたいな奴に話しかけなきゃいけないんだよ。ていうかさっきも言ったけど友達じゃないし」
万条はそう言ったオレに対抗して言ってきた。
「あ、頭の中お花畑じゃないし!ハッチーこそケチのくせに!」
「あ、ていうか今思い出したけど昨日の焼そば代返せって」
「嫌だ!絶対いやだあぁ!」
「おい。まさか返さないつもりか?昨日は大目に見てウーロン茶代は取らないでおいたんだぞ?それなのに焼そば代さえも払わないって言うのか!?」
「普通焼そば代なんてとらないでしょ」
「なんだよ普通って。それはお前の普通だろうが」
谷元はその少し喧嘩じみた会話を聞いて言った。
「おいおい。二人ともよく分かんねぇけど落ち着けって。ていうかやっぱり友達じゃないのかお前ら?」
「違う。ただのクラスメイトだ。それ以上でもなければそれ以下でもない」
「違うよ!部員でしょ!ハッチー入部したじゃん!」
「おい。なんで過去形なんだよ。ふざけんな」
「ハ、ハッチー?」
谷元はその二人の会話を訳の分からない顔をして聞いていたが、その後に笑って言った。
「そうか!まあよくわからんが八橋よかったな!入部おめでとう!」
「は?お前までまた……」
「いいじゃねぇか!万条さんこんなに誘ってくれてんだし。それに八橋暇じゃん」
そう笑いながら谷元は言った。
「何を言うか。オレは暇をしていて忙しいんだ!」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
その日、朝から万条に話し掛けられ、谷元に万条と友達であると誤解されたまま昼休みがやって来た。オレは通常運行、安全運転であのベンチに行こうと席を立とうとした。
するとまたもやその時、背後からもう嫌になりそうな台詞が聞こえてきた。
「よっ!」
オレはその声と同時に肩をポンっとされた。見てみると万条がいた。
「またお前か」
万条はニコっと笑いながら言った。
「ねぇ!ついて来て!」
万条はオレの腕を掴み取り、どこかへ連れていこうとした。
「ちょ……いきなりなんだよ」
腕を払おうとするが、万条は腕を思ったよりも力強く掴んでいたので振り払えなかった。万条がなすがまま連れていかれた。すごい力だな。女子力(じょしりょく)高いな。
しばらく万条に連れていかれて気が付くとそこは学食であった。生徒たちがたくさん集まり昼食を食べている。オレはここ学食に来たのはこれで2回目である。初めて来た時は高校1年生の頃、一人で食堂がどんなものなのか見物がてら行ったきりである。しかし行ったはいいが生徒の数と彼らの話し声の多さに圧倒され、居心地が悪くなり、結局学食に滞在した時間は3分あるかないかくらいであった。
「ここで話そう」
万条は空いていた席を見つけて、やっと腕から手を放してからそう言った。
「え?わざわざ何でここまで来たんだよ」
万条はなかなか座らないオレの両肩に手を乗せて、体重をかけて無理やり座らせた。
「そこ座って。はい飲み物。お茶ね」
万条はペットボトルのお茶をオレに渡した。
「あ、ありがとうございます。じゃなくて何?こんなとこまで来てさ」
「もちろん部活の話だよ」
「なんでここなの。ていうか入部してないよ?ていうかぶっ飛ばすよ?」
「あはは!」
「あははって……話聞いてる?」
「あ、ワタシちょっと何か買ってくるね。待ってて」
「お、おい!ちょ!」
万条は何かを買いに行ってしまった。周りの人たち話している会話が否応なく聞こえてくる。オレはお茶を飲みながらあたりを見まわした。
周りはほとんどが誰かと一緒に昼ご飯を話しながら楽しそうに食べ物をつついてる。いや、むしろ昼ご飯を食べながら話していると言った方がいいかもしれない。オレにはまるでその昼食は誰かと一緒にいるためだけの媒体としてしか見えなかった。楽しそうに食べ物をつついてる。
「どうしたの?ハッチー!なんか変な顔してるよ!」
「え?」
いつの間にか万条がパンを持って戻ってきた。
「もともと、こういう顔なんだよ。変な顔で悪かったな」
「いや、普通にしてれば、そんなことないと思うけどさ。でもさっきはなんかすごい目つきで周り見てたよ」
へ、変な顔じゃないだとっ?オレが?どんなセンスしてるんだ。っておい。いま、どんなセンスしてるんだって言った奴、ここに並べ。
「褒めたって何も出ないぞっ。そのパン奢ろうか?」
「あはは!大丈夫だよ!何で周り見てたの?」
「いや別に」
「ていうか前から思ってたけど時々ハッチーってすごい顔つきするよね?なんていうかこわいというか。近づきづらいというか」
「そうですかい」
万条の部活勧誘の方がこわいけどな。
「でもさ!だからさ!一緒に部活やろうよ!絶対に楽しいよ!」
……またその話か。部活なんてくだらん。やはりダメだ。仕方ない。こちらからしかなくてはいけないのは癪だが、どんなに話を逸らそうとしてもダメとなると、はっきり言うしかない。
「悪いけどさ。オレは部活なんて入らないよ。はっきり言っとくけどさ、迷惑だから止めて貰っていいかな?ほんとにウンザリしてたんだ。それに部活だとかそういうのほんとに嫌いだからオレに勧誘なんて今後一切やめろ」
オレは万条の眼を見て、冷徹に、表情を変えず、淡々とした口調で言った。
よし、ここまで言えばいいだろう。さ、帰れ帰れ。
「…………」
万条は俯いて黙り込んだ。前髪で万条の表情は隠れてしまい、買ってきたパンは開封されたまま、手を付けていなかった。
この様子を見れば、さすがにもう退くだろう。
「…………」
万条はしばらく沈黙を続けた。
言い過ぎたか?だがこれくらい言わないとダメだ。そうしないと分からな奴もいるんだ。自覚は芽生えさせた方がいい。
「じゃ、オレ行くわ。じゃあな」
オレはお茶一気に飲み干してからそう言った。するとそれまで俯いていた顔を上げて、万条は大きな声で真面目な顔をして言った。
「……嫌だ!!!一緒にやろう!」
「え?」
なん……だと?しかも声デカいよ。
万条の声に驚き何があったのかと周りの人がこちらを見てきた。
「ちょ、声デカいよ」
「あ……ごめん」
「まあいい。つまりは部活やらないから。ほんとうに迷惑だからやめろ。じゃいくわ」
オレは席を立ってその場から去ろうとした。すると万条は立ち上がり、
「ワタシ、諦めないからね!」
と意地を張ったように万条は言うのであった。オレはそれを見向きもせずにそこから立ち去った。
……どんなに拒否しても来るなんてもうどうしようもないじゃないか。
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