第49話 寝顔

「前ー!」


その声と共に、俺は前に進んだ。真っ暗な視界。浜辺の砂を踏む感覚。太陽の照り付ける日差し。額から垂れ流れる汗。汗が頰をつたり、地面へと落ちた。その瞬間にオレは声を出して言った。


「ここか!」


その瞬間に周りでは笑い声がヒソヒソと聞こえたことに気がついた。オレは、目隠ししていたタオルを取り、視界を取り戻した。おそるおそる目を開けてみる。目を開けると、そこには綺麗な丸い形をした緑と黒のしま模様の入ったスイカが地面にあった。当たらなかったのか。


「ハッチー!何回目?もう五回はやってるのに一回も当たってないよ?」


「あー、まぁそういうこともあるだろう」


「八橋。ほんとに下手くそだな」


「うるさい、立花。お前もやってみたらオレの大変さがわかる」


「大変さって……」


 すると、オレのスイカ割りの才能のなさに呆れた富永は、皆に言った。


「そんなことよりも、下手くそのせいで、この割れなかったスイカどうするんだ?」


「そうだねヒイちゃん。う〜ん」


  万条は悩んだように手を顎に当てて考えていた。オレは何をそんなに考えることがあるのかと思い、そのまま当然のように言った。


「普通に切って食べればいいじゃん」


「……」


  すると、みんなは何も言わずにオレの方を見た。万条、富永、立花、大花、姉さんは尽く目を細めて、呆れているようだった。


「え?オレ何かした?」


「あんた。せっかくのスイカ割りなのよ?スイカを割らないで食べるなんて……」


「え、でも普通に綺麗に切ったほうが美味くないか?均等に分けることだってできる。みんなもそう思うよな?な?」


「……」


  再び、オレに冷ややかな目線が送られる。つらい。


「はぁ」


  万条は深いため息をついてから、


「そうしようか。ハッチー永遠に割りそうにもないし」


「そうですか……なんかすいません」


  オレ達は先ほどの海の家まで行って、包丁を借りに行くことになった。そのついでに荷物もその海の家に置かせてもらえることになり、オレたちは場所を改めたのだった。

海の家についてから、万条は包丁を借りて、スイカを均等に切っていた。その包丁を持つ姿は、何か様になっていた。普段から、料理とかするのか万条。


「意外と包丁持つ姿、様になってるな」


「え?それどういう意味?」


「いや、そのままの意味だけど……」


「あ、そう……ハッチーのことだからまたワタシを何か恐ろしいものにしようとしてるのかと」


「それにしても包丁は物騒すぎるだろ」


  万条とオレはいつものような他愛もない会話をしていた。オレは、その会話に続きにふと言った。


「お前、料理できるのか?」


「え?うん。まぁ人並みにはね」


 何かどこかで聞いたセリフだ。ああ、そうだ。オレの家に万条が初めて押しかけてきた時のこと———万条は焼きそばをオレに作るようにせがみ、結局オレは作ることになったんだったなぁ。あれももう何ヶ月も前のことなのか。

オレはつい、昔のことを思い出して、ぼーっとしていた。


「どうしたの?」


「いや。あの時は、料理できる感じなかったけどなお前」


「あの時?」


  万条は少し、手を止めて、思い出そうとしていた。オレが、『万条がオレの家に初めて来た時』と言おうとすると、万条は自分で、見当のある記憶を見つけだして、オレに言ってきた。


「ああ、ひょっとして初めてハッチーの家に行った時?」


「そうそう」


「あの時の焼きそば美味しかったよー。また作ってよ」


「あ、そういやあの時の焼きそば代まだ返してもらってないな」


「え!まだそれ言うの!ちょっとなんて言うか……予想通り……」


「おいおい。お前、相当に失礼だぞ」


「あはは」


 万条は当時のことを思い出すかのように笑った。


「で、お前、普段料理とかするのか?」


「うん。するよ」


「親に作ってもらわないのか?実家だろ?」


「あー、なんて言うか」


 万条はその瞬間に、少し目線をそらして間を置いた。オレはその表情を見て、自分が軽い気持ちで尋ねたことに少し、申し訳なさを感じた。そして、それと同時にびっくりした。

ひょっとしたら、万条の家は……。


「ワタシの家、母子家庭なんだー」


 オレがその先の答えを出す前に万条は、そう言って見せた。オレの表情を悟ってなのか、どうしても先に言いたいと思ったのか、それを言った時の万条は、どこか開き直ったような、笑顔でもなく、かと言って笑っていないこともない何とも言えない表情をしていた。


「そうだったか」

オレはその時に大したことも言えなかった。万条が母子家庭だったことに対して、オレはやはり驚きを感じていた。普段、辺り構わず突き進む元気な万条が、家庭内でそのような暗い面があったことが意外だったのだ。だが、オレは大して心配には思わなかった。それは万条の表情がそのことを色々と気にしているような表情ではなかったからだ。


オレは続けて言った。


「まぁ……」


 オレはその後を言うのに躊躇った。顔が少し赤くなり、万条の顔を見るのが恥ずかしくなった。


「え?何?」


  だが、オレは万条に対して、思っていたことを言った。


「何かあったら、オレに言えよ」


「え」


 万条は目を丸く見開いてオレのことを見ていた。しばらくの間、固まったようにオレのことを見ていた。しかし、その睨めっこにも飽きたのか、


「ぷっ」


 と、吹き出して、大笑いし始めた。


「え、何で笑われてるのオレ」


「いや、だってさー」


 万条は包丁をまな板において、手で腹を抑えて笑っていた。そして、笑いに笑ったくしゃくしゃな顔でオレに言った。


「ハッチー、ほんとに変わったね」


「え?」


  オレが動揺して、何も言えずにいると、万条は続けて言った。


「ハッチー、前までは絶対に人の事情に踏み込もうとはしなかったじゃん、今日だって、さっきワタシたちのこと助けてくれたし、なんていうかさ」


万条は笑いを落ち着かせると、軽く深呼吸し、安心したように言った。


「よかった」


 その万条の顔はどこか輝いているようで、それはどこかで見たことのある表情だった。万条と立花と初めて一緒に帰った日、万条の笑顔が輝いて見えたことがあった。輝いていると言う表現は確かに大げさかもしれない。言葉にすることは難しいのだが、それはどこか心にくる笑顔だった。

オレは、恥ずかしくなり、万条から目線を逸らした。目線を逸らして、万条が切っていたスイカに目をやった。赤く、所どころに小さな真っ黒な種のあるスイカは綺麗に六当分されていて、どこか瑞々しかった。





               ○  




 夕方。

 気が付いたら、海にももう人が少なくなっていた。オレ達もそろそろ帰ろうということになった。人ゴミの多かったその海は、昼間とは違って綺麗に見えた。すっかり水着から普段着に着替えた皆は、帰り支度をしていた。オレは帰り支度をすると言うほど、荷物がなかったので、静かに一人、海が打ちひしがれるのを見ていた。その海を見ながら、昼間に万条に言われたことを思い出していた。


「ハッチー、ほんとに変わったね」


——オレは変わったのだろうか。道楽部に入ってもう何ヶ月か経つ。それまでのオレは家で怠惰に一人で過ごす孤高の高校生だった。そう言われてみれば、生活はかなり変わっている。それに……思い出したくはないが……道楽部が廃部の危機になった時、オレは涙を流して生徒会長に懇願までした。万条の言う通り、オレは変わっているのかもしれない。

 今までは中学生の頃の部活のトラウマから人と関わることが嫌だった。人を助けることが嫌だった。でも、オレはさっき万条にも言われたように、自然と万条達を助けていた。それはオレが考えることもなく、体が先にとった行動だった。

何か、今までにあった枷がなくなっているかのように思えた。それは少し、寂しくもあったが……。


「夜の海は真っ暗だな」


 オレが一人で波を見ていると冨永は帰りのしたりが終わったらしく言ってきた。


「ああ、そうだな」


  富永は黙って海を眺めている。オレも海の波の音を聞きながら静かに眺めた。


「あれ?万条さんがいないぞ!」


 突然、海の家で立花が大声で言い出した。


「暗いから気付かなかったけど確かにいないわね」


「え!ユイちゃんどこー!?」


 大花と姉さんも心配したかのように、言葉を零した。確かに、気付かなかった。だって、そんな事より海が素晴らしいだもん。


「大丈夫だろ。どうせトイレとかだろ」


すると、どこからともなく聞き慣れた声が聞こえてきた。


「みんな~!お待たせ!」


 と、噂をしていたら御本人の万条のご登場だ。別に待ってはいないのだが。


「どこ行っていたのだ?」


「やけに元気な感じだが、もしかしてまだ何かやるつもりか?」


「え?よくわかったねハッチー!」


「もう帰ろ———」


「なんと!花火買ってきた!」


「お!花火か」


「花火いいね!」


「ウヒョー!花火とか久しぶり〜!」


「良いわね花火」


「おいおいお前らな……」


 オレは浮かれたみんなを冷静に諭すように言った。


「いいか?こんなところで花火なんて許可もとってないんだぞ?確かに人は少ないがそれにしてもルールを守らない奴は——」


「許可ならさっきとったよ!」


「え?」


「海の家の人に。それにここの海はゴミを持ち帰る前提で、花火がオーケーなんだよ?」


え……。そうなの。先に言ってよ。


「家に帰ってから各々でできないの?」


「そんな訳ないじゃん!いまやるの!」


「あ、あははーそうですよねー」


「やるよね?」


オレに万条はそう言う。これもいつもの流れである。


「仕方ないな」


 今日のことも、思い出となるのだろか。この先、皆といるこの時間も。未来の自分はこの過去となった時間を美しいと、素晴らしいと思うのだろうか。

 オレたちは存分に海を楽しんだ。贅沢な話で、全員はくたびれた様子で車に戻った。車に戻ると、富永の母親が運転席に座っていた。てか、この人、今までどこに居たんだ。

周りのみんなはお疲れかぐっすり眠って居た。オレはどんどんと遠くなる海を眺めていた。次第に海は見えなくなり、オレも静かに目を閉じてしまうのであった。



「さ、着きましたよ」


 オレは目を覚ました。目を覚ますとオレの家の前であった。どうやら車に乗っていたのはオレと万条と富永、姉さん、富永の母親であった。姉さんは寝ぼけたままに起き始めていた。万条と富永は依然として眠っていたままだった。富永の母親だけが一人で起きて運転していたらしい。


「すみません、家の前まで送ってもらってしまって……。立花と大花はもう?」


「ええ、さっきおくりましたよ。二人とも帰られました」


「そうですか」


オレはそう言った瞬間に右の方に何か体重がかかるのに気が付いた。ふと、横を見ると万条が寝ていた。オレの方に体を倒して、万条の髪の生え際が上から見えた。オレは動いて、降りようにも、どうしようかと思った。そのまま、オレはゆっくりと反対の方向に万条の体を倒した。その時、つい寝顔を拝見してしまった。目を閉じて、寝息がかすかに漏れていた。なんて無防備なんだ。すっかり安心して寝ているな。気がつくとオレはしばらくその寝顔を見ていた。しかし、我に戻り、オレは寝ぼけている姉さんをひきづり出してから、富永の母親に言った。


「じゃあ、姉と一緒にここでおります、送ってもらってありがとうございます」


「いえいえ。またよろしくお願いしますね」


「はい。ありがとうございました」




                 ○




 次の日。

 昨日の朝の騒ぎが嘘のように静かな朝だった。テーブルを見ると机に手紙があった。姉さんだろうか。オレは手紙を開いた。


 ひとまず帰ります。昨日のアンタを見て、ちょっと安心しました。中学を卒業したあたりからあんたは何か生きる気力のようなものを失くしていたように思えたので。あとコ達にもよろしくね。アンタに居場所が出来たみたいで良かったよ。


「姉さん……」

 オレはその後、後ろをめくってみると、まだ文章があることに気がついた。それを見てみた。


 P.S.

 ユイちゃんと付き合ったら教えなさいよ!


「……なんていうか、この手紙、ウザイなぁ」


 オレは手紙をゴミ箱に捨てた。


「昨日は疲れた。もう一回寝るか……」

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俺は暇をしていて忙しいっ! ふくらはぎ @hukurahagi

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