第30話 全部、万条のせいだ

 部活を出なくなって数日が経っていた。オレは廃部まで期限が迫る中結局、オレは何もせずにいた。オレはいつものようにそれをただ見ているだけであった。今となっては万条もオレのことを連れ出しもしなくなった。以前のように腕を掴まれることもないのだろう。

 昼休み。オレはA組の教室の自分の席に座っている。万条の席を見るとそこは誰も座っていなかった。部室で作戦会議でもしているのであろう。すると谷元がパンを食べながら話しかけてきた。


「よう、八橋。今日はここなのか?」


「おう、谷元。そうだな」


「で、最近はどうなんだよ?万条さんとよ!」


「大丈夫だよ。まぁまぁだ」


 オレがそう言うと谷元は不審そうな顔でオレを見て言った。


「え?ちょっとお前なんか変だな。お前が『まぁまぁ』だなんていうのは。いつもならそうでもないのに最悪だとか疲れてもないのに疲れた、とかなのによ」


「そうか?気にし過ぎじゃないか?何もないぞ」


「そうは見えねぇぞ。どうしたんだよ。最近、また前みたいに無表情になってたからおかしいとは思ってたんだがよ。まぁ何かあればオレに頼れよ」


 谷本は、親身に言ってきた。その表情は、かつて雪が降った日の時のように、頼もしく思えた。だが、オレは、谷本の厚意に甘えることはしなかった。


「……ああ」


「おい!谷元いるか!」


 急に咲村先生がやって来て、谷元を呼んだ。


「え?なんすか先生。っげ!まさか宿題?宿題は明日出すんで見逃してくださいよ~」


「いいから来い」


「うえ~。じゃあオレは今から地獄の拷問の時間だぜ……またな八橋」


「ズべコベ言わずに早く来い!まったく……」


 谷元……。生きて帰ってこいよ……。



      〇



 放課後になった。放課後までは時間が長く感じた。オレは帰宅しようと教室を出た。下駄箱で上履きを履き換えようとしていた。すると、気が付くと富永が後ろに立っていた。オレは富永が来たことに気が付いた。オレの前に立って富永は怒ったように言った。


「おい。八橋」


「なんだよ。こんなところで」


「今日も、抗議に行くんだ」


「……そうか」


 オレがそう言うと冨永はさらにイライラし始めて言った。


「この前約束してくれたよな?」


「何を?」


「山を登った時だ」


 ……あぁ。


 オレは思い出した。富永が真剣な表情で、頼んできた約束を。


「でも、それが今さら何だって言うんだ?」


「約束してくれたじゃないか。誰かの味方になってやってくれと。なのに……」


「それはそうだが……やっぱりオレは誰かの味方なんてなりたくない。約束、守れなくて悪い」


「お前はいつもそうだ!肝心なところでは動かない!この前約束してくれたよな?誰かが困っていたら助けてやってって!助けることは出来なくても助けようとしてくれ、味方になってあげてくれって!アレはなんだったんだよ!それにワタシは言ったよな?何かあったらワタシでもいいから頼ってくれよ!そんな無表情な顔してよ!」


「でももう関係ないことだ」


「お前は……お前は……どうなんだ?本当にいいのか!?本当にもうなくなるんだぞ!お前だって嫌なんじゃないかよ!楽しそうだったぞ!ワタシは嫌だぞ。ワタシはやっと見つけた居場所なのに……またワタシは……」


「オレは元々……一人が好きなんだ……」


「………信じていたのに」


「え?」


「ワタシはお前が何だかんだ本当は部活を好きだと信じていたのに。傍観者を気取っていたが一番お前が部員のことを一人一人見ていた、いや傍観者だからこそか。でも、それでも……」


「……それは勝手に信じたお前も悪い。オレは冷たいんだよ」


「お前は……テストの時、ワタシに言ってくれたよな?ワタシを必要としてくれてる場所があるって……。なのに……。一歩踏み出すことの、何がそんなに嫌なんだよ?」


「嫌なこと何てない。今まで通りに戻るだけだ」


「また繰り返すのか!?だったら何でそんな面してんだよ!そんなんじゃ何も変わらねぇぞ!臆病者!」


 感情が昂ぶった冨永からの言葉は今のオレが一番言われたくない言葉であったせいか自分まで頭に血が上ってしまった。


「ああ、そうだよ………逃げて何が悪いんだよ。簡単に言うんじゃねぇよ。それに元々オレは部活なんてやるつもりはなかった。勝手に押し付けてくんな。いいじゃないかよ。そもそも会うことだってなかったはずなんだ。オレなんていなくていいだろ」


 富永は手を弱弱しく挙げた。オレは答えた瞬間に、富永に反応がなかったので前のように頬をビンタされると思い、目を瞑った。しかし富永は頬を払うことはなかった。目を開けると、冨永は目を潤わせていた。顔を俯かせて、手を目にやって、涙を払いながら、震えた声で言った。


「ワタシは……ワタシはそんなことを一回も思ったことはない!……バカ!!」


「え?」


 冨永は走って行ってしまった。オレはそれをただ佇立して見ていた。その泣いていた富永の顔を見て、オレは、また中学時代のことを思い出していた。



 ――オレを慕っていた後輩がだんだんとよそよそしくなっていったこと。部活を辞めた後、同級生の誘いも断り続け、それに伴い、友達はどんどんと減っていき、一人で家に籠りがちになっていったこと。活発で明るく、何事も率先して物事をやっていたオレが、どんどん根暗になり、目立たなくなり、捻くれてしまい、クラスや友達から存在を忘れられたこと。そして、片桐が泣いていたこと。

 それら、全てがオレにとって、思い出したくないことだった。それらを思い出すたびにオレは、自分が片桐へやったことへの後悔と、他人への無関心さが増していき、自分が嫌いになっていった。

 それで、オレは、一人を好むようになり、何をするにも怠惰になり、外の世界に出ようとすることも、興味を持つこともしないようにした。暗い自分の部屋で、天井を見ながらただ思った。


 ――自分は、一人がお似合いだ。




 オレはしばらくの間、下駄箱の前で、呆然と、立ち止まっていた。


 オレはやっと我に返り、再び、下駄箱で上履きからローファーに履きかえようとした。


「間に合った……」


 聞きなれた声が、後ろから聞こえた。その声は、少し焦ったようにだった。


「なんですかまた。お節介ですね。」


「そうだな。私は少しお節介すぎるかもな」


 そこにいたのは、珍しく、息を切らせていた、咲村先生だった。


「聞いたぞ。谷元から」


「はい?宿題のことですか?」


「いや、お前の中学時代だ」


 オレは動揺した。しかし、オレをそれを隠した。


「そ、そうですか……、谷元の奴……あいつもお節介だな」


「谷元も言うつもりはなかったらしいが、最近のお前を見て、ワタシに聞いてきたんだ。『最近、八橋何かあったんですか?』ってな」


「そうですか……せっかく走ってきてもらったところ、悪いですけど、オレは帰りますんで、じゃあ」


 オレは、ローファーを床に落として、履こうとした。咲村先生は靴を履かせることを阻止するように、オレの前に立った。


「全く……谷元という頼るべき友達がいるのに何故、相談しないんだ?」


「あの、靴が履けないんですけど……」


「私の話が先だ。私は先生だぞ?」


 咲村先生は笑っていた。先生の質問は答えたいものではなかった。しかし、今のオレにはもう道楽部とは関係がないので、何を話しても変わらないし、これから道楽部と関わりもなくなるし、咲村先生とも、ただの「担任」と「生徒」の関係に戻るだけだ、と思い、オレは、呆れたように、溜め息をついてから、言った。


「はぁ。谷元は、皆に優しい奴なんですよ。あいつは、だらしないけど、いつだって正義感があるんですよ。さっき谷元からオレの中学時代の話聞いたでしょう?その時だって、オレに対して態度を変えることはなかった。いつものように接してくれたんです。そんな良い奴に、迷惑かけたくないじゃないですか」


「おまえ……」


「それに、オレは他人に頼りたくない。いつだって一人でどうにかしてきたし、助けなんて求めたこともない。常に現状を受け入れ、それに対応していけるんですよ。簡単なことです。ただ割り切ればいいんですよ。何かを捨てて、何かを得ればいいんです。それでオレは怠惰を得たということです。だからやっと手に入れたものなんです。慣れてきたんです。それでいいと思っているんですよ……。それで、どうでしたか?オレの中学時代の話は?よくある話でしょ?まぁたいしたことない話ですよ。誰にだってありうることですよ。そう、誰にでもある話なんです。何か嫌なことなんてない方がおかしいんですからね、だからオレはそれを教訓にしているだけなんですよ。もう、あんなことは繰り返すことのないように、オレはただ気を付けているんです。まぁそんな感じですよ。もうだいたい話したので、もういいですね?もうオレのことは放っておいてください。それじゃ、オレ帰りますんで――」



オレはローファーを履こうとした。すると、咲村先生はオレの方へ近づいてきた。オレは、その時、起きたことが理解できなかった。咲村先生はオレの頭を撫でていたのだった。先生は優しく言った。



「八橋。いままでよく頑張ったな」



 オレは、その台詞を聞いた瞬間、ローファーを履くことを止めた。そして高校生になってからの自分を振り返った。



 ――オレは高校生になってから、ずっと感じていた。……。部活動をやっている生徒、放課後におしゃべりをしている生徒を見て、友情ごっこをして何が楽しいのか、と。周りの生徒達は何も考えずに、呑気な奴ばっかりで……でも、その反面、楽しそうに話していた彼等に嫉妬していた。

 そして、またオレは一人の時に感じていたのだ。ふと、訪れるとてつもなく寂しい感情に襲われ、一人、家で、ダラダラとやりたいことをやって、有意義であるはずなのに、何かが足りない、と。



 咲村先生の言葉に何故か、感動していることに気が付いた。オレは咲村先生に「いままでよく頑張ったな」と、言われて、気が付いたのだ。



 ――オレは、このたった一言を、ずっと誰かに言ってもらいたかったんだ……。


 震えた声でオレは言った。


「なんでそんなに優しくするんですか先生……オレは見返りなんてあげられないのに」


「よくある話だが、だからこそ、人から優しくされ、それを受け入れるべきだ。言っただろ?世間は思ってるよりも優しかったりするんだ」


 オレの頭を撫で続ける先生にオレは言った。


「せ、先生は……」


「ん?なんだ?」


「先生はなんでオレを部活に入れたんですか?知ってたんですよね?オレが人を避けてたのも、その理由も」


 咲村先生は少し悩んだ後に、オレの前に立って、笑って言った。


「う~ん、そうだな。お前はまだ間に合うと思った。それだけだ。大人を甘く見るなよ。私だって学生だったんだからお前らを見てればある程度はわかるんだよ」


 咲村先生は再び、しばらくしてから言った。


「じゃあもう私は行くぞ……あと、部室にもう一度行ってみたらどうだ?」

咲村先生は行ってしまった。オレは咲村先生の言葉を思い返し、急に胸騒ぎがした。オレは下駄箱にやっぱりローファーをしまい、知らず知らず部室へ歩いていた。



 部室まで行く途中は数々の部活があらゆる学校という枠内で活動をしていた。オレは今まで気にしたことがなかったが、多くの部活が活動していることを知った。校庭では野球部員やサッカー部員が練習をし、ベンチにはマネージャーと呼ばれる女子がそれらの部員達を見守っていた。校庭の裏では、吹奏楽部員がトランペットの練習をしており、少し歩いたあと、耳を傾けるとまた音楽室から、金管楽器、打楽器などの音が漏れて聞こえてきた。体育館前を通ると、バスケットボール部の部員達のシューズが擦れる音が聞こえた。

 オレは部室に辿り着いてから、オレは妙に緊張してドアを開けた。しかしそこには誰もいなかった。


「……あれ?誰もいない。そうか抗議に行ってるんだ」


 誰もいない部室へ着いてみると、オレは気が抜けてしまった。


「なにやってるんだオレは……」


 静かに部室を出て、やっぱり家に帰ろうとした。その時、ふとオレは部室の隅に置いてあった道楽部活動記録ノートが目に入った。


「こんなのあったな。そういえば」


 それを取り、パラパラとめくって見てみた。何故だか再びオレは力が入った。


「あれ?」


 オレは驚いた。白紙に近かったそのノートは以前とは違って今年の欄はびっしりと書かれていた。


「いつのまに」


 そうぼやいた後でそれを見てみるとそこには、万条をはじめ、立花、富永、大花がノートに自分の思ったことを書き込んでいた。以前見た去年のページのように、秩序なく、粗雑に、しかしながらびっしりと書かれていた。ファミレスに行ったこと、富永の家で遊んだこと、ボーリングしたこと、山に登ったこと、テストを全員で頑張ったこと、など今までのことがノートに残っていた。万条に至っては1日も欠かすことなく、楽しいとの一言を書き込んでいた。

 ページをめくっていくと、時々ハッチー、八橋という名前が書かれており、オレはそれを読んで、何とも言えない気持ちになった。その書かれたことを見るたび、自然と顔がにやけてしまっている自分に気が付いた。


「あれ?」


 オレは無我夢中にノートを次々にめくった。めくる度にオレは道楽部の部員の一人であったことに気が付いた。咲村先生が言ったことが今になって分かった気がした。


「そうか。オレは楽しんでいたんだ……」


 すると、オレは最近の記録を見て驚愕した。それは万条の書いたものだった。


 とうとうもう。このまま終わりなんて嫌だよ。ハッチーも来ない。ワタシはハッチーが嫌がってるのを分かってて、部活に誘った。でも……ハッチーは……。ワタシって最低……。だからハッチーにはもう迷惑はかけないことにした。寂しいけど……。帰って来てほしいけどハッチーが辛い思いするくらいなら……。せっかく集めたメンバーなのに、みんな大好きなのに………このままだと部活がなくなっちゃうよ。誰か助けて


 と、書いてあった。オレは、動揺した。「誰か助けて」という、その一言を見てオレは後悔した。なぜこんな一言を。こんな辛い一言を言わせてしまったのだろうかと。いつも笑ってみんなの先陣を切り、楽しいことに自分からとびこんでいく万条が……。万条が助けを求めて弱音を吐くなんて信じられない。あの無鉄砲で何をしでかすかも分からない、あの元気な奴が……。


 ――いや、違う。


 オレは道楽部員のことを思い出した。立花は、普段からニコニコしていて馬鹿で何も考えてなさそうな奴だが、繊細で傷つきやすい奴で、富永は傲岸不遜に見えるが、自分の弱さを隠すために強がっている奴で、大花は、どこか抜けていそうだが、いろいろ考えている奴で、万条だって、元気でうるさくて目障りな奴だけど……。

 オレは自分で望んだ部員達を投影していただけだった。オレはこんなに万条が、部員達が部活を大切にしておきながら、それを知っておきながら廃部の件も他人事だと思ってきた。しかし皆は最後まで諦めていなかった。オレは部活がなくなるものと割り切って、存続するかもしれない可能性まで0にまでしてしまっていた。1、可能性があったかもしれないのに。



 気が付くと、オレは急いで部室を出て生徒会室へ向かっていた。何かにかられたように走り出していた。

 普段走らないのに。ましては何かのためになんて走るなんて。しかも、あんな記録帳ごときでオレの気持ちがこんなになるなんて。

 あんなもので踏み出せるなんて……。



 生徒会室は第2校舎の最上階にある。オレは階段で最上階にまで上がった。生徒会室に着くと、生徒会室の前で、オレは深呼吸をした。手の汗を拭き、そしてドアを開けた。


「失礼します」


「えっ⁉ハッチー?」


 万条はオレが入って来てから、すぐにビックリした。富永や大花もビックリしていた。オレは生徒会長の机の前まで歩いて行った。


「何かしらあなた。いつも抗議しに付いて来ては、何も言ってなかったわよね」


「はい。今日のために何も言わなかったのです」


「はい?今更、あなた。何しに来たの?」


 オレは再び、ゆっくりと深呼吸して言った。


「会長は大切な居場所はありますか?」


「いきなりね。まぁそれはあるわよ」


「じゃあそれがいきなりなくなったら、どう思いますか?」


「そりゃ困るわよ」


「ですよね。今、オレは困っているんです」


「え?」


「オレは……」


オレは息をついてから言った。


「オレは……道楽部なんて馬鹿みたいな部活なんて大嫌いでした。でも、オレは事実楽しんでいたんです。道楽部というのが徐々に居場所になっていたのかもしれないんです。

でも、急に受け入れるのは簡単に出来る事じゃありません。さぁ、今日からここはお前の居場所だ、皆と仲良く信じ合い助け合いなさい、なんて言われてもそんなやり方を知りません。教科書もないし、今まで信頼しあえる大切な人に会ったことなかったんですから。

オレはいままで周りの出来事なんて看過して他人事だと思ってきました。そうすることで何とかなってきたし何とも思わないように割り切ってきまたのです。今回の廃部の件もそうです。それで何とかなると思ってました。オレはどうしてもそれを他人事以外には思いたくなかったんです。答えは簡単です。オレはみんなといると前々から感じていたんです。

 ああ、これは違う。オレには似合わない。これはオレじゃないと思い、心の底から楽しめずにいました……。今まで近寄って来てくれた人を等閑にしてた癖に、オレはまた諦める準備をしてました。お得意の『逃げるが勝ち』だとか、『諦めも肝心』だとか引用すればいいと思ってました。今までそうやって来たし、なんとかなってきたんです……。でも、オレは結局、認めたくなかっただけでした。ただ、道楽部を気に入ってしまったということを」



 生徒会長は、いつもの毅然とした様子とは異なり、文字通り目を丸くしていた。言い終わった時、オレは自分で何を言っていたのか分からなかった。


「頼みます……。生徒会長……」


 オレは生徒会長に土下座をして懇願した。柄にもなく、力強い声を出していた。生徒会長はダンマリしていた。オレは興奮のあまり、周りが見えていなかった。


……万条達は笑っているだろうか。泣いているのだろうか。それともビックリして言葉もでないのだろうか。オレはどう振り返って、顔を合わせればいいのだろうか。


「ワタシには弟がいるのよ」


「はい?」


 生徒会長はいきなり、話をし始めた。


「弟は、昔から弱くって、いじめられていたわ。ワタシはそれが許せなかった。いじめていた奴らを懲らしめていたわ。でも、幾ら懲らしめたって、何も変わらなかった。弟を取り巻く環境はもっと悪くなったと言ってもいいかもしれないわね」


 生徒会長は意外と、弱弱しく話していた。


「そ、そうなんですか……」


「ワタシは、弟を守ってやりたかった。でも、当時のワタシにはそれができなかったのよ。ワタシは自分の無力さを感じたわ。身近な人でさえ守ることができない。と、ね……。弟は次第に人を信用できなくなったわ。そう、あなたのようにね。あなたを初めて見たときに思ったわ。弟に似ているって。人を信じられない人だとわかったわ。でも、今のあなた、以前、抗議に来た時とは、まるで別人のようね」


「そ、そうですかね?」


「……羨ましいわね。弟もあなたたちみたいな人がいれば変わったのかしら……」


 生徒会長は、静かに言った。


「はぁ……あなたたちの居場所をワタシが奪うことはできそうにないわね」


「え‼」


 生徒会長の言葉に万条が叫んだ。


「今回は、見逃してあげるって言ってるのよ。あなたたちのことを、ただの馬鹿達と勘違いしていたかもしれないわ」


 生徒会長が、「見逃す」と言った瞬間、万条、富永、大花は歓喜をあげた。オレも下げていた頭を上げて、呆気にとられながらも自然と、笑みが零れた。オレは振り向いて万条を見た。万条は喜んでいたが、オレが振り向いたことに気付くことなしに、顔を俯かせていた。彼女の顔からは、何か光ったものが顔を流れていた。


「まったく」


 富永はオレに笑ってそう言った。大花も微笑みながらオレを黙って見たままだった。


「でも、一つ忠告よ。あまり、騒ぎを起こさないで。」


「はいっ!ありがとうございました!」





 抗議が終わった後、オレ達は、部室へ向かって、中庭を歩いていた。万条は、ふと言った。


「生徒会長って案外、いい人だったりして?」


「そうかもな。ワタシはてっきり、傲慢で矜持の捨てきれないクソ女だと思っていたが……」


 それ……お前のことだろ……とは言えない……。


 その後、歩いている途中、全員は特に話すことはしなかった。まだ緊張で息が切れていたオレは息を整えて、落ち着いて万条に、今のうちに、この間のことの謝罪を言おうとした。しかしいざとなって何か言おうとすると躊躇ってしまっていた。


「その………」


「その!」


 そう言いかけた時、万条も同じタイミングでオレの顔を見て、何かを言おうとしているようだった。オレは万条の顔を見た。その顔の目からは、なぜか涙がこぼれていた。その涙を見せまいと万条は涙を拭いて言った。


「よかったよぉ!」


 万条は耐えていた涙をまたこぼしそうになっていた。それを誤魔化すように目を擦っていた。オレは言った。


「その……この間は悪かった」


「部活……ハッチーは嫌々に入ってくれたのに……ありがとう……」


 オレは、万条と会話を交わすと、緊張も解けてしまい、不思議と饒舌になった。


「そうだな。オレは最初、お前のことなんて面倒でお気楽で近寄って来るなって本当に思ってた。でも……でもオレはお前が来てくれなかったら一生こうだった。オレは結局、怠惰なのを言い訳にして、人と接して傷つくことを恐れてたんだ。そんなこと知ってた。でも、それを認めたくなくて、オレはつまんなそうな顔して日々を過ごしてた。オレ、何、言ってるんだろ。こんなことを誰かに打ち明けるなんてな。オレも落ちたもんだ」


「ハッチー……」


「でも、不思議と、お前らなら自分のことを打ち明けても、気分は悪くない。しかし、まぁ。それにしても、なんだ。アレは」


「アレ?」


「ああ。道楽部の記録帳だよ。アレ読んだぞ。なんだアレは。相変わらずくだらない。


「むっう!何、その言い方!」


 万条は、怒りながらも、笑っていた。目の周りは泣いたせいか、少しだけ赤く腫れていた。


「でも……」


「でも?」


「でも、そんなくだらないと思ってたもののお蔭でオレは……だから……」


「うん」


 万条は、目を逸らすこともなく、オレの顔をしっかり見ていた。



「誰かのために動こうなんて思ったのも、今こうしてお前らのところに来たのも、全部万条のせいだ!責任とってくれよな」


「ハッチー!」


万条は涙を拭いて、オレに飛びついてきた。万条は見慣れた笑顔で言った。


「ありがとう‼」


 オレは万条の勢いに負け、体を崩して、その場に横になった。仰向けになり、空が見えた。その空にはやっぱり雲が幾つかあった。オレは、その雲を眺めて思うのであった。


 雲はやっぱり、雲以外の何にも見えはしない。でも、それはそれでいいのかもしれないな。

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