第16話 水泳


 オレは部室を出た。教室へ戻ろうとしていた時、そこには久しぶりに見る顔があった。立花を見かけたのである。向こうもそれに気付いたのか、こっちを見てきた。オレはさっきのせいか誰とも話したくない気分だったので気付かないふりをして通り過ぎようとしたが、


「よっ!八橋。無視はひどいぞ」


 と、立花はオレの肩を叩いてそう言った。


「よっ!ってお前な。元気そうじゃないかよ」


「ていうか、お前顔腫れてるぞ?何かあった?」


 さっきのか。確かに痛い……。


「いや、別に。咲村先生にやられた。で、何で最近来ないの?部員が心配してたぞ。あと咲村先生もな」


「それは……悪かった。八橋お前も心配してくれたのか?」


 オレはそれには答えず話を逸らした。


「そんなことよりもお前。なんで来ないんだよ?この前のことか?みんな気にしてないぞ」


「いや、それもそうなんだけどよ」


「なんだよ。前の部活のことでか?」


「ああ。それもそうなんだけどよ」


 立花は少し緊張しているように見えた。オレは見かねて、


「まぁ、いろいろなんか悩んでんだか知らないし聞くつもりもないけどさ。で、何で部活来ないんだ?このオレは行っているというのに」


 立花は少し黙り込み自分を落ち着かせて言う。


「誰かに迷惑かけるんじゃないか心配なんだ」


「は?迷惑って?」


 立花は迷惑だとか考える人でないと思っていた。構わずに、その場に溶け込める人だと思っていた。だから立花から出てきたその言葉はオレにとって理解できなかった。


「オレはこの前先輩に歯向かうこともせずに結局迷惑をかけた。オレはハッキリ言えばよかったのに自分の身を心配したんだ。そんな自分の性格の悪さに辟易としたんだ。オレの性格のせいで誰かを巻き込むなんてひどい話じゃないか?それでいつか嫌われてしまうんじゃないかって思ってたら自然と部室に行くのが怖くなった。怖いんだよ」


 立花はいつものように笑顔はなく、情緒不安定に見えた。


「でも、あいつらはそんなので嫌いにならないんじゃないか?現にさっきお前のところに行くとか言って心配してたぞ。それにまずは自分を守るのは当たり前だろう」


「そ、そうなんだ。また迷惑を掛けちゃってるのか……オレは何やってるんだ……」


 立花のその態度にオレは忌憚ない意見を言った。


「でも、そうやって悩んでるってことはお前、万条や冨永、ていうか道楽部を思っているからだろ。お前ら御得意のポジティブシンキングを使っていい方に捉えろよ。それにお前がもう一度部活やるって決めて入ったんだろ。オレと違ってよ。なら向き合えよ」


「お前はキッツいなぁ………」


「それに、こんな話するのはオレよりも万条や冨永にするべきだろ。同じことを話してやれよ」


「でもそうかも………な。お前は本当にズバズバいうよな。でも前から思ってたけど、八橋お前は話しやすいよな。だから今だって話しかけたのかもしれない。本当に八橋が道楽部にいてくれて良かったよ」


 立花はオレをじっと見てきたがオレは目線を合わせることもなく言った。


「気のせいだろ。今日は部室来いよ。来ないと面倒だからな。ただでさえ部活が面倒なんだから」


「ああ」



 オレは教室に戻った。すると、いつものようにやかましいことに谷元が話しかけて来た。


「おう!八橋!今日はもう戻ってきたのか?ってどうした?お前、顔腫れてるぞ。ま、まさかお前!とうとう万条に手を出して返り討ちにでもあったか?」


「何言ってんだよ。お前の頭の中はお花畑だな。羨ましいよ。お花屋さんでもやったらどうだ?」


「お前こそ何言ってんだ?で、何で腫れてんだ?」


「いろいろと面倒なことが生きてればあるんだよ……」


「は?」


「まぁ気にするな。それよりお前、教科書は出したのかよ」


「おう!今日はもうちゃんと用意したぜ!ほら!」


 自信満々に谷元は数学の教科書を見せてきた。


「お前な……。朝のホームルームで聞いてなかったのか?」


「え?何が?」


「はーい、授業はじめるぞ~、自分の席着け~」


 咲村先生が入ってきた。谷元は驚いてオレに聞いてきた。


「え?八橋、何で咲村先生が?」


「だから。ホームルームで言ってたろ、5限は数学から国語になったんだよ」


「え~~!聞いてなかった!」


「はぁ……」





 ――放課後。


 咲村先生の監視もあったのでオレは部室へ行った。そこにいたのは万条だけであった。立花の奴、来てないのか。


「よっ!」


「おう。万条だけか?」


「うん。なんか、ヒイちゃんは掃除当番だから後でくるって。ていうかすごい怒ってたよ?」


「そうか」


「そうか。じゃなくて!もっとなんていうのかなぁ。あるでしょ!?」


「そうか?」


「そうか?じゃなくて!もう無愛想だなぁ」


「そうかもな」


「あぁ~」


 万条は椅子に座ったまま体をダラッとさせ、天井を見ながら言った。


「なんかさ。こうしてハッチーと2人だとハッチーを勧誘してた時を思い出すよー」


「オレにとっては最悪な過去だな」


「え~なんでよ~。あはは」


 続けて、万条は言った。


「嫌だなぁ。このままバナ君が来ないのは」


「大丈夫だろ」


「そうだよね。大丈夫だよね!」


 万条はいきなり立ち始めて、


「よし!じゃあ行こう!」


 そう言って、オレの腕を掴み、部室を出た。


「おい!なんだよ。ていうかどこ行くんだよ」


「そんなの決まってるじゃん!」


 万条になすがままオレは校内の廊下を走り抜けた。気付くと2年C組の前にオレ達はいた。


「はぁはぁ。万条……お前……速すぎる」


 オレは息が切れていた。


「あ、いた!」


「え?」


 万条の視線は立花を捉えていた。立花もそれにすぐに気がついた。


「あ、万条さん……」


 立花は気まずそうに言った。


「バナ君。話があるの。このまま部室へ行こう!」


「え?ああ……でも……」


「バナ君!いいから行くの!」


「え?ちょっと!」


 万条は、立花の腕を掴み、部室へ連れていった。この光景……どこか見慣れた感じがあるな……。




 オレたちは立花を連れて部室へやってきた。富永も合流して、万条と富永は席に座ってから、無言で立花を座らせるように指示し、立花は観念したかのようにして、空いている席に腰を下ろした。そして、唐突に富永は立花に尋ねた。


「で、何でお前は部室に来ないんだ?」


「なんていうか、少し考えたくて……」


「何をだ?」


「それは……」


「前の部活のことか?」


「え?ああ。まぁ」


「何があったんだ。話してくれ」


「いや、別に大したことじゃないんだけど」


「たいしたことじゃないなら、こんなに部活に来ないのはおかしいだろ」


「それは……」


「バナ君。ワタシ達、何か力になりたいんだ。何か悩んでることがあったら、話してみて。話してみると、もやもやしてるものが少しでもなくなると思うよ。でも、無理に話したくなかったら、話さなくてもいいからね」


 立花は、そのまま深呼吸をしてから、顔を俯かせながら、オレに話をしたように冨永と万条にも腹を明かした。


「オレは……前に水泳をやっていたんだ。始めたのは小学生のころ。オレはその頃から水泳は好きだった。好きになった理由は初めて他人に褒められたからだ。すごくうれしかった。地域の大会でもよく優勝したし、オレはこれしか得意なものがなかった。

 でも高校で部活に入ってそれはちっぽけだったんだなって知ったんだ。この前会った先輩、仲村先輩は凄い選手だった。オレは先輩に、初めて誰かに負けたんだ。でもオレは先輩のように頑張ろうと思った。練習してもっと上手くなるんだぞって。朝も早起きしては泳いで、少しは上達したと思った。でも、少し自信がついてきた時に先輩は言うんだ。『お前、全然上達しないな』って。オレは一瞬にして自信を砕かれた。でも、オレはもっと上達してやるって思ったんだ。それでオレはもっと練習した。先輩たちを見返してやるって。

 でも、オレは先輩たちに勝てることはなかった。なんでオレは勝てないんだって。先輩たちは遊んでばかりで練習なんてしてなかったのに。部活を先輩たちがもうすぐ引退するって聞いた時、先輩言ってた。『水泳なんてつまんないのやっと辞められる』って。オレはこんなにもやってたのに。で、オレは気付いたんだ。いつしか水泳は先輩たちを見返すためだけのものになってた。小さい頃から自信があった水泳が、大好きだった水泳が大嫌いになった。オレは上手くなりたかったのになんで求めている人のところに願いは来ないのだろって。それからオレは好きだった水泳について先輩たちに馬鹿にされても何も感じなくなったんだ。なのに面と向かって反抗もしないで」


 立花は暗い顔をしてそう語った。それをオレは黙って聞いていた。


「そっか……大変だったねバナ君……」


「立花……」


 万条も冨永もしんみりとした顔をしていた。


「話を聞いてくれてありがとう。万条さんの言う通り、話したら、少しだけ気分が楽になった気がするよ……」


「それなら良かったよ、バナ君」


「そんな感じで、考えてたら、この間、オレが迷惑かけたことを思い出しちゃって……。もしかしたら嫌われちゃうんじゃないかって……。考えれば考えるほど、怖くなって、来るのを躊躇ってたんだ……」


「バナ君!そんなワタシ嫌いになったりしないよ!」


「つまり立花お前は部員みんなに嫌われるんじゃないかって心配してたわけだな?」


「ああ……」


「まったく……しょうもないな」


 その富永の言葉に立花は俯いてしまった。すると、続けて冨永が言い出す。


「でも、しょうもなくない。ワタシだって心配だ。ワタシだって怖い。それでも怖くたって望んだならそうやって人と絡んでいかなくてはいけない。それに……もし嫌いになられたらいっそのこと嫌われてしまえばいい……」


 冨永は淡々と言った。それに立花は、


「オレさ今まで、人からの評価を気にしてて自分がどうであるかなんて考えたことなかった。でも、ここに来て思ったんだ。みんなはそれぞれ自分を持ってる。万条さんは自分のやりたいことに夢中になってできるし、冨永さんも気が強くてまっすぐで、八橋だって自分の意見を言えるし。こう見えてもみんなのこと尊敬してるんだ。でもオレは自分が分からないままなんだ」


 立花はそう言った。オレはそれに対して言った。


「人間そんなものだろ。みんな自分が特別でありたいと願う。そして他人からの評価を気にする。でも、まずは先に自分からの評価を気にしろよ。自分が好きになれない自分を演じても自分を追いつめるだけだぞ」


「ちょっと!ハッチー!」


「はぁ。お前最低だな。この状況の立花によくもそんなことが言えるな」


「いや、オレは別に間違ったことは……」


「そうかもしれないけどさ……」


 そのあとに万条は小さな声で言った。


「ハッチーは、辛い顔した人に頑張れって言えちゃう人なんだね……」


「え?」


 すると続けて万条が言う。


「バナ君!ハッチーはこうきつく言うけどさ。バナ君は分かってたけど、行動にできなかったんだよね?無理してやらなくていいよ。ゆっくりやっていこう!!まだまだこれからさ!」


「う、うん。ありがとう……」


 万条は立花の手を取り、


「こちらこそありがとうだよ」


 と、笑って言った。



 ……万条は他人に甘過ぎだ……。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る