第2話 呑気な薔薇色ライフ

  当たり前であるが、今日という日をいつものように過ごしていると、いつものように昼休みがやって来た。昼休みというのは誰かと一緒に弁当を食べるのが普通らしいが、食べるという行為が面倒なオレにとって、昼飯は抜きにして、校舎と体育館を行き来する、通路から外れた、第二の中庭とも言えるところにぽつんと一つだけおいてある、人通りの少ないベンチに寝転んで静かに日向ぼっこをしながら昼寝をすることが普通なのだ。

 高校1年生の時からの日課であり学校には実質的に昼寝をするために来ていると言っても過言ではない。いや、過言である。

 するといつもは誰も来ないここに人がやってくるのが分かった。その人は誰かを探しているようであった。


「なんだ?ここに人が来るなんて珍しいな」


ふと、オレは体勢を起き上がらせ、横目で見てみる。


 ん?何だか見覚えがある顔だな……。あいつは確か朝の……。


 そこには同じクラスの万条という奴であった。万条は昼ご飯の食べかけのパンを片手に持ち、こっちを向いているようであった。オレは何かと思い万条の方に目を向けた。そして万条と目が合った。しばらく合ったまま万条はオレを凝視し続けた。一向に逸らす素振りも見せない。そこには何やらどことなく緊張感が漂っていた。万条はそのまま目を逸らすことはせず片手に持っていたパンを自分の口元へ運んでいた。

 なんだ。今日はやたらに万条と目が合うな。今朝の睨(にら)めっこの続きか?ていうか何でここにいるんだ。早くどっか行ってくれないかな。

オレは今朝と同様に視線を万条から逸らした。しかししばらくしても万条はその場に立っているのであった。オレはもう一度万条を見てみたが、万条はまだこちらを子供が動物園で動物を観察するような目力で見ていた。オレはナマケモノといったところだろうか。それにしても万条と睨めっこをしても仕方がない。それなら文字と睨めっこしている方がよっぽど良い。オレは気にせず、万条が視界に入らないように再びベンチに寝転がり、空を眺めることにした。空を見ると空は雲一つない快晴であった。雲が一つもない……。


 小さい頃、雲は色々な形に見え、色々なものを雲に例えていたものだ。あの形は犬にみえるだの猫に見えるだのと言ったように雲は変幻自在の幻想的な未知の存在だと思っていた。しかし時が経つにつれて知識が増えると雲は液体であることを知った。科学で証明されていることを知った。犬や猫の形に見えていたあの雲は液体であった。雲は未知の存在でも何でもなかった。憧れていたあの存在は液体という言葉で片づけられてしまうほどの存在であったのである。憧れなんてものはそんなものである。憧れたところで挙句はその存在の正体を知って幻滅するのである。自分から憧れておいて幻滅するのである。だったらそんなものは初めからない方が良いんだ。

 空を見ながらそんなことを考えていると、授業開始の予鈴がなった。オレは体を起こした。万条の方を見ているとさっきまで立っていた万条はいなかった。


「なんだったんだ?あいつは」



 一つ一つは長く感じる授業も後になって思うとあっと言う間であり放課後になった。またいつものようにチャイム音と同時に家にそそくさと帰ろうと席を立ち教室から出ようとした。きっとこの世に教室から出る早さを競う大会があったならば、オレは何かしらのメダルを表彰台で首に掛けていることだろう。そして表彰式が終わったら、その実力を見せつけるべく、さっさとその場から立ち去るのだろう。

 そんな想像をしながら教室を出ようとした。しかしオレのメダル獲得を邪魔するかのようにオレの目の前に誰か立っていた。見てみるとそれは今日やたらに気が合う万条であった。

 なんだ?何故ここにいるんだ?ここにいると通行の邪魔であろうが。全く。

 オレは気にせずに万条の横を通り過ぎようとした。だが、万条はオレを見て言った。


「あ、ちょっといい?」


「っ!?」


 まさかオレに話しかけたのか?変な人に話しかけたらいけないって小さい頃言われなかったのか?……って誰が変な人だ。

 オレは一瞬その言葉に立ち止まったが再び気にせず通り過ぎようとした。すると再び万条は話しかけてきた。


「ねぇ!ちょっといい?」


 万条を見るとオレを見ていた。

 どういうことだ?しかしどうやらこのオレに話しかけてきたらしい。しかしオレに用がある訳がない。きっと人違いだろう。


「あの。人違いじゃないですか?」


「いやいやぁ~八橋君だよね?君このあと暇?」


「え……?」


 オレはその問いかけに驚愕した。

 何の冗談だ?オレは高校に入ってから放課後誘われるなんてイベントは谷元以外には今まで一度もなかったはずなのに。何故だ?何フラグだ?


「え今なんて?」


「だからこのあと空いてないかな?って思って……」


「えっと……」


 ……このあとだと?空いているに決まっているじゃないか。しかしオレは帰らなくてはいけないんだ。しかし何故オレに?

 あ、もしかしてノートをとってなかったのか?だから今日はあんなにオレを見てきたのか?ノートが借りたくてなかなか言い出せなかったのか?なんだ。そうか。そういうことか!


「もしかしてノートとってないの?それなら――」


「いやそういうことじゃなくて。どこかで話したいんだ!」


「……は……?」


万条は笑顔でそう言ってきた。だがその笑顔を見て危険を感じた。


 ――いや待て。


 話したい?いやちょっとまて。おかしい。オレは騙されないぞ。

確かに普通の男子学生ならば、女子から誘われたら何が何でも予定を空けるであろう。しかしオレはどうやら普通ではない変な人なのかもしれない。


 オレは冷静に判断した。ここはとりあえず身を引くべきだ。何故ならば状況をはっきり理解できない以上、関わらないのが一番である。後で事件に巻き込まれた後では遅いのだ。

 ああそうだ。物語ではよく主人公は事件に巻き込まれていってしまうが、あんなのはその相手を疑わなかった自分が悪いのであって関わらないのが一番いいのである。それにオレは主人公でもなければ相手役でもない。こんな怪しい誘いに自分から飛び込む必要などない。そんなことをするのはバカか破滅願望のある者がすることだ。とにかく今はここから退散することが妥当であろう。


「悪いけど今日だけは無理なんだ。じゃあ帰るわ」


「え、ちょっとまっ――」


 テキトーなことを言い万条の横を忙しそうに通り過ぎて教室を出た。そのまま速足で下駄箱まで来たオレは立ち止まり考えた。


 万条ユイ――――こいつはクラスでも人気者だ。明るく協調性があり見た目も可愛いんだろう。なんてリア充なんだ!対してオレはどうだ?オレはというと暗くて協調性がなくて見た目も可愛くない。まあ……最後の可愛くないはしょうがないとしてもやっぱりおかしいぞ。真逆じゃないか!

 それによく言うではないか。類は友を呼ぶと。類は友を呼ぶの原理でいけば万条という人間はオレとは同類でないため、そんな奴がオレに話しかけてくるというのは原理に反している。だからオレと正反対である万条がオレに話しかけてくることはあり得ないのだ……いや。しかし問題はそこじゃない。何故、何の目的でオレに話しかけてきたか、が問題だ。クラスで話しているのは谷元くらいであってクラスの奴が放課後に誘い出そうとするなんて何か陰謀があったに違いない。それか何だ?本当にただ誘っただけなのか?まあどちらにせよ関わらないことが上策である。オレは下駄箱から靴を取り出そうとした。すると、


「やぁ!!」


 という声がいきなり後ろから聞こえ、肩を叩かれた。


「うわっ!?」 


誰かと思うとまた万条であった。


「あはは!」


万条は驚いたオレを見て笑っていた。

……いや、今のところで何にも笑えるところなかったけど。こいつ人にイタズラして喜びを得る所謂虐めっ子か?しかも自覚がなさそうなのがさらにゆゆしきことだ。まぁいい。何の用だ?


「なにか用?」


「いやぁ~ほんとに用事あるのかなぁって」


 は?こいつはさっき何を聞いていたんだ。用事があるなんて一言も言ってないぞ。今日は無理だと言っただけだぞ。それにオレは何か用があるのかを聞いているんだ。話をすり替えようたってそうはさせないぞ。


「へぇ。で、何か用なの?さっきから話しかけてくるけど」


 万条を見ると笑っていた。

 正直何を考えているのかさっぱりわからない。何が目的だ?オレをどうするつもりだ。この清廉潔白のオレを。

 しかし、虐めっ子万条は答えるつもりはないようであった。


「まぁねー」


 あくまで答えないつもりか。こういうクラスでは人気者の奴に限って陰でとんでもないことをするんだ。やっぱり何か企んでるんだな。ますます怪しくなってきたな。早くこんなやつの前からは退散してしまおう。


「じゃ、オレ帰るから」


「え?もう帰るの?どっかで――」


「じゃあな」


オレが何度か振り返ってみると、校門を出るまで万条はこっちをずっと見ていた。



 オレはせっせと家に向かって歩いていた時にまた考えた。

それにしてもなんなんだあいつは。昼休みにベンチに居たり、いきなり話かけて来たり、下駄箱で脅かしてみたり。谷元がなんか言ってたけどあいつ頭やばいな。

すると、何やら後ろで気配を感じた。


「なんだ?なんか誰かに見られてるような……。気のせいだよな」


 後ろを振り向くと、一瞬だけ人影が電信柱の後ろに隠れるのが見えた。


「まさか尾行されている?まさかな。自惚れも甚だしい」

 

 そんな独り言を言いながらもう一度、不意に後ろを振り向いてみた。その光景を見て、オレはつい、


「ま、まじかよ」

 と、声を漏らしてしまった。というのも、目を凝らして見てみると何やら電信柱に隠れているやつはとても万条に似ていたからだ。

 て、ていうか万条じゃないか!尾行までするなんて……なんて奴だ。やっぱり断って正解だったな。あのまま付いて行ってたらどうなっていたことか。


「早く家帰ろ。まじで」


 オレは歩幅を広げ速足で家へと向かった。そして何とか無事に自宅アパートまで辿り着いてからすぐに鍵を閉めた。


「ふぅ。ここまでくれば安心だ」


 念のためにオレはのぞき穴から付いてきている万条がいないか確認した。確認したら外には誰もおらず、どうやら万条は家の前までは来ていないようだった。

 

 さすがに家までは付いてきていないようだな……。

 

しばらく息を整えた後オレはローファーを脱ごうとした。そうしていると、家のインターフォンが鳴った。


「宅配便でーす」


 お、ちょうどいいな。もしかしてこの前通販で頼んだ野菜よくばりセットか?一人暮らしにはもってこいなんだ。キャベツ、ニンジン、ジャガイモ、等々盛りだくさん入った一セット500円。ワンコインだ。楽しみにしてたんだよな。これこの季節にしか期間限定でやっていないんだよなあ。アマゾン大先生ありがとう!

オレは脱ごうとしていたローファーをもう一度履いて快活な声で、


「はーい!」


 と、言ってドアを開けた。すると、


「よっ!」


 という声が聞こえた。


 なんて友好的な宅配業者だ。新しいな。最近の宅配業者の新たな商法か?

オレは宅配員を見た。その宅配員は女子高生の制服を着ていて、まるで宅配員ではないような容姿だった。


    ……え………?


 その瞬間、全てを理解し、オレの快活さは一瞬にして綺麗に消え去った。それはもう綺麗に。そのまま動揺しながら言った。


「え?野菜セットは?」


「え?野菜?」


「うん……あのさ……もしかして宅配サービスとかやってたりする?」


「えっ?やってないよー」


「…………りょうかいっ!」


 オレは少しの間、呆気にとられた後、そう言い恐怖のあまりすぐにドアを閉めた。ドアさえ閉めてしまえば、安心だ。と、思っていたが万条の足がドアを閉めさせまいとひょいっと隙間に挟まっていた。


「おい!お前!足引っ込めろ!」


「うぐう!いやだあ!」


「はぁ?ふざけんなよ。っていうか力強いなこいつっ!」

 

……くそう。大ピンチだ。どうする?このまま万条の足がドアと擦れて足がちぎれるのを待つか?それとも諦めるか?迷わず前者であろう。オレは文字通り頑張り続けた。が、しかし勝負は見えていた。


「ちょっと!!!!!」


 と言って万条はドアをこじ開けてしまった。オレは力尽き玄関口で倒れ込んだ。


「っ!?」


「や、やったー!開いたーー!」

 

 な、なんて力だ。オレは知っているぞ。クラスの女子が話していたのを聞いたことがある。これが噂に聞く女子力(じょしりょく)か!


「お邪魔していい?」


「お前……。もう相当お邪魔してるぞ……」


「ごめんね!ていうかそのお前ってやつやめない?」


「は?いきなりなんだよ」


「ワタシのことはユイって呼ぶのでいいから。じゃあとりあえずお邪魔するよ八橋君!」


「八橋?人違いじゃないですか?うちは……えー鈴木ですけど」


「じゃあ鈴木さん、とりあえずお邪魔するね!」


「ちょっと!お前!」


 万条はオレの家に勝手に入り込んできた。ローファーを脱ぎ捨てお構いなしにあたりの部屋を見渡していた。


「へぇ~これが男の子の部屋かぁ~」


「いやオレを基準で考えない方がいいぞ」


 万条はそう言ったが、おそらく普通の男子に比べオレの部屋は特に物がなく殺風景であろう。何故なら生活に必要なものしか置いていなかったし部屋の広さも6畳程なので物を置くスペースがなかったからだ。


「で。ていうかお前は何しに来たんだよ?」


「ん?」


「だから何しに来たんだよ?悪いがお前と付き合ってる暇はないんだよ。帰ってくれ」


「だーかーらー!」


 万条は何故か怒り気味に言った。

「は?なに?」


「呼び方!お前はやめようって!」


「なんでだよ?そんな呼び方を気にする程仲良くないだろ」


「え?だってこれから同じ部員なんだからいいじゃん!しかも同じクラスだし!」


「ああそういうことか。それなら――」


  ……え?

 オレの聞き間違いか?よく意味の分からないことを言っていたような……。


「……おい。今何て言った?」


「え?同じクラスだしって言ったけど?」


「いや。その前だ……その前、何て言った?」


「えーっと、同じ部員なんだからいいじゃん。だったかなー?」


  ――い、いや。いやいや。待て待て待て!


「だったかなー?じゃねぇよ!冗談じゃないぞ!」


「うん。冗談じゃないよ?ワタシと部活やらない?」


 おいおいおいおいおいおい。こいつ正気か?部活ってあのモラトリアムである学生の時間であるこの貴重な時間を下世話なお喋りや馴れ合いで無駄にするアレか?

 オレは部活が大嫌いだ。気も合わないやつと慣れ親しんだフリをし、無駄なエネルギーを使って心臓の鼓動を減らす部活動というものが大嫌いなのだ。


「部活?部活ってあの学生達が休み時間や放課後に集まって何かやるって奴か?」


「そう!正解!ワタシと部活しようよ!」


 ……当たっていた。そ、それにしてもこのオレに部活だと?

フンッ。笑わせるな。オレは入らないぞ。何故ならばもうオレは帰宅部に入っているのだ。そう。オレは高校に入ってからというもの友達も人差し指を立てられるくらい(谷元である)しか居らずに毎日家に帰っては怠惰で怠惰を怠惰してしまうくらいのスーパー怠惰マンである。だが。オレはこの生活がとても楽しいんだ。この生活が崩れることは危険な状況だ。

 それに部活なんて入ったら……。


「オレに部活の勧誘?残念ながらオレは入らない。他を当たるんだな」


「嫌だ!」


 万条はすぐにそう答えた。


「おいおい。なんだよそれ。とにかくオレはやらない。青春したいなら他の奴と謳歌しろ。オレはそんな青春なんて求めてない。帰れ」


「そこまで言わなくても……ねぇ部活やろうよ!楽しいよー」


 オレが部活を否定しても万条は本当に楽しそうに言うのであった。そして万条は勝手にオレの机の椅子に座り足を組んだ。オレはその万条を見て思った。


――こういうのを充実してるというのだろう。こいつも俗に言われる薔薇色ライフ満喫中か。薔薇色とは聞こえがいいな。しかし薔薇は色で言えば赤色だ。言い換えれば赤色ライフ。まるで血のようだ。悪いように言えば、血色ライフだ。酷い目に合う人生にしか思えない。


「だからやらないぞ。オレはまだ死にたくない」


「え?部活で死なないよ!あはは!何言ってんの?」


 万条は笑ってオレを見てそう言った。


「したくないことはしないってことだ。運動嫌いだし」


「意外と楽しいんだよ?ていうか運動部じゃないよ!」


「あ、そう。でも文化部だろうがやらない」


「なんでよ?」


「忙しいんだよ」


「え?どこが!今日だって用事あるとか言って家に帰ってたじゃん!それにいつも学校でもすごい暇そうだよね?」


「は?暇をしていて忙しいんだよ」


「へぇ~なにそれ?変わってるね。あ!ていうかさ!ワタシは何て呼んだらいい?」


「あっさり話変えたな。ていうかもう話す機会ないから呼ばないでいいんじゃないか?」


「え~あるかもしれないじゃん!例えば部活とかでさ!あだ名で呼びたいなぁ」


「部活とかって……オレが入部するような言い方やめろよ。ていうかいつまでオレの家にいるんだよ」


「なんかあだ名付けづらい名前だなーなんかない?」


「ない。別にあだ名なんて付けなくていいでしょ。そもそも話さないんだし。ていうか帰れよ」


「八橋だから……八……あ!じゃあハッチーってどう!?」


 ハ、ハッチー?何だそのダサいあだ名は。


「ハ、ハッチー?誰だそれは?」


「君のこと!それじゃあこれからよろしくねハッチー!」


 こいつ話が通じないな……。


「もう疲れてきたな」


「それで今後の活動なんだけとさ……」


「いや、待て。さっき聞いてたか?オレは疲れたよ」


「え?うん。これからよろしくって」


「おい。お前の耳だけがご都合主義なのか?それともお前がバカなのか?ワザとか?どれだ?全部か?答えなくていいから帰ってくれないか?頼むから」


 オレは呆れ顔で言った。しかし万条はすぐさまこう返答してきた。


「嫌だ!了解もらえるまで帰らない!」


 こいつ何を言ってもダメだ。仕方ない。こういう奴には対してはとりあえず時間が過ぎてから向こうが折れるのを待とう。


「あっそ。じゃあ長期戦になりそうだからお茶持ってくる」


「長期戦?あ、ありがと」


 オレは一先ず落ち着くために台所に来た。お茶の葉を探しながら、溜め息が出た。


「はあ……ていうかお茶どこにやったっけ……」


「お茶は下の棚じゃなかった?」


 と、真後ろから声が聞こえた。万条は洗面台の下の棚を勝手に開け始めていた。


「ねぇねぇ。コップはどこ?」


「っ!?ってお前か。じっとしてろよ」


「お茶くらい自分でやるよ~」


「いや大丈夫。任せたくない。信用できない。ていうかウーロン茶でいいか?ちなみに下の棚は何も入ってないから。訳わかんないことを言うな」


「も~。ウーロン茶でいいよ!仕方ないな!」


 万条は少し首を後ろに傾けて、横目でオレを見て言った。


「何故そんなに上から目線なんだよ」


 すると万条はまた辺りを見まわしてから聞いてきた。


「ねぇねぇ。さっきも思ったんだけどハッチーって一人暮らしなの?」


「まあそうだな。ていうかその呼び方やめろ。何故ならば超ダセェから!」


「へぇ~大変だね。全部一人でやらなきゃだねハッチー」


 ワザとだろこいつ。まぁもういいや。


「そうだな」

 しばらく万条は沈黙した後に聞いてはいけないことを聞くかのような調子で、小さな声で訊いてきた。


「ねぇ。料理とかできるの?」


「人並みには」


 それを聞いて万条は何か思いついたのか。ワザとらしく、


「ワタシお腹空いちゃったな!」


 と、捨てられた子猫のような眼をしてオレを見ながらそう言った。

 万条、オレに作れって言ってんのか?


「へぇ」


「なんか食べたいなぁ~」


「へぇ、そうなんだ」


「あー!お腹すいたなあ!」


「へぇ、そうか」


 万条は顔をムッっとさせた。やはり万条はいきなり人の家来てご飯食べようとしているようだった。


「今日何も食べてないんだよね~」


 何度もチラチラとオレを見てくる。オレは棚からコップを出しながら言った。


「へぇ、それは良かったね」


「…………」


オレがなかなか作るといわないので万条は黙り込んでしまったようだ。


……よし。諦めたか?


 しかしお腹が空いているアピールだけではダメだと思ったのか、万条は作って欲しいことを遠回しに言ってきた。


「えっと……別に作ってもいいんだよ?」


 そ、それだと余計に図々しいぞ……。


「でもそんなこと急に言われてもなあ。それに人に頼むときにはちゃんと頼むもんだろ?そんな遠回しな言い方はやめろよ」


「確かに!そうだよね!ごめん」


 万条はそれを素直に聞き入れた。


「じゃあいくよ。ワタシのご飯を作って下さい。お願いします!」


 万条は相当お腹が空いていたのか、真剣そうな顔をして言い、深々と頭まで下げて頼んできた。


「ワタシに何か恵んでください!ハッチー様」

 

 人に何かお願い事されるのはいつぶりだろうか。しかもこんなにも誠心誠意こめて何かをお願いされてしまうと頼まれた方は、何か自分にできることはないのか、と思ってしまうものだな……。ここまでされたのだ。だったら答えは決まっているじゃないか。答えはもちろん。



「断る」



「えーーー!ここまでさせておいてそれは酷いよ~」


「酷いって何がだ?勝手に人の家に入り込んできて、あまつさえご飯までご馳走になろうとしていたナントカ条って奴よりは酷くないと思うぞ。どうぞ?」


「うわっ。ハッチーってそういう人なんだ……予想通り……じゃあもういいよ~。ウーロン茶注いだら持ってきて。あ、テレビつけていい?」


「ダメだ。電気代が掛かるからな。ていうか予想通りって……」


 万条は少し拗ねたまま忠告を無視し、テレビをつけ、横になり始めた。


「おいおい。いつまで居座る気だよ」


「だって、お腹が空いてて動けないよ~」


 そう言ってその場を動こうとしない。オレはとりあえずウーロン茶を部屋の中央にある卓袱台の近くに寝転んでテレビを見ている万条のもとへ持って行った。


「はい、ウーロン茶」


「あ。ありがと」


「で、いつ帰んの?」


「お腹が空いて動けない……。ほら、聞こえる?ぐぅ~」


 万条はお腹が鳴る音を口で表現して見せた。不愉快だ。


「聞こえない。何もな」


「ほら。ぐぅ~!!」


 う、うるせぇ……。


「それ明らかに口で言ってるよね?はぁ……もう分かったよ。でも約束しろ。食べたら帰るってな」


「ん?」



 ―― 十分後。

 

 オレはなかなか万条が帰ろうとしないようであるので仕方なく要求通りにあるもので焼そばをつくった。そして万条にあげた。


「はい、これ食べたら帰って」


「うわ!ありがとー!美味しそう!」


 万条は焼そばを一気に啜った後そのまま食べながら喋った。


「お、おいひぃよ!はっひーひょうひひょうひゅよね?(ハッチー料理上手だね?)」


「落ち着けよ……何言ってるか全く分からない」


 万条は焼そばをお腹の空かせた子供のように頬張りながら食べていた。そう勢いよく食べていたせいか喉に詰まらせた。


「むっぐっっ!!!!!」


「お!おいおい!大丈夫かよ?ウーロン茶飲めって」


 オレはウーロン茶を万条のコップに注ぎ足して渡した。万条はそれを飲んで喉の詰まりはとれたようで胸を手で叩きながら言った。


「ふぅ~死ぬかと思ったよ……」


「お前急ぎすぎだろ。ゆっくり食えって」


「うん……そうする……でも、もう食べた食べた~!」


ふと皿を見ると万条は焼そばをもう既に完食していた。


「食べるのはやっ」


「あー、おいしかったなぁ!」


「そうかい」


「うん、おかわり欲しい」


「やらないから」


 オレが素っ気なくそういうと、万条は両手を背中の後ろの床へやり、体を支え、脚をちゃぶ台の下へ突っ込み、天井に目線を向けて、電球を見ながら言った。


「あ~ハッチー部活入ってくれないかなあ~」


その後、しばらく沈黙が続いた。万条は両足首を左右に動かして、天井を見ていた。

 オレは万条を見ながら言った。


「じゃあ……そろそろいいかな。よろしく」

 

 オレはそう言って右手を差し出した。


「ん?どうしたの?いきなり手なんか出してさ。手相占いできないよワタシ」


「いや、そうじゃなくて」


「え?なにー?お手?」


「いやだから……」


 万条はそう首をかしげた。続けて分かった顔をして言った。


「あ!なーんだ!これからよろしくってことだね!!ごめんごめんこちらこそよろしくね!」


 万条はオレの右手を握りしめて嬉しそうにしていた。


「よかった!よかった!これでハッチーが入部してくれたお蔭で助かったよ!」


 オレはその嬉しそうな万条の顔を見て、言った。


「いや。そうじゃなくて。その焼そば分の代金。200円でいいよ」


「え?」


「だから焼そば代、返してって言ってるんだけど――」


「えーーーー!お金とるの!?それはなくない?普通とるものなの?いやとらないよ!」


「え?とらないの?」


「とらないよ!ハッチーのケチ!」


「ケ、ケチじゃない!オレは倹約家なだけだ!」


「はあ……なんだあ。てっきりハッチーが部活に入ってくれるのかと思って嬉しかったのになぁ……あーなんか疲れたぁ。眠くなってきたよー。じゃ、ちょっとだけ横になるね……」


 そう言いながら万条はお構いなしに再びテレビを点けっぱなしにして横になった。


「おい。テレビの電気代がかかるだろうが。ちゃんと消せよ」


「う~ん……おやすみ……」


 万条は体を横にし、少しうずくまったように膝を曲げて、お腹に寄せ、片腕を自らの頭の枕にし、もう片腕は胸のあたりで力もなく、床に垂れていた。


「おやす、じゃなくて帰って寝ろよ……」


「う~ん」

 

 そう小さく返事をしたかと思うと、部屋は急に静かになり始め、段々と万条の鼻息が聞こえてきた。


「おい」


「…………」


「お~い」


「……zzz」


 返事が返って来ない。万条は目を瞑って眠っていた。微かな寝息が静かな部屋に聞こえてくる。気付くと万条は無防備に寝顔を露わにしていた。その横顔は今まではしゃいでいたのが嘘のように、静かであった。


 ――なんだこいつは。勝手に人の家に来て、焼そばを食べるだけ食べて、勝手に寝て。好き勝手にも程がある。万条、部活がどうとか言ってたけどそもそも何でオレなんだ?まぁどんな理由にせよ、入らないけどな。ていうかいつ帰るん……っておいっ!

 万条についての文句を心の中で言っている時、ふと横になっている万条を再び見ると制服のスカートがめくれ上がり微妙にパンツが丸見えなのであった。し、しかも……。



「ぴ、ピンクだとっ!?」



 やばい。つい声に出してしまった。


 唐突に大きな声を出してしまったので、万条はそれにビックリしたようであった。


「え!?何?どうしたのハッチー?急に……ちょっと静かにしててよね……おやすみ」


「お、おい……起きろ。その……早く……」


「……zzz」


「おい‼」


「ん~?なあに?」


「起きろって!」


「……う~ん……」


「おい!その……早く起きろ」


 見たのではない。見えたのだ。


「……え~?何で?」


 き、気付いていない!?これが薔薇色ライフスタイルか……。わ、悪くない。っていやいや、オレ何言ってんだ。


「は、早く帰らないと……えーっと、親御さんが心配するぞ……」


「起こさないでよ……おやすみ……」


「いやよくない!おい!起きろ!」


「う~。うるさいなぁ~よいっしょっと」


 万条は起き上がり、目を擦りながら時間を聞いてきた。


「あ、ごめん今何時か分かる?」


「今は……7時くらいだな。ってもうこんな時間かよ」


 万条は背伸びした後に、眠気を飛ばしたのか、元気に言った。


「ありがと!じゃ、ごちそうさまでした。そろそろ帰らないとなぁ……」


「ああ、早く帰れ。親御さんが待ってるぞ」


「ハイハイ。わかったよ~。じゃ明日ね!」


「いや、明日以降は勘弁してくれ……てかやらないから部活」


 ……ってそうか。オレはこいつと同じクラスではないか。

 万条は玄関へ行きローファーを履いてドアを開けて出た。


「お邪魔しましたー今日ありがとね」


 そのまま万条がドアを閉めながら笑顔で言った。


「焼そば美味しかったよ!じゃあね!」


「じゃあな」


 万条は帰った。あの無邪気な幸せ者には是非帰り道、気をつけて事故に遭って欲しいのもだ。万条は嵐のようにやって来て去る時もまた嵐のように去っていった。お気楽な薔薇色ライフ満喫中だ。しかし薔薇ということはいつか散りゆく運命にある。散ってしまうならはじめから咲きたくないものだ。

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