第38話 活動記録
テストが終わってから、数日が経っていた。あともう少ししたら、「新しいお父さん」と会う日がやってくる。万条は、未だそのことで頭がいっぱいだった。
昼休み。万条は、いつものように昼ご飯と飲み物を買いに、購買へ向かった。購買へ行くと昼ご飯を買い求めに、大勢の生徒たちが溢れていた。万条は、狙いであるあんぱんを買おうと、生徒の群れの中を抜けて、あんぱんが並ぶところへ行った。そして購買のおばさんに言った。
「おばちゃん!あんぱんください!」
「あ、万条ちゃん。ごめんねぇ。今日はもう売り切れよ……」
「え~~~」
万条は、生徒の群れの中を抜けて、肩を落としていた。
「あーあ。あんぱん、買えなかったなぁ……」
「どうしたのだ?迷える子羊ちゃん!」
すると、聞き覚えのある声が、不意に後ろから聞こえた。万条が振り返ると、そこには、小池さんがあんぱんを持って、立っていた。
「よっ!ユイちゃん久しぶり」
「あ、小池さん!お久しぶりです!そういえば、ワタシ、先輩たちに話があったんです……」
万条はいつもよりも元気のない表情で言った。そして道楽部には結局、入部しないことを言おうと思っていた。
「え?話……?ていうかユイちゃん来てくれなくてアタシ寂しくて死んじゃうよ~このこの~」
小池さんは、肘でつつきながら言って、あまり元気のない万条の顔つきを一瞥した。
「あんぱん、食べたいかい?あげようか?」
「え?いいんですか!」
万条は子供のように飛び上がって喜んだ。小池さんは笑って言った。
「あはは!ユイちゃんは可愛いなぁ!じゃああげよう」
「ありがとう!小池さん!」
小池さんは、あんぱんを万条の前に差し出した。万条が受け取ろうとすると、小池さんは、腕を上げて、あんぱんを万条の頭の上まであげた。
「え?」
「ふふふふっ!」
あんぱんをくれなかった小池さんは高らかに笑ってから言った。
「しかし、条件付きだ」
「え?条件?」
「そう。条件」
「ど、どんな条件ですか?」
「なぁに、簡単なことさ」
「……はい。その条件とは?」
「ぜひ、アタシの妹になってくれ」
「へっ?」
「あ、じゃなくて……お昼を一緒に食べてくれ」
「え?それだけですか?」
「うん。そうだよ」
「はい……いいですよ!」
「じゃあ、いこうか!道楽部に」
万条と小池さんは、道楽部の部室へ向かった。行く途中では、試験終わりということもあって、周りの生徒たちは活発だった。校庭で、遊ぶ人、教室でおしゃべりする人、部室で何かの練習をしている人。万条は、久し振りに道楽部の部室へやって来た。万条は、ひとつ気が付いた。そこに堀口さんはいなかった。
「あれ、今日は堀口さんはいないんですか?」
「そうなのよー。だから、アタシ寂しくて死んじゃいそう……堀口来ないかなぁ」
「……いいなぁ」
つい、万条は、思ったことをこぼしてしまった。万条は小池さんと堀口さんの仲の良さが羨ましかったのだった。
「あ、なんでもないですっ!」
「え?何がいいって?」
と、小池さんは、笑いながら、万条の言ったことをわざと掘り下げて聞いてきた。
「なんていうか、小池さんと堀口さん仲が良くていいなぁって思ったんです」
「……なるほどね」
小池さんは、小さく口を開けて、にやけながら、そう言った。そして万条に、あんぱんを差し出した。
「はい、約束したあんぱんだ!」
「ありがと!小池さん!」
万条は、あんぱんを受け取ると、すぐにそれを食べ始めた。おいしそうにそれを急いで、頬張っていた。
「ユイちゃん、ゆっくり食べなよ……」
「美味しかったぁ!!」
「食べるのはやっ!」
万条は食べ終わると、座りながら、伸びをし始めた。万条は体をだらけさせて、何気なく、小池さんに言った。
「あの、小池さんって、どうやって、堀口さんと友達になったんですか?」
「えっ?あははは!」
「え?どうしたんですか?」
「いやぁ。当時のことを思い出しちゃってさ~」
小池さんは、何か懐かしいものを見るような目になって、微笑み始めた。そして言った。
「アタシさー。実は小さい頃に両親が離婚してて、ぐれちゃってさー。あはは!しょうもない話なんだけどさ!」
万条は、その言葉を聞いて驚いた。小池さんが、そういう家庭であったことだけでなく、そのことを他人に笑って話していることが、不思議でならなかった。
「あ、そうなんですか……」
万条は、机の上にあるお茶を飲んだ。
「ユイちゃん。アタシはね。寂しかったのよ。でもアタシはそれをどうぶつけていいか知らなくてね、遊びほうけてたのよ。アタシは、家にも帰らずに、よく友達と夜遅くまで遊んでいたの。学校の勉強もそっちのけで、テストの成績も下から数えられるくらいで、出席数もろくになかった。でも高校二年生の時ね。そんな、どうしようもないアタシにある転機があったの」
「転機……ですか……?」
「うん。いつだったかなぁ……。あっ、そこにノートがあるでしょう?ちょっと取ってくれる?」
小池さんは、部室のドアのよこにある机の上に置いてあったノートを指差した。万条は言われたとおりにそれを取ってみた。
「……道楽部活動記録ノート?」
「そうそう。まぁ名前なんかはどうでもいいのよ。ちょっとそれ貸して」
万条は、小池さんにそれを渡した。それを受け取って、パラパラとめくり始めた。
「あ、あった。去年の夏前ね……」
万条は、そのノートのことが気になった。そして、小池さんに言った。
「そのノート何が書いてあるんですか?」
「記録よ」
「記録?」
「そう。なんでもいいからって、咲村先生がねぇ。もうほんとにあの先生はお節介なのよ。何か、問題のある生徒を放っておくことができないのよ。それをあの人は、自分で言わないけれどね」
「ちょっと、それ見てもいいですか?」
小池さんは、返事をしないで、それを万条に渡した。万条はノートを開いて、その書いてある内容を見てみた……。
――小池先輩が高校二年生の時。
その日、たまたま学校に行った小池は、当時、担任だった咲村先生に出席日数が危ないからと言われ、職員室に呼ばれていた。小池はダルそうな顔をして、咲村先生の話すことを聞かずにいた。
「おい。小池……お前。なぜ学校に来ないんだ?私だって来ているんだぞ?」
「いいじゃないですかべつに」
小池は無愛想にそう答えると、咲村先生は呆れたように言った。
「はぁ……ときどきだが……お前の母親から連絡がくるんだ。お前の帰りが遅いとな。」
「な、そんなことやってたんだ……しょうもな」
「お前……口悪いな……それはさておきだ。担任の私としても、見過ごせないんだなぁ。まったく」
「見て見ぬフリをすればいいじゃないですか。大人はよくやるでしょ。そういうの」
「そうだな……ときにそうすることもあるかもしれないな……しかし、それはお前がいままで出会ってきた大人の話だ。つまり何が言いたいか分かるか?」
「わからないですけど、ていうか帰っていいですか?」
小池は、咲村先生に背を向けて、その場から立ち去ろうとした。しかし咲村先生は、小池の肩に手を置いてから、無理矢理自分の方へ向かせて、怒りを含めながら、にこにこと言った。
「ダメに決まっているだろ?」
「ちょ、なんですか」
咲村先生は、小池の肩を強く握って、笑って言った。
「まぁ、私もお前が何をしようがいいのだが、担任という立場以上、見過ごせないということだ」
「しょ、しょうもない」
「……お前まずその『しょうもない』ってやつやめようか。まぁ、そんなお前にしょうもない質問をしよう」
「はい?」
「何か、好きなことはないのか?」
「え?好きなことですか?急に言われても、わかりませんよ……」
「なんでもいい。なにかないのかー?」
「う~ん」
小池は、しばらくの間、考えた。ふと、昔、ケーキ屋になりたい。と思っていたことを思い出した。
「あ、そういえば、アタシ、昔、ケーキが好きで、ケーキ屋になりたかったんですよー」
「え?お前がかー?はっは!面白いな」
「ちょ、先生から聞いておいて、その反応はひどくないですか?」
「そうか?でもいいじゃないか。そのケーキ屋」
「全然、良くないですよ。先生、そんなテキトーだと、クビになりますよ」
「お前、びっくりするくらいに失礼な奴だな……」
「で、もう話はこれだけですか?アタシ、用事があるんですけど?」
「ほう、夜遊びか?」
「何か悪いですか?」
「まぁ、良いか悪いかで私はしらないが、そろそろ、夜遊びもいいんじゃないのか?」
「はい?なんですか?」
「お前、何か好きなことを見つけてみたらどうだ?」
「え?嫌ですよ、そんなくそしょうもないことしたくないですって。どうせ、諦めてしまうんですから」
「そうかもな。しかしお前はそんなことを一人前に言えることをやったのか?」
「なんですか、アタシのこと何も知らないくせに」
「そうだな。私はお前じゃないからなぁ。まぁそんなお前に私はチャンスをあげようと思うんだ」
「何言ってんですか?もういい加減にしてくださいよ」
「小池。そう言うな。もう部室は用意してある。安心しろ。私が今からそこまで連れていってやるから」
「え?部屋ってなんですか?ていうか何でアタシがそんなところに行くんですか、やめてください」
咲村先生は、先ほど手を置いた小池の肩に強く圧力をかけた。
「え?なんて?出席日数。足りてるのかお前?クビになるぞ」
小池は、確かに出席日数が足りていなかった。このまま学校に来ないと本当に、出席日数足りなくなってしまう……。
「わ、わかりましたよ……」
小池は咲村先生の圧力に観念した。そしてそのまま、部室へ連れていかれた。
部室は、一面に埃をかぶった机と、2つの椅子が置いてあった。そのひとつの椅子にはある男子生徒が一人、静かに座っていた。
「まぁとりあえず座れ小池」
「あ、はい……って、じゃなくて、何ですかこれ」
「さぁ小池、ここは以前、文芸部として使われていたところだ。私が今、楽器を
置くための物置として使っていた吹奏楽部に頼んで、空き部屋にしてもらった。いや~面倒だったよ~」
「なんて余計なことを……ていうかここで何するんですか?」
「う~ん……そうだな……お前らの好きなように使えばいいよ。まぁほぼ、部活だなこれは!部活名は、そうだな……そんな感じで好きなことをする、またはそれを見つける。道楽部っていうのはどうだ?まぁお前たち趣味の一つくらいあるだろ?持ち込みは特別許してやるから、あ、でもあんまり法外なのは禁止な」
「そんな感じって……全然分からないんですけど」
「えー?なにー?まったく聞こえなかったぞー」
「ぜ、絶対に聞こえてるじゃない!なんなの!いきなりこんなの」
小池は咲村先生の言うことに納得せずにいた。小池はふと、席に着いていた男子生徒に話しかけた。
「ちょっと、あんたも何か言いなさいよ!」
男子生徒は、本を読んでいた。小池に話しかけられ、彼は本の活字から目線を上げて、小池を見た。じっと数秒見てから、また顔を下げた。
「ちょっと!何か言いなさいよ!」
男子生徒は、再び顔を上げた。そして眼鏡を指であげながら言った。
「消しゴム」
「え?」
そして再び彼は目線を本にやった。小池はよく理解できなかった。
「なに?消しゴムって?いきなり」
「何か言えって言ったから」
「はっ!?」
「だから、何か言えと言われたから、何かを言っただけで、それがただ偶然、消しゴムだった、ということだ」
「な、なんなのよあんた……超、変な奴じゃない……。ていうか先生!こいつはなんなんですか!?」
小池が咲村先生の方を向くと、そこにはもう既に咲村先生はいなかった。
「あ、あの咲村ぁ……何にも大事なことは言わずに行きやがった……」
小池は、そう言って、部室を見まわした。何にも置いておらず、ほんとうに机と椅子しかなかった。しばらく、二人は黙ったあと、小池は男子生徒に事情を聞こうと再び話しかけた。
「ねぇ、なんであんたもここにいるの?出席日数足りないの?」
彼は、何も反応しなかった。小池は声を大きくして言った。
「ちょっと!あんたよ!メガネのあんた!」
男子生徒は、顔を上げて、あたりをきょろきょろした。その後に、
「もしかして、オレのことか?」
「そうよ!なんであんたもここにいるの?」
男子生徒は、少し黙ってから言った。
「わからない……しかし……」
「しかし?なに?知ってること何でもいいから教えて!」
「しかし……わからないということはわかる」
「ちっ!!」
小池は段々とイライラしてきた。急にこんな埃っぽい部屋に連れてこられ、知らない、しかも変な奴と一緒に部活なんて考えられない。さっさとここから立ち去ってしまおうとした。
「はぁ……もういいわ。アタシ帰るわ、やってらんないって。じゃあね。名前も知らないけど。アタシ部活なんてやらないから。もう明日以降は来ないから、どうせ学校も行かないし」
小池は部室を出ようとドアを開けた。そのとき、男子生徒は、静かに小池の方を見て言った。
「出席足らないと、進級できないぞ。まだ間に合うぞ」
小池は一瞬、立ち止まり、ドアを思い切り閉めてから去った。
「うるさいわよ」
小池は帰り道、せかせかと速足で歩いた。
そして、30分くらいが経った。男子生徒は、まだ部室にいた。座って、カバンから本を取り出して、読んでいた。しばらく読書した後、彼は、窓を開けて外の景色を眺めていた。彼は何を見るでもなく、窓の外を見ていただけだった。彼は、ふと物思いに耽って、ひとこと呟いた。
「まだ間に合うんだ……」
「なにそれ?口癖なの?しょうもな」
「っ!?」
彼は、後ろを振り向いた。そこには小池がドアの横に立っていた。そして小池は部室に入って、椅子に座った。
「なに驚いてるのよ」
「戻って来たんだな」
「そうよ、出席日数足りなくなるのよ」
「そうか」
彼は席に座って、本を再び手に取ったとき、小池は彼に続けて話しかけた。
「ねぇ、あんたさ……」
小池は続きを言おうとしたが、すぐには言わずに、躊躇って言った。
「名前……なんていうのよ」
「堀口」
「そう。アタシは小池……」
その会話のあと、二人はとくに話もしなかった。堀口に色々と聞こうとした小池も、今は特に何も話しかけることもしないで、ただ沈黙が続いた。
それからというもの、小池は出席日数のために学校に来ては、咲村先生の監視の下、部活にも出席し、外が暗くなる時間には帰宅する生活に変わっていた。
二人の部活動は、お互いにほぼ黙ったまま、静かに、数日間が経っていた。
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