第26話 強敵

 翌日。その日の放課後に作戦を立てた通り、生徒会長へ抗議することになっていた。その日の朝。学校へ登校すると、真っ先に万条がオレに話しかけてきた。オレは耳につけていたイヤフォンを取り外すことはせず、自分の席に着いた。


「ねぇねぇハッチー!今日の抗議、頑張ろうね」


「……」


 オレは音楽を聞いてたが、万条の声はしっかりと聞こえていた。しかしオレは聞こえないフリをしていた。


「ねぇねぇ聞いてる?」


 反応がないオレに対して、万条はオレのイヤフォンを取り上げて、言った。


「なんか、この前もこんなことあったよね?」


「そうかもな」


 オレは素っ気なく答えた。


「で、ハッチー。今日、抗議、頑張ろうね!」


 万条はさっきと同じことを言った。


「さぁーみんな席に着けー」


 咲村先生が朝のホームルームをするために教室へやって来た。万条は、それに気が付いて、自分の席に戻るときに、オレに言った。


「じゃあ、また放課後ね」


 オレは何も答えることはしなかった。また同時に、オレは「また放課後ね」という言葉に、違和感を覚えた。


 ――オレはいつからこんなに自然と、万条と話すようになったんだ?

ことの始まりは、万条がいきなりオレの家に押しかけて来てからだ。あれからオレの高校生活は変わったと言っていい。放課後、すぐさま家に帰ることはしなくなり、道楽部という変な部活に参加させられている日々だ。


「じゃあ、出席をとるぞー。阿部―」


 咲村先生は、出席を取り始めた。オレは、教室の窓から見える空を眺めた。

 

 今日は、雲がない。快晴だ。太陽が鬱陶しい程、眩しく照っている……。


「八橋ー」


 こうやって空を見るのは、いつぶりだろうか。日々の小さな変化を見ようとしたのはいつぶりだろうか。とても久しい気がする。これも、道楽部に入ってから――


「八橋ー。返事しろー。私の目には映っているけど、欠席かー?」


 オレは咲村先生が出席をとっていることを忘れていた。オレはやっと、我に返り、返事をした。


「あ、はい。います」


「そうだろうな。次、横井ー?」


 咲村先生は、出席をまた取り始めたが、横目でオレのことを、何か言いたげな表情で見ていた。オレは再び、空を見て、朝のホームルームが終わるのを待った。


  



 ――放課後


 オレは、教室を出てから道楽部部室へ行こうとしていた。教室を出ると、誰かがオレの前に立っていた。


「八橋」


「ん?」


 オレは顔をあげてからその顔を見た。


「なんだ、パワ村先生じゃないですか」


「なんだ、その失礼な呼び方は……。お前は本当に減らず口を叩くやつだな。はっは!」


 咲村先生は、笑いながら言った。


「で、なんですか?オレは部室へ行くんですけど……。なんでオレの前に立ってるんですか?」


 すると、咲村先生は不意に、ビックリすることを言った。




「お前、道楽部を辞めたいか?」




「え?」


「だから、道楽部を辞めたいのか、どうかを聞いているんだ」


「それはまた急ですね。どうしたんですか。今は道楽部の危機だって言うのに、顧問の言うことじゃないんじゃないですか?」


 咲村先生は、オレの言うことには構いもせずに、続けた。


「辞めるか、辞めないか、どっちなんだ?選択肢は二つだ」


「……」


 オレは、強気にくる咲村先生にひるんだ。突然のことだったので、咲村先生の意図を探ることができずにいた。


 ――何が目的で咲村先生はオレにこんなことを聞いてきているのだろうか。そもそも咲村先生が無理矢理入れたんじゃないか。それを今になって、選択肢を与えるなんておかしい。

 オレは、咲村先生の意図を考える時間も碌になかったが、こう答えた。


「辞めたいです」


「ダメだ」


「は?」


 咲村先生は、オレが答えた後、すぐにそう言った。


「どういうことですか?意味が分からないんですけど……」


「何故、辞めたい?理由によっては考えてやる」


「は?また質問ですか?そうですねぇ、そりゃやっぱり一人で家でゴロゴロしていたいからですかねぇ」


「ほうんとうにそれだけなのか?何か他にも理由があるんじゃないのか?」


「他ですか?そんなものはないですよ。オレは一人で怠惰に、ゆっくりすることが大好きなんですからね。一人であれば、好きなことができますし、他人に気を遣うこともないですし――」


 咲村先生は、オレが話てる途中で、遮って言った。



「一人でいたいのは、自分が傷つかないようにするためなんじゃないか?」



 オレはその言葉を聞いて、ひどく動揺し、体が固まった。そして、咲村先生は恐ろしい人物だと言うことが分かった。この人には何でもお見通しで、嘘や詭弁は通用しないということが分かった。オレは力が抜けた。咲村先生の顔を見ることはできずに、ただ咲村先生の言ったことをどうのように、かつスマートに誤魔化せるかどうかだけを考えていた。


「言っている意味が分かりませんね……それってどういうことですか?」


「八橋……」


「はい」


 オレの名前を呼んだ咲村先生は、少し寂しげだった。咲村先生は、続けて、優しく言った。


「もう、自分を戒めて、いじめるのはやめにするんだ」


 オレは体が動かなかった。咲村先生の言ったことが、どういうことなのか分かっていた。どういう意図で、どういう意味で、何のためにオレに言っているのか全て分かっていた。しかし、オレはそれが嫌で嫌で仕方がなかった。オレは、


「そ、そういえば、今日は、抗議があるんですよ。そろそろ行かないといけないんで、失礼します」


 咲村先生の顔はおおよそ想像がついた。咲村先生の顔を見ることもなく、オレはその場から逃げるように立ち去って部室へ向かった。とても下手な誤魔化し方だった。それは自分でも分かった。咲村先生もおそらく分かっただろう。それでもオレは、下手にでも誤魔化すしかなかったのだ。オレは、歩く速度を速めて、部室へ向かいながら、咲村先生に言われたことを振り返った。

 咲村先生が言ったことは、オレにとって認めたくないことであり、目を逸らし続けてきたことだった。だから、オレはそのことについて、オレがどうして怠惰に一人を好むようになったのかについて、話すことは気が引けた。他人にそのような話をしたこともなければ、したところで何かが変わるわけでもないと思っていた。とにかく、オレはその話だけはしたくなかったのだった。


 息が切れながら、部室に着くと、オレは、部室のドアの前で立ち止まった。ドアの前では、部員達の話声が聞こえてきた。その声は、活気に満ち溢れ、無防備であった。オレは、その声を聞いて、オレとはかけ離れている世界がドアの向こうにはあるのではないか、と思った。そして、いままで自分がそこにいたことを思うと、なぜだか不思議でしょうがなかった。オレは部室へ入ることを躊躇って、一度、ドアに背を向けた。


「あれ?」


 すると、部室のドアは急に開いて、ドアの隙間からは万条の顔が見えていた。


「ハッチー、遅かったね。そんなところで何やってるの?入りなよ」


「あ、ああ……」


 オレは、万条に言われるがまま部室へ入ってしまった。中に入ると、富永と大花が、オレの顔を見た。


「やっと来たか、八橋。まぁ座れ」


「生き物さん、遅かったわね」


「ああ、まぁな」


 オレは単調に答えた。それに対して、万条は、元気に気合いを入れて言い放った。


「じゃあ、ハッチーも来たことだし、抗議に行こうか!」


「よし。では行くかユイ!」


 富永は気合を入れるかのように自分の顔を叩き、引き締めて言った。万条も大花も席を立ちあがり、返事をした。


「うん!!」


「ええ。いきましょう」


 黙っていたオレに気が付いた万条は、どこか何かを確認するかのように、オレに言ってきた。


「ハッチーも頑張ろうね」


 万条の言葉にオレは、何も答えることができなかった。



 生徒会室は第2校舎の最上階にあり、一般の生徒がそこに立ち入ることは滅多にないことであった。オレ達は階段で最上階にまで上がり、そこを目指した。遂に生徒会室に着いた。生徒会室の前で部員達は再び掛け声を掛け合うかのように言った。


「なんとしても廃部阻止するよみんな!」


「当たり前だユイ!」


「いきましょう」


 万条は生徒会室のドアを開けた。奥に深々と座っている生徒会長を見つけた。まず先陣を切ったのは万条だった。


「会長!昨日の件ですけど」


 万条の一言で、机の書類を見ていた生徒会長は頭を上げた。


「あら、あなたたち。何しに来たのかしら?昨日の件?それについてまだ不満があるのかしら?」


「あります!抗議をしに来ました!」


「そう。やってみなさい。聞くだけ聞いてあげるわ」


「ありがとうございます生徒会長。もう一度言いますが、何で道楽部が廃部なんですか?確かに立花君は結果的に暴力沙汰という事件を起こしてしまいましたが、それは人のためにやったことなんです!相手の坂下君も謹慎処分になっていますが、その彼がもともと立花君のテスト勉強するための教材やノートを盗んだんです。本当はそれはここにいる冨永さんに勉強させないために教材を盗むつもりであったのですが、坂下君は間違えて立花君のを盗んでしまった。そしてワタシ達は坂下君のもとに行き、冨永さんが、立花君のために坂下君に返して欲しいと頼んだのです!でも坂下君は納得いかなかったみたいで、冨永さんを突き飛ばして……それを見た立花君は……。会長!この部活はワタシ達にとって大切な場所なんです!奪わないでください!」


 続いて、冨永が言った。


「そうです。会長。ワタシはこの部活に入って変わりました。以前までは話したことのない人にはワタシはいつも見高な態度でした。でもワタシはこの部活に入り、部員たちと接しました。みんなは温かくワタシを迎えてくれ、ワタシはとても優しい気持ちになり、ワタシ自身も他人にこう思ってくれればいいと思いました。最近では、クラスでも少しずつ話してくれる人が増え始めました。こんな簡単なことがワタシはいままでできなかったのです。でもこの部活に入ってそれができるようになった。ワタシにとってもこの部活は居場所です。会長。どうかよろしく頼みます!」


 大花は静かにしゃべり始めた。


「ワタシは今まで、他人すべてがバカだと思っていたわ。バカなくせにヘラヘラして何が楽しいのかさっぱりわからなかった。でも、それはユイに会ってから変わったわ。ユイはいつだって笑っていた。無表情なワタシとは対照的に、友達として接してくれた。その時思ったわ。楽しいってこういうことなんだって。今だって顔には出ないって言われるけれど、とても楽しいの。この部活、変だけど、とても楽しいの」


 二人の言ったことに感化されたのか、万条が再び言い出した。


「ワタシだって楽しいんです!部室でのたわいもない会話、部室のにおい、どこかで遊びにいったりしたこと。衝突したことだって含めて全てが、ワタシにとっては思い出なんです!そしてこれからもそうやっていきたい。お願いします会長!」



  ――すごい……。



 オレは3人を純粋にそう思った。また、同時に、「ありえない」とも思った。

 3人は自分たちの思ったことを素直に言っていた。当初計画していた作戦は、部活の業績、活動内容の説明、そして、それらの整合性を言おうというものであった。

 しかし3人は、感情が高ぶり、部活への思いを語っていた。それはオレには到底、言えるようなものではなかった。人の前で自分の過去を曝け出し、弱みを告白し、誰かに救ってもらった、なんて話は、もし仮にそのような体験があってもできるようなことではなかった。何故ならば、それは、人を信頼していないとできないことであり、結局は、自分のことを分かって欲しい甘えん坊にすぎないと思っていたからだった。


 会長は3人の話していたことを黙って、鋭い目でじっくりと聞いていた。

 そして、こう言った。


「言いたいことはそれだけかしら?」


 万条達はひるんだ。これ以上何を言えばいいのか分からない様子であった。すると、その鋭い目はオレをギロっと見てきた。


「あなた。そこで一言も発言してない、あなたはどうなの?」


  オレは……。


「オレですか……。オレは……3人がここまで大切にしてる場所を廃部にまでしなくてもいいと思いますが……」


「……」


 生徒会長は、オレから視線を逸らすことはなかった。凝視し続けて、オレを睨むように見ていた。


「そう。だいたい分かったわ。やっぱりこの部活は必要ないわ。もう帰りなさい。ワタシも忙しいのよ。あなたたちの要望は呑み込めないわ」


「でも、会長!ワタシ達は諦めませんよ!何度でも来ますから!」


「ほら!さっさと出ていきなさい!」


「ちょっと、生徒会長!待ってください!」


 生徒会長は強く言って、オレたちは生徒会室から追い出された。オレたちは、生徒会室を出て、廊下を歩いていた。廊下の窓からは、夕暮れの陽が差し込んでいた。道楽部員達は、静かに歩いていた。

 外から聞こえる他の部活動の生徒たちの声が、聞こえていた。その声は、おそらく運動部で、何やら掛け声をかけていた。その声をオレは、外を見ながら黙って聞いていると、富永は、立ち止まって、苛立ちながら言った


「なんなのだ!あの生徒会長め!何がいけないというのだ」


 他の部員達も、それに伴い、立ち止まった。万条は、富永に言った。


「わ、わからないよ…。でも、またワタシ抗議しに行く。何度でも」


「当たり前だ!何度でも言ってやる」


「ワタシもいくわ」


 オレは黙ってその様子を見ていた。外から聞こえていた掛け声も聞こえなくなっていた。外の校庭を見ると、その運動部の部員達は帰り支度を始めていた。万条もそれを見ていて、廊下で立ち止まって、動かない部員に万条がしぶしぶ言った。


「とりあえず、みんな、今日は帰ろっか」



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