STORY6 愛を見てきた(5/8)

ちょうど、iPhoneがタイミングを計ったように着信を告げ、砂田は表示画面を確認した。

相良からだ。メッセージは録音されていない。オフの日に電話があるのは珍しく、仕事のやりとりならメールで済むはずだが。

コールバックのために会場をいったん出て、人気(ひとけ)の少ないロビーで端末を耳にあてた。

呼び出し音が続く。運動したわけでも、飲酒したわけでもないのに、脈拍が速まる。

「ごめん、運転中なもんで」

ようやく繋がった。

「スミマセン、電話に出られずに……話して大丈夫ですか?」

「ああ、車を停めたから問題ない。啓一郎は、いまどこだ?」

「はい、あの、例の『天知る地知る』のパーティー会場にいます」

マネージャーには今日のスケジュールをあらかじめ教えていたので、あえて声を張った。アイドルと密会中ではない。

「ああ、そうだったな。すまない、電話して……」

相良はそこでいったん息を入れた。

パーティーの時間と場所まで伝えておけば良かったーー砂田がそう考えた拍子に、さっきの人物が脳裏に浮かんだ。

父の葬儀だ。最後の弔問客だった。

喪主を務めた砂田は芳名帳に目を通し、東京から熊本まで来た彼女の存在を後で知った。

苗字は、たしか「野間口」。下の名前は覚えていないが、自宅に帰れば分かる。

「啓一郎、聞いてるか?」

「……あっ、スミマセン」

意識を電話に戻した。

「実は、急ぎで時間を作ってほしいんだ。代表がお前に話があるらしい」

「後藤田さんが、ですか?」

「ああ、さっき電話があってな。『とにかく、砂田を事務所に連れて来い』って言うんだ。いまから、どこかで落ち合えないか?」



ネクタイを解(ほど)き、スーツとワイシャツを脱いで、砂田はiBookを起動した。

6畳の自宅部屋。夜の10時を過ぎている。

思いがけず、忙(せわ)しい1日になった。

もう何もせず、強い酒で眠りたかったが、「アルコールや無駄な外出は控えておけ」と、別れ際にマネージャーから諭された。

今し方の時間が信じられず、その真相を探るため、ポータルサイトの検索窓に「砂田啓一郎 偽善」と入れ、トップ表示の巨大掲示板をクリックする。

ーーー

大根砂田の偽善断罪スレ

1 名前:文責・名無しさん:2012/06/13Wed.12:20:43

大根役者・砂田啓一郎のアイドル食い伝説と偽善ボランティア活動の真意を問うスレッドです。

ーーー

心臓がどくんと打つ。

複数の「名無しさん」が集い、閲覧者を嘲るアスキーアートが意味もなくスペースを占拠していた。

「じり貧劇団出身、三文役者のスケベ心」「身の丈知らずの成り上がり」「アイドルに手を出し、今年消える俳優ナンバーワン」「自業自得自行地獄」……

匿名、匿名、匿名。

それぞれの書き込みは短いものの、すべてが好戦的で、悪意に満ちた日本語の羅列だ。

「売名行為はこちら」にリンク貼りされた画像は、待避所で砂田が使い捨てカイロを老婦人に手渡しているものだった。

粟立つ二の腕でマウスを動かすと、書き込まれた時間が現在に近づいてきて、やがて、ジミーFや荒川一平太までもバッシングの対象になっていた。悪意を越え、殺意のちらつく毒矢も放たれている。

「コイツ、所詮はクマモトの田舎モンだよ。親父は三流建築家。その浮気相手のガキが啓一郎」

断定にすり替えられた憶測。

「安曇野サオリ ラブホテル」の検索で表れたサイトには「淫乱で男好き」といった中傷記事があり、ユーザーの心ないコメントが連なっていた。

耐えられず、ブラウザを閉じる。

住み慣れた部屋の壁が見知らぬ空間の一部に思え、こめかみを指で強く押す。

応接室で、後藤田は「この数日でネットが騒がしくなった」と眉をひそめ、差出人不明の封書をテーブルに放(ほう)った。

B5用紙にパソコンで打たれた文面は、言い回しこそ常識人を装っていたが、砂田啓一郎をマネジメントするスターライト・プロモーションへの罵詈讒謗(ばりざんぼう)に満ちていた。

「こんな投書はどうでもいい。しかし、ネットでは悪い噂が拡散していく。うちみたいな弱小事務所はそういうのがいちばん嫌なんだよ。出版社を提訴するかどうかはハニーハッピーが判断するだろう。しかし、その前に……我々はまだ堀田社長の赦しを得てないがな……」

後藤田は小鼻を膨らませ、マネージャーとタレントへの眼光を鋭くした。

あの夜、自分の行動を誤らなければ、座長もエフも名前を曝されず、安曇野サオリもメディアの餌食にならなかっただろう。

内臓を捻(ねじ)られる痛みでパソコンから離れ、砂田はiPhoneに入る連絡をまんじりともせず待った。マネージャーの相良が事務所に居残り、後藤田と話し合いを続けていた。



7月。梅雨明けはまだ先だが、雲のない日は紫外線が容赦なく路上に注いだ。

半袖シャツやノースリーブが駅のエスカレーターを上下し、公共施設のエアコンは冷風を間断なく送り出している。1年前の今頃は「節電」が生活のパスポートだったのに、いまは原子力発電所のニュースがそれを喚起するくらいだ。

恵比寿と広尾の間の、砂田啓一郎が以前勤めていた撮影スタジオ近くのカフェから、歩道を行き来する日傘がちらほら見える。

時間に遅れてやって来たギョーカイの男は、タータンチェックの鳥打帽を整え、風貌と不釣り合いな笑みを浮かべた。



(6/8へ続く)

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