STORY1 枯れてしまうには早すぎる(6/8)

「お待たせしてスミマセン。前の打ち合わせが長びいちゃって……」

席に着くなり、神門はアタッシュケースからポケット式のファイルを取り出し、グラスの水を喉に流し込んだ。それから、額に浮いた汗を手の甲で拭い、江頭を見つめる。

同じテーブルで密会した前回よりも、太陽は高い位置を動き、夏服が店内を行き交っていた。

「栄さんとうちのジミーFの対談は、おかげさまで社内でも大好評でしたよ」

神門は鳥打帽を脱ぎ、タール値の高いタバコに火を点ける。

「それは良かった。でも……うちのCDが紹介されてなかったみたいだけど」

「ああ、販売サイトへの誘導がなかったんですよね。ジャケット写真はちゃんと掲載してたのに」

それ以上の追求が出来ず、江頭はアイスコーヒーの容器をそっと持ち上げて、ストローをくわえた。

「編集長の倉田にはきつく言っておきましたよ。主役は大城戸なのに何やってるんだ!って」

うなじに手をあて、神門は柔軟体操のように首をぐるりと回した。

「慣れ」を超えて、だんだん不躾になる相手の態度に年長者の江頭の胸がチクンとする。アロハシャツは第2ボタンまで外され、無造作に蓄えた顎髭も汚らしい。「専務取締役」の肩書きがなければ、ギョーカイのごろつきみたいだ。それに、現場にいた副編集長ではなく編集長の名前を出し、「大城戸」と呼びつけにしたことも気に障る。

信頼度100%だった相手を客観視するーー江頭は、それが正しい姿勢だと考えた。心底のモヤモヤ感は、新曲の結果より、おそらく、あの撮影衣装のせいだ。停滞する演歌界への投石は分かる。しかし、大城戸に銃を持たせる必要があったのか? 記事の内容を深堀りするとか、対談シーンを動画で見せるとか、メディア使いに長けたプライムミュージックなら別の表現方法があったはず。

「今度は栄さんの単独インタビューを仕込みますよ」

マネジャーの内面を見透かして、神門はきっぱり言い、時間を早送りする感じでファイルを開いた。

「エトさん、そろそろ本格的に話を進めさせていただきたく……今日はふたつの提案を持ってきました」

畏まった口調が声のトーンを変えている。

「うちが芸能プロダクションも持っていること、ご存じですか?」

「……プロダクション?」

「ええ。タレントやアーティストを囲う事務所です。子会社なんですけど、ジミーFもそこに所属させています」

神門が差し出すファイルに「プライムレボリューション所属アーティスト」と記されたA4サイズの紙があり、複数の顔写真と名前が連なっている。

「CDの発売元をうちに移すのに併せて、所属事務所のことも考えてほしいんです。栄さんとエトさんのオフィスは歴史がありますから、すぐに移籍しろとは言いませんが……たとえば、いま、お金の管理はどうしてます?」

単刀直入な物言いに胸ぐらを掴まれ、江頭は目線を上げた。

「経理担当の者がひとりいて……まぁ、その子は書類や伝票の整理で、事務所の数字は外の税理士が見てるけど」

現状をありのままに伝えた。嘘をついても、いまさら隠しても仕方がない。両隣りのテーブルは都合良く空いたままで、他人の耳を気にする必要もなかった。

「大城戸栄音楽事務所の名前をしばらく残したまま、うちが面倒見るのはどうでしょう? 海外に進出すれば、印税や原盤管理もいっそう面倒になるし、無駄な税金だってかかってしまう。だいたい、部外者に数字管理を任せるなんてアブナイですよ」

ギョーカイの新参者は、策略の図面にあふれんばかりの自信を乗せて、ファイルをめくった。



週末金曜日の昼下がり。

大城戸の自宅前で本人を拾い、江頭のミニバンは住宅街から青梅街道に入った。

今日で3日連続の真夏日だ。ガソリンスタンドの南向きの看板が日焼けした写真みたいに色を薄く変えている。

いつもと相違なく、助手席のシートにもたれる大城戸。しかし、普段は持ち歩かない鞄を持ち、「今日は俺の言うとおりに車を進めてくれ」と運転手兼マネージャーの江頭に告げた。

仕事なのか、プライベートなのか、江頭はそれさえ知らされていない。ギャラの発生する営業なら、最初に原島か自分のところに話が来るし、プライベートなら社用車を使わず、ひとりで行動するはずだ。江頭はミステリーツアーにでも参加する思いで、言葉少なにハンドルを握った。

「エガ、対談の時にいた神門って人……お前と同郷じゃないか?」

赤信号のタイミングで大城戸が振った話題に、江頭の心拍が速まる。

神門と初めて名刺交換した時、同じことを思った。「神門」は島根県に多い苗字だ。しかし、故郷に思い入れのない江頭は、自分の出身地を打ち明けることなく、それを確かめずにいた。

「……そうですね。少なくとも、彼の先祖は出雲でしょう」

「島があっても、島ねえー島根県。いつもの出雲」

大城戸は自分の駄洒落に派手に笑い、前方に西新宿の高層ビル群が現れると、次の交差点を左に曲がるようナビゲートした。

話の終止に安心したものの、江頭は動揺を隠せない。いまどこに向かっているのか、これから何をするのか……神門からの提案を口にするのはそれが分かってからにしよう。運転中ではなく、きちんと時間を取って伝えるべきだ。

神門の提案のひとつめは、CDメーカーの移籍に併せて、大城戸栄音楽事務所がプライムミュージックの傘下に入ることだった。

ふたつめは、「移籍第1弾は作詞も作曲もプライムミュージックに任せてほしい」というもので、ギョーカイの新参者は臆面なくそのことを申し入れてきた。

デビューから40年ーー大城戸はすべての楽曲の詩を自分で書いている。それは彼のアイデンティティであり、財産であり、アーティストとしてのプライドだった。



(7/8へ続く)

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