STORY1 枯れてしまうには早すぎる(7/8)

「エガ、俺の場合、作詞の『詞』の字はポエムの方の『詩』って文字だから、その表記は間違えんなよ」

マネージャーになった日に、江頭は大城戸からそう釘を刺された。たとえば、タンポポを蒲公英と書いたり、薄紅(うすくれない)を薄紅色(うすべにいろ)に推敲したり、歳月を重ねながら、大城戸栄は日本語の詩作にこだわり続けた。

「エトさん、メガヒットのためには変革が必要ですよ……移籍1発目は、詞も曲も全部僕らに任せてください。それを条件のひとつに」

神門はスナイパーの眼光とともに、提案に条件を加えた。

長いキャリアの中で、点として消える衣装ならまだしも、線として残る詩までも……。

紅白歌合戦に出たい。ヒットチャートに上りたい。大城戸栄の魅力を世の中に伝えたいーーアクセルの踏み込みと入れ違いに、江頭はためらい、胸の内で嘆息する。そもそも、CDメーカーの移籍案さえ話していない。事務所のこと、詩のこと。いったいどんな順序で切り出せばいいのか。

「栄さん……今日は歌うんですか?」

「ん? 歌?……そうだな……風の向くまま気の向くままよ」

信号待ちの江頭の問いかけに、大城戸は口笛を吹く調子で答えた。

やがて、一方通行路を右折して神田川の小さな橋を渡ると、助手席側のウィンドウが開いた。

熱風が車内に潜り込み、江頭はスピードを落としていく。角地には寺があるらしく、朽ちかけた卒塔婆が、ブロック塀から尖端を覗かせている。

「おっ、あったぞ。あの建物だ!」

大城戸が電柱の先を指さし、ブレーキを促した。そして、「クラクションを2回鳴らしてくれ」と続け、降車を急ぐ格好でポロシャツの襟を整える。

クリーム色の壁面に蔓(つた)を張り付けた建物が、ベランダの手すりにたくさんの布団をかけていた。民間のマンションではない。狭い敷地内に、クリーニング店のワンボックスカーが停まっている。

江頭はハザードランプを点し、助手席に体を寄せる姿勢で、門柱に嵌め込まれたプレートを見た。

[シルバーハウス 相楽園]

大城戸がドアから身を乗り出した。

「こずえー! 着いたぞー」

突然の叫び声に、江頭が視線を移すと、ウグイス色のエプロンとつっかけサンダルの女性が建物から出てくるのが見えた。

両腿に鳥肌が立ち、心臓がどくんと鳴る。

10メートルほどの距離で、誰なのかが分かった。

大城戸栄の一人娘の梢が、敷地に車を入れるよう、「オーライ、オーライ」のジェスチャーを繰り返している。


「お父さん、よく来たわね!」

「あったり前田のクラッカー。男の約束だぜぇ」

大城戸は鞄を携え、ピースサインで江頭にアイコンタクトした。

「……エガシラさん?」

長い髪をポニーテールにした梢が、おっかなびっくり尋ねる。父親と異なる細面の輪郭だが、目鼻立ちは瓜ふたつだ。

「そう、こいつはエガシラジュンペイに違いない。俺と梢は1ヵ月ぶり! エガと梢は20数年ぶり!」

がなり声の父親を尻目に、娘は江頭に深々とお辞儀した。

最後に会ったのは、彼女が小学校入学前で、江頭が31歳の時だ。当時、マネージャーの江頭は慣れない手つきで梢を抱っこし、女優業で忙しい母親の替わりに絵本を読み聞かせたりした。大城戸がオフの日に3人で出かけ、上野動物園で肩車をしてあげたこと、所沢の航空公園で紙飛行機を飛ばしたことーー大人はすべてを覚えているが、幼かった子供には記憶の断片しかない。それでも、相手の名前と存在はしっかり覚えていたようで、梢は時間の流れを慈しむ眼差しを父親のパートナーに向けた。

「よっ! 感動の再会だねぇ!」

江頭の横で大城戸が囃し立てると、梢は人差し指を口にあてた。騒々しさに気づいた老人が、ベランダや部屋の中から庭先の様子を伺っている。

江頭は、彼女がこのホームで働き、居住者のために演歌歌手の父親を呼んだことを理解した。しかし、今日は営業用の衣装を持ってきていないし、原島が用意するはずの音響セットもない。

建物に入ると、毛染めの髪をオールバックにした園長に質素な応接室で歓待された。

「こずえさんには、この秋に石巻に完成するハウスに、来年の3月までヘルプに行ってもらうんです。ここの入居者は寂しがりますけどね」

目尻の皺に人柄を刻んだ温かい表情で園長は言った。そうして、訪問の準備不足を詫びた江頭に「お年寄りには普段の大城戸さんがいいんです。ステージ衣裳や歌に興奮して、心臓に負担がかかる人もいますからね」と微笑んだ。

「ま、そういうこっちゃ」

グラスの麦茶を一気に飲んで、大城戸が立ち上がった。

「ヨッシャ、じゃ、人生の先輩たちにご挨拶しに行こか!」


大城戸栄が、紅白出場経験のある歌手で、テレビで見る芸能人である以上、「普段」と言っても、受け入れ側は身構えてしまうようで、学校の音楽室に似た[憩いの間]には、「ようこそ スター大城戸栄さん」という横断幕が掲げられていた。太く力強い筆文字は、年若いスタッフではなく、園長自身か居住者の手によるものだろう。

20人ほどのお年寄りを前に、大城戸は「エイヤー!」を封印し、時間をかけてゆっくり一礼した。

車椅子とパイプ椅子に座る者、男性と女性、そのどちらも半々の数で、古希を過ぎて喜寿を迎える人たちだ。施設のスタッフは彼ら彼女らを見守るかたちで、部屋の壁際に立った。

西向きのブラインドを背に、梢を隣りにした江頭は、大城戸の一挙一動を見つめて脇汗をかく。長いマネージャー生活で、こうした施設を訪れるのは初めてだった。

「皆さんにお会いできて、今日はサカエ・オオキドならぬ、サカエ・オオキニ!人生の出会いに感謝!ありがとう!」

マイクを通さない地声の挨拶に、お年寄りたちは体を緩慢に動かし、手をやんわり叩いた。感極まって、目頭をハンカチで抑える者もいる。



(8/8へ続く)

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