STORY6 愛を見てきた(1/8)
1
ガラス天板のローテーブルに写真週刊誌が置かれている。
逮捕状を突き付けられた思いで、砂田啓一郎は唇を噛んだ。
半年前、マネジメント契約の書面にサインし、事務所代表の後藤田(ごとうだ)と握手を交わした応接室。ブラインドから差し込む斜陽が雑誌の表紙にコントラストを生み、文字がいっそう鮮やかに見えた。
ーーー
激写!安曇野(あずみの)サオリと若手俳優、ラブホテルの熱い夜
ーーー
砂田が目を背けたとき、マネージャーの相良(さがら)とダブルのスーツを着た後藤田が現れた。
若手俳優の起立を黙殺した代表は、自分がソファに掛けてから着席を促し、「事情を説明しろ」と、感情を押し殺した声で外国製のタバコを指に挟んだ。
「では……担当の私の方から」
「いや、お前じゃなく、砂田本人からだ。マネージャーのお前は現場にいなかったんだろ」
「申し訳ありませんでした。ただ、僕は……安曇野さんと食事しただけです」
口をつぐみ、体を屈(こご)めた相良の隣りで、砂田は「事情」を偽りなく発した。言い訳せずに謝罪するのが賢明と考えていたが、命じられたとおりに事情を伝える。
「こんな場所でメシか?」
切り揃えた口髭を摩りながら、後藤田が片手で雑誌をめくり、渦中のページを晒す。
歌舞伎町のラブホテル街。カタカナやアルファベットの看板が砂田と安曇野の背後に映っている。モノクロでも夜の妖しさを顕(あらわ)にしたベストショットだ。
創られた写真ではない。10日前、砂田啓一郎と安曇野サオリがそこを歩いたのは事実だった。しかし、記事の文章は捏造以外の何ものでもない。
「新大久保の韓国料理店に行きました。写真の場所は新宿からの抜け道で……」
「分かった。もういい!お前と安曇野がヤッたかヤラなかったかはどうでもいいんだ。記事に『ラブホテルから出てきた』って書かれた以上、世間的にはヤッたことになるんだよ」
後藤田のこめかみにミミズ腫れに似た血管が浮き上がる。
「申し訳ありませんっ!」
寸座に立ち上がり、上半身を折った相良に、砂田も慌てて続く。
「座れ」
体温のない口ぶりで、ダブルのスーツが半分も吸っていないタバコを灰皿に押しつけ、ふたりをねめつけた。
「編集部からの掲載通知を俺にすぐに伝えなかったのは相良のエラーだ。お前とは後でじっくり話す。砂田!お前は平然とこんな場所を……しかも、ハニーハッピー所属のアイドルと歩くなんて大バカ者だ!」
部屋の外に響くほどの怒声に、タレントとマネージャーは両手を腿の上に置いて頭(こうべ)を垂れた。
「明晩、俺はハニーハッピーの堀田社長に会って弁明する。弁明っちゅうか……土下座レベルで謝るんだよ。さっき電話して、とりあえず、時間をもらった。相良、急いで経緯(いきさつ)をまとめろ」
安曇野サオリとメールでやりとりし、新宿界隈で待ち合わせたことーー砂田はマネージャーに洗いざらい話して事務所を出た。
「経緯は僕が書きます」と申し出たが、「代表に命じられたのは私だから」と、相良はパソコンを打ち始めた。
やましいことはしていない。ドラマの共演で親しくなったタレントとご飯を食べただけ。アイドルの彼女が写真週刊誌の“おいしい”ターゲットで、ラブホテル街を通ったのは迂闊だったが、恋愛感情はなく、兄と妹みたいな関係なのにーー表参道の交差点で、砂田はキャップを目深にして溜め息をつく。
歩きながら、iPhoneのアドレス帳を開いた。安曇野サオリは「SAZ」、マネージャーの相良は「MSA」。知り合いの芸能人やギョーカイ関係者をイニシャルで登録しているのは端末を紛失したときのリスク回避だ。
そして、「JF」との今晩の約束をキャンセルしようとしたところで手を止めた。ゴシップ記事は男同士の友情には関係ないし、このまま自宅には戻りたくない。
国道246号で渋谷を目指し、街路樹沿いをなるべく人目につかないよう歩いていくと、ポケットに戻したiPhoneがバイブレーション機能でブルっと震えた。
「おう、ケイイチロウ。オレだよ」
「……座長、お久しぶりです」
砂田がかつて所属していた劇団・寿限夢×2(じゅげむじゅげむ)の荒川一平太だった。
いまでこそ、荒川は「再現ドラマカフェ」という舞台パフォーマンスの主催者として知られているものの、テレビでブレイクした後に長くくすぶった過去を最近の若者は誰も知らない。
太く張りのある声は懐かしさを感じるほど遠くなく、鼓膜に残る後藤田の激昂を薄めた。
「盗撮写真、見たぞ。お前、すっかり売れっ子になりやがってよぉ。早くも次のドラマのヤラセ宣伝か?」
冷やかしめいた言い方に、砂田は少しだけほっとする。
「いや、あの……ホントご無沙汰してすみません……しかも、こんなふうに世間を騒がしてしまい」
「全然騒いでねぇよ。あれじゃ、お前はアイドルのヒモだぜ。ま、今回は相手が悪かったな。後藤田さんに迷惑かけたぞ」
「相手」が写真週刊誌のことか、安曇野サオリのことか分からないまま、愛弟子は師匠の言葉に襟を正した。
信号待ちの街宣車が西陽を受けて、オレンジの鈍い光を跳ね返している。
(2/8へ続く)
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