STORY6 愛を見てきた(7/8)
「エトさん、栄さんに砂田くんのこと伝えてくださいよ」
「はい……そしたらやっぱり、砂田くんの名前も名刺に刷ってもらおうかな」
飲み物にガムシロッップを入れて、江頭がほくそ笑む。
「とにもかくにも、砂田くん。エトさんにくっついてしっかりやれよ。キミはこれからが本番だ。プライムグループのタレントとして、二度とヘンな写真を撮られないようにな」
リセットされた俳優は、大城戸栄に宣言する気持ちで「はい!」と頷いた。
5
眠りから覚めても、砂田はベッドから起き上がらない。
洗顔も歯磨きも着替えも……1日の習慣が煩わしく、寝覚めの悪さは暑さのせいではなかった。
光の透過で色を薄めたカーテンが今日も快晴を知らせている。
いたずらにテレビを点けると、ワイドショーがニュースに転じた。
東北地方の避難者は、1年5ヵ月が経っても30万人を越え、国会議員が震災を天誅と発言し、警戒区域の福島の町では不審火が発生したという。
汗ばんだシャツを洗濯カゴに放り、砂田は上半身裸のまま冷蔵庫の缶コーヒーを開けた。喉のかさつきは治まったものの、過剰な冷たさが胃をちくりと刺す。
雲仙普賢岳、ハリケーン・カトリーナ、東日本大震災……神は人間を愛していないと思った。ましてや、芸能人の端くれには目もくれない。事件や災害が風化するように、人生のボートは荒波に流され、せっかく手にした生業(なりわい)も日増しに色褪せていく。
所属事務所の移籍で心機一転したはずが、ギョーカイはけして甘くなかった。
当然、秋のドラマ出演も立ち消え、「砂田啓一郎」は新人タレントと同じ、いや、新人以前のポジションに堕ちていた。
ベテランマネージャーの江頭は、そんな中古俳優を連れ歩き、テレビ局やラジオ局相手に売り込みを続けている。
「エトさんの事務所ってことは、栄さんの弟子?歌手デビューはいつ?」「いったんミソがついたタレントは、使うのに勇気がいるんだよなぁ」「砂田さんに一芸があれば、バラエティ番組で食っていけるんじゃない?」
対岸の傍観者たちは、ときに奥歯に物を挟み、ときに歯に衣着せぬ言い方で対応した。横柄な目線。慇懃無礼な色眼鏡。答えはすべて「ノーサンキュー」だった。若手俳優など、ギョーカイに星の数ほどいる。
「デビューしたての演歌歌手の営業はこんなもんじゃないよ。全国津々浦々、来る日も来る日も、雨にも負けず風にも負けず、レコード店のどさまわりだ」
砂田を勇気づけるつもりで、江頭は言った。
「ま、焦ってもしょうがない。そのうち、ひょいっとお呼びがかかるもんさ」
マネージャーの懐の深さに恐縮しつつ、砂田は、大城戸栄が休養中だからこそ、プライムグループは江頭順平に「新人」を充てたのだと理解した。会社の数字を作るため、マネージャーはタレントを動かす必要があり、自分はそれに応えなければならない。
座長の荒川に頼んで「再現ドラマカフェ」に出させてもらおうか。いっそ、俳優業から足を洗おうか。根無し草になった意中が、とまどいとためらいの間を行きつ戻りつする。
北九州の市民団体が、震災がれきを焼却した行政に精神的苦痛の損害賠償訴訟を起こしたと、ニュースキャスターが伝えていく。
「精神的苦痛……」
砂田はひとりごちる。
きっと、多くの者は他人のことなどどうでもいいのだ。自分さえ良ければ……身の周りだけ幸せであれば。おにぎりをリュックに詰めた母、水のペットボトルを惜しみなく分け与えたエフ。無償の行為や見返りのない奉仕は、結局、ただの自己満足ではないかーー砂田はテレビを消してiPhoneをスワイプした。
エフから、相良から、江頭からの受信履歴。そうして、安曇野サオリからのメールに会う。
「啓さん、元気ですか?あたしは夏バテ気味。あのときは食事に誘ってごめんなさい。メチャ怒られたけど、こっちは大丈夫ダヨ」
何度も読んだメッセージに、電話が割り込んできた。
「砂田くん!今日は車で遠出するぞ。できるだけ早く出発しよう」
いつになく昂ぶった調子で、江頭が発した。
用賀から東名高速で厚木まで行き、小田原厚木道路を小田原東インターで下りる。酒匂川に架かる橋を渡り、駅前の百貨店や受験予備校の看板を過ぎていく。東京を出て1時間半。江頭のミニバンは渋滞に嵌(は)まることなく、目的地に着いた。
小田原城址公園。子供たちの夏休み中でも、平日の駐車場は余裕がある。
「とにかく行ってみよう。誰もいないかもしれないけど」
江頭は、運転中も営業先を砂田に伝えなかった。
まだ正午前だが、1年でいちばん烈しい陽が砂利道を白く染め、木陰を作るはずの緑も酷暑にうなだれている。堀に群生する蓮だけが天日を享受し、ピンクの花を咲かせていた。
不安と微かな期待の中、砂田はマネージャーと肩を並べて登城ルートを進む。
二の丸に通じる銅門(あかがねもん)をくぐり、短い石段を上がって常盤木門(ときわぎもん)を抜けると天守閣が見えた。綿菓子をちぎった感じの薄雲を従え、青空にそびえている。
やがて、観光客の数とともにざわめきが増し、行く手の本丸広場に人混みが見えた。
「おおー良かった!やってるよ」
安堵の目線を砂田に向けた江頭は、同時に「しまった。差し入れを忘れた」と舌打ちし、引き返すそぶりで足を止めた。
ロケ隊がいた。
総勢20名ほどの一団を、その倍近い人が取り囲んでいる。
にわかに砂田の鼓動が強まった。
懐かしい光景だ。数ヵ月前は自分もこうしたロケ隊の中にいて、シナリオを読み、カメラの前で懸命に芝居をした。胸の内側をブラシで擦られたような感覚で脇の下がじっとりする。
機材横のツートンカラーのパラソルにスタッフが集い、彼らの対話が聞こえない位置から、砂田は真ん中に座る人物が見えた。
銀幕のネズミこと、映画監督の根元純夫(ねもとすみお)だった。
(8/8へ続く)
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