STORY6 愛を見てきた(6/8)
差し出された名刺で、砂田は相手の名前と顔を一致させる。
プライムグループの神門(かんど)ヒロキ。ジミーFの育て親で、芸能界に広く知られた存在だ。
東日本大震災から1年4ヵ月が経ち、世間の大半はその爪痕を忘れかけている。
はたして、「売名行為」というバッシングを神門は知っているのか。安曇野サオリとの潔白を信じてくれるだろうかーー砂田はアイスコーヒーを口に含み、この1ヵ月あまりの出来事を追想する。まるで、映画か小説世界に放り込まれたようだった。
「砂田くんは、うちのジミーFと親しいんだってね」
ストローでグラスの氷を回転させて、神門が切り出した。
「はい。ドラマでご一緒してからずっと仲良くしています。今日、神門さんに会うことは話してませんが」
「そうそう、ドラマだったな。『チルチルミチル』……プロデューサーのヤマドリさん。あの人、情が厚くていいだろ?」
「はい」と砂田ははっきり答え、知り合いの名前の登場に緊張感を多少和らげる。
ついでに古い話を打ち明けようとしたが、それは胸の内に留めた。
実は、神門とは今日が初対面ではない。
ジミーFともドラマの共演が最初ではなく、荒川一平太の劇団に入る前に、神門とジミーFのふたりを撮影スタジオで見かけていた。ドラマのロケ中にそのことを知ったエフは、「神のオボシメシだね」と達者な日本語でウインクしたが、神門とこうして向き合うことも神の思し召しなのか。
「キミのような好青年を僕のところで預かれてうれしいよ」
「ありがとうございます」
「……ま、事情はどうあれね」
愛想笑いとも苦笑いともとれる面容で、神門がドリンクを啜る。
スターライト・プロモーションの後藤田が三度目に砂田を呼び出したのは、写真週刊誌発売のちょうど1ヵ月後だった。
「我が社はキミとのマネジメント契約を破棄することにした。しかし、まだ契約期間中だから、陰で何とかしたい」
突然の解雇。耳を疑った。
マネージャーの相良は代表の脇に座り、ペットを死なせた子供みたいな目をしていた。
それから、後藤田は神門ヒロキが上役を務めるタレント事務所にコンタクトし、水面下で移籍先を見つけた。首切りした俳優を放置しなかったのは、せめてもの親心だった。
芸能界という村社会の論理と言ってしまえばそれまでだが、根も葉もない記事で所属事務所を追い出されるとは……すべてが嘘であってほしいと、砂田はまだ信じられずにいる。
プライムグループが経営するカフェに、開店準備のアルバイトが続々と入店して来た。
「……とは言っても、砂田くんを、僕らの本体であるプライムレボリューションにいますぐ所属させるわけにはいかないんだ。分かるよね?」
村社会をよく理解出来ないまま、砂田は曖昧に首肯した。
「だから、波風が収まるまで系列のプロダクションに籍を置いてもらうよ」
タール値の高いラークに火をつけて、神門が紫煙をくゆらせる。
「大丈夫。砂田啓一郎は、紛れもなく、うちのグループのタレントだ。いま、その担当者がここに向かっているから」
やがて現れた男は頸部の汗をハンカチで拭いながら、「お待たせしました」と首をすくめて、砂田の斜め前に座った。
目尻の皺と八の字の眉は、芸能界の住人というより、人生の折り返し点を過ぎた農夫のイメージで、実直な人柄が昭和テイストの服装にも滲み出ている。
立ち上がって、砂田は一礼した。
「オフィス・サカエのエトさんこと、江頭(えがしら)順平さんだ」
パートナーからの紹介に、ギョーカイの古参者ははにかんで名刺を取り出す。
「江頭です」
「砂田啓一郎です。よろしくお願いします」
アルバイトにドリンクを指示する神門の前で、砂田は失礼と思いながらも、手にした名刺を裏返した。やはり、そうだ。
ーーー
所属アーティスト
大城戸栄(おおきどさかえ)
ーーー
「それは新しい名刺でね……プライムさんに作ってもらったんだ」
「こうなると分かっていれば、砂田くんの名前も入れたんですけどね」
年長者に敬語で応えて、神門は鳥打帽のつばを指1本分だけ持ち上げた。
「前は四角四面な縦書きの名刺で、英語表記なんかなかった。なんだか、いい歳して生まれ変わった感じだな」
頭を掻く江頭に、砂田は名刺を再びひっくり返す。プライムグループのロゴが左上に刷られた洒落たデザインだ。
「順平の『じゅん』は、JUNでいいのかなぁ……JとUの間にYを入れてもらうべきだったかな」
「エトさん、そんなのどうでもいいじゃない」
朗らかに笑いながら、神門は着信したメールを確認する。
突然、「大城戸さんはお元気ですか?」と砂田が問いかけた。
そうして、言ってから、不適切な物言いだったと頬を上気させた。演歌界の御大に、若輩の自分が「お元気ですか?」は失礼だろう。偶然の出会いに甘え、思わず口走ってしまった。
神門と江頭がお互いの視線を交差させる。
「……砂田くんは栄さんに会ったことあるの?」
「いえ……あ、はい。前に一度だけお見かけしました」
肉食系に追われた草食動物になって、砂田は撮影スタジオでの昔話をふたりに披瀝した。ジミーFと大城戸栄の対談に立ち会い、大城戸から「頑張ってね!」と声をかけられたこと。それがきっかけで、憧れていた演劇界に飛び込んだこと。
「そうか、いいエピソードだな。愛にあふれた栄さんらしいや。そこにいた僕は、キミのことをまったく覚えてなくて悪いけど」
「……大城戸との縁かもしれないね」
神門のテンションに反して、江頭が短いつぶやきで視線を外すと、「栄さんは、いま休養中なんだよ」と、神門が声のトーンを落とした。
「……震災で身内を亡くしてね。大城戸はずっと気を張って頑張ってたんだけど、ちょっと一休み……ま、プライベートのことはさておき、被災地支援で東北を廻り、『演歌の寅さん』として、みんなを元気づけたよ」
訥々と、江頭が状況を説明する。
答えさせてはいけないことを聞き、知ってはいけないことを耳にしたいたたまれなさで、今度は砂田がうつむいた。何かを発するべきなのに、渦巻く想いがまとまらない。
(7/8へ続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます