STORY3 銀幕のネズミ(2/8)

道幅の広い国道に出ると、緑が目立つようになり、マンションかアパートか分からない低層住宅が田んぼの中に現われた。

空の面積が格段に増え、信号と信号の間隔も長くなっていく。

気ままなドライブといきたいけど、僕の心は今日の空模様みたいに厚い雲がかかっていた。

監督は、次の日曜日のロケハンに「宣伝担当」の僕が同行しない理由を誰かから聞きつけ、それを責めているのだ。

3つ年上の彼女と結婚をマジモードで考えている僕は、愛するパートナーがいてこそ仕事に打ち込めるタイプで、その恋人とクリスマスに浦安のネズミに会いに行くーーつまり、ディズニーランドに行くのは譲れないスケジュールだった。はたして、シャシン村の片隅に住む僕がロケハンまでつき合う必要があるのか? だいたい、脚本も出来てないのに小田原に泊まりで行くなんて……結局、夜の宴会がメインだろう。ビール瓶の行進より、エレクトロニカル・パレードを彼女と眺める方がクリスマスにふさわしい。

「来週のロケハンはなぁ、ヤマ場で使いたい場所なんよ。お前もいっぱしの宣伝マンやったら、きちんと土地柄を肌で感じて、宣伝文句でも考えなあかん」

こちらの心理を察するセリフで、監督がカーステレオのボタンをいじる。

「モリさん、これ、いい歌やろ。歌い手が自分で詩も書いとるんよ」

パーっと新しい毒ガスを吐き出して、ネズミさまは後部座席と運転席に順々に視線を漂わせた。

「今度のシャシンの主題歌は、この大城戸栄(おおきどさかえ)で決まりよ」

曲に聴き入る内藤さんからバトンを受けて、僕はハンドルを切りながら、「演歌ですか?大城戸さんがOK出すんですか?」とたたみかけてみた。

「決まりよ」なんて言っても、そう簡単にコトは運ばないだろう。予算・スケジュール・プロデューサーの意向……前作は制作費のオーバーで、主題歌にド新人のアーティストを起用するはめになった。結果、物語のテイストとちぐはぐなヒップホップに映画評論家たちは耳を疑った。

「大城戸のOK?……チュウ、お前、アホやな!わしが頼めば一発や。どうせヒマやろ。今日頼めば、明日には曲が来るよ」

監督のテンションに演歌のこぶしが重なり、僕はだんまりを貫いて、交差点を直進する。

「ヒマかどうかは知りませんが、この人は作詞の才能がありますな」

内藤さんが会話にようやく加わった。

「そやろ。でも、才能だけで歌手は長続きせんで。大城戸っちゅうオッサンは結構努力してるんちゃうか?こんな詩、なかなか書けんやろ」

努力も才能も僕にはピンとこない日本語だけど、「浦安のネズミ」が遠ざかったことにほっとした。

「なぁ、チュウ。お前、名前のとおりになんでも中ぐらいの中途半端じゃ、しゃあないで。いつでもベストを尽くさんと。才能なんて、努力でいくらでも補えるんや。中ぐらいの宙ぶらりん、そんな人生あかん」

反論したい気持ちを抑えて、僕は相づちを打った。他人様(ひとさま)にとやかく言われるほど宙ぶらりんじゃなく……それに、気張らず、中ぐらいの力で生きるのが僕のモットーだ。

風が頬に当たり、焚き火の匂いのする空気が肺にじんわり染みる。

見晴らしのいい道路でスピードを安定させ、カーナビのデジタル数字をチェックした。目的地まで、もう数キロだ。

「予定より早く着きそうです」

「おー、ほんまか。意外に速いな。ここにロイヤルホストがあるわな。お茶でも飲んでこか。今日取材するジイさんのこと、ふたりにはまだ話しておらんしな」

たばこを消して、監督はカーナビの画面を指差して言った。



日曜日の昼時のせいか、ファミレスの駐車場はほとんど空きスペースがなく、前向き駐車にするか頭から入れるか迷った僕に、「人生と車庫入れは前向きが基本やろ」と、監督はウゲウゲ笑った。

禁煙席待ちの客を横目に、僕ら3人は喫煙テーブルをすんなり確保する。昔は禁煙席の方が空いていたのに、世の中はドラマチックに変わった。監督みたいな職人タイプがギョーカイの絶滅種であるように、愛煙家は地球上からやがて追放されるだろう。

「休日はファミレスでランチを食べるのが決まり事」といったふうに、ファミリー・カップル・老夫婦……と、あらゆる客がドリンクコーナーやテーブル席でざわついている。

「まぁ、次のシャシンはこんなネタや」

窓際に腰を下ろすと、監督はジャンパーの内ポケットから折りたたんだ紙を出して内藤さんに手渡した。新聞のコピーだ。

通りがかりのウエイトレスにホットコーヒーを人数分オーダーして、僕はネタの公開を待つ。

「不幸なジイさんの話よ」

監督が声を低めて、グラスの水を一気飲みする。僕の位置からゴシック体の見出しだけが見えた。

「裁判員制度っちゅう、国のアホなやり方があるやろ。どいつもこいつも、そこのニイちゃんもネエちゃんもみんなド素人の陪審員や……そんなんで、ホンマに人を裁けるんかいな」

サングラスの目をぎらつかせる監督の向かいで、内藤さんは黙ったまま、記事を僕に回した。

[発生から二十五年 男性に無罪判決]

図書館の記事スクラップだろう。仰々しい活字と窮屈なレイアウトが時代の古さを感じさせる。

殺人事件で懲役20年の有罪判決を受けた男が仮出所後に再審請求し、無罪判決を言い渡された内容だった。再審請求に至った理由は、別件逮捕された真犯人の自供。つまり、冤罪事件であり、殺人犯の濡れ衣を着せられた男は、仮出所から10年の歳月を経て無実をようやく証明した。

「また裁判モノか」と、気分がブルーになる。

前作もDVを扱った法廷劇。おかげで宣伝マンの僕も、再審とか控訴といった法律用語に詳しくなったものの、監督の持ち味であるエンタメ色が薄れてしまい、評論家いわく「苦い薬をシブ茶で飲まされたみたいな映画」になってしまった。

リベンジーーふと、監督の好きなそんな言葉が浮かんだ。



(3/8へ続く)

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