STORY2 再現ドラマカフェ(4/8)
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土曜日の午後、実家の部屋で、小百合は時間を持て余している。
姉の部屋が跡形なく片付いている一方、小百合の部屋は、ベッドも机も書棚も元のまま。もうここで生活するつもりはないのに、家主から「部屋を片付けろ」とは言われない。むしろ、「帰って来い」というメッセージが聞こえるようだ。
緊急召集の家族会議。その開始予定時間から、すでに30分が過ぎていた。これなら、急行電車に駆け込む必要はなかったと、小百合は窓に映る景色を眺めた。
垣根のそばに季節の色に転じた銀杏並木があり、遥か先に赤城山の稜線がうっすら浮かんでいる。自然は昔のままだが、市街地の人工物は毎年どこかしら様相を変えていた。
玄関のチャイムが聞こえた後で、一方通行のL字路に水色の軽自動車が見えた。義兄のものだ。
車と徒歩で別々にやってきた姉夫婦の行動に嘆息し、少し時間を置いてから階下に降りていくと、リビングのソファで姉の美咲が携帯電話を耳にあて、父親の秀造が腕組みをしていた。
「遅れて、すみません」
夫の山崎洋平が現れた。ツイードのジャケットにレジメンタルのネクタイ。フォーマルかカジュアルか、はっきりしない格好で、顔色もすぐれない。
「お義父(とう)さん、ご無沙汰しています」
「そんなにご無沙汰じゃないだろ。夏に会ってるし」
「そうでしたね、すみません……」
秀造がいかめしい面容で右手を差し出した。市議会議員であり、地元の名士である彼にとって、握手は選挙運動で身についた習慣ではなく、若い頃の海外留学をルーツとしている。
「みんな、とりあえず座ってちょうだい」
母親の光代がテーブルに緑茶を用意すると、山崎を真ん中にして、姉妹は父親と向き合うかたちで席に着いた。小百合には6つ目の椅子が自分の結婚相手のリザーブ席に見え、気持ちがいっそう萎えていく。
「最初に言っておくが、離婚は許さんぞ」
「お父さん、そういう言い方、止めてよ!」
ポロシャツの襟を整えながら口を開いた秀造に、美咲が折りたたみ式の携帯電話をパチンと閉めて、語気を強める。
「言い方も何も……それを私に告げるために、今日ここに来たんだろう?」
「なんで別れちゃいけないのよ?」
「簡単に結婚して、性格が合わないから離婚する。まず、その姿勢がいかん!」
発声とともに、角張った顔がみるみる赤らんだ。当事者の山崎は勢いに圧され、手を膝に置いたまま固まっている。
その姿勢がいかんーー短絡な物言いだと、テーブルを囲んだ誰もが思う。
長女の離婚。父親には、その決断が何よりも許せないのだ。世間体以上に、身内に裏切られた感がある。
「じゃあ、お前たちの言い分を聞こう。その前に、美咲も小百合もケータイをしまえ」
「……だから、電話でも言ったでしょ。この人も、あたしも独りで暮らしたいのよ」
「独りで暮らす?」
秀造が山崎を睨むと、婿養子ふうの三十路男は「あの、それは、その」と、文章にならない語彙を口ごもった。
地方紙の記者なのに、トーク下手で、言うべきことをきちんと言わない。小百合はもどかしさを覚えつつ、だからこそ、社交的で仕切り屋な姉にはお似合いのパートナーなのだと思った。
「独りで暮らしたいって……美咲も山崎くんももう30なんだし、学生みたいな気分じゃダメだろ」
「いや、あの……ボクは、別に、すぐに離婚しなくもいいっていうか」
「ちょっと待って。『離婚しなくてもいい』っていうのは、いまの状況に甘えているだけよ。一緒に暮らす意味がなければ、別れた方がお互いにとってプラスなの!」
父親より荒々しい調子で、美咲は肩にかかる髪を乱暴に掃(はら)った。
会話のラリーを見守る小百合は、せめて今日の集まりが無駄な時間で終わらないよう願う。来週や来月に再召集されるのは勘弁してほしい。
「もう少し、ふたりで話し合ったらどう?」
母親が同意を求める眼差しを次女の小百合に向けた。
「……とりあえず、別々に暮らしてみたら?」
「別居なんて意味がないわよ」
妹の発言をはねのけて、姉が自分の夫を牽制する。
「だいたい、これは夫婦の問題だし、あたしたちが決めたことをお父さんたちが反対するのはおかしいわ」
「いや、違う。家族の問題だ。山崎くんのご両親はどう思ってるんだ?」
「いや、こっちはまだ何も話してません」
「賢明だな」
ひと息ついた父親を横目に、美咲はテーブルの端を右の人差し指で繰り返し叩き、苛立ちを顕(あらわ)にした。
12畳の部屋をエアコンの生暖かい送風が対流し、中庭に立つイトヒバの木が突風を受けて、細く垂れた枝葉を上下に揺らしている。
美咲の頑固さは父親譲りで、しっかり者の長女と言えば聞こえはいいが、自分の考えを曲げることなく、周りの者が折れるまで意見を変えない。担任教師に勧められた私立大の推薦入学を拒んだり、父親のコネで入った会社をすぐに辞めたり……。取りも直さず、結婚生活を2年で破綻させたのは好きな仕事を見つけた代償だった。キャリアウーマンとして自立するにつけ、他者への興味をどんどん失くしていく。
演劇?いいんじゃない。女優?なれるといいねーー姉とのやりとりを思い出した小百合は、「愛の反対語は憎しみではなく無関心である」というマザー・テレサの言葉を思い出した。
「あんなに結婚を急いだのに、今度は別れるのを急ぐわけか?」
秀造が空になった湯呑みを傾け、憮然とした表情でお代わりを妻に催促する。
「ボクは離婚を急いでいません」
「そうだろう。焦ることはないんだ。キミらは対話が足りないんだよ」
「……結構、話はしているんですが」
弱々しい告白で、山崎は妻の主張を待った。当の美咲は何も応えず、男たちを無視して携帯電話を再び開く。
「おい!ケータイをしまえ。せっかくみんなで集まってるんだ!」
バンッとテーブルが叩かれ、籐籠の茶菓子が隊列を崩した瞬間、小百合にありふれた疑念が生まれた。
姉には別の男がいるんじゃないか?仕事関係の者と不倫をしているんじゃないか?
耳たぶが熱くなり、うつむき、唾を飲んだ。
争いをなだめる感じで、急須から薄緑の液体が茶碗に穏やかに納まっていく。
「サユリはどうなのよ?」
前置きもなく、美咲が切り出した。
「……えっ、『どう』って?」
「結婚よ。あんたはまだ結婚しないの?」
(5/8へ続く)
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