STORY5 々(ノマ)(4/8)

昨年のクリスマスに「伊達直人」と名乗る者が群馬県の児童相談所に10個のランドセルを送り、その報道を皮切りに匿名の寄附活動が全国に拡まったという。

擁護施設に届く物は、玩具・文房具・商品券……検査が必要な食品類もあるらしい。

母とふたりで暮らしていた頃、わたしの誕生日に必ず届く贈り物には「九州のオジサンより」とあった。他にメッセージはなかった。包みを開けるわたしを母はどこか哀しげな目で見つめ、高校に入学すると、プレゼントは途絶えたものの、わたしたちはそのことについて触れることはなかった。

なぜ、「熊本の」ではなく「九州の」だったのか、「オジサン」にしたのは「足長おじさん」を意識したのか……。

PCのフォルダから、た熊本市内の写真を開けて、砂田謙吾が偶然どこかに映り込んでいないか、画像を拡大する。

「本当の善意は、行為者が正体を明らかにするべきです」「子供たちが直接その人に会い、『ありがとう』を伝えるのが理想」

訳知り顔のテレビタレントを遮ってチャンネルを替えると、こちらの行動をつぶさに見ていたようなタイミングでメールがあった。

「相談事あり。今日か明日、急ぎでお会いしたく。野間口」

携帯電話にコールバックすると、編集者はいつになく重たい口調で「『知ったかぶりゴッド』のことで」と声を低めた。


平成23年の今年、野間口さんは後厄で、わたしは前厄だった。女の厄年は30代で6年もある。そんな長いトンネルのスタートになる今年……野間口さんの言う飛躍が出来るのか。いまはとにかく書き続け、編集者の情熱の炎に従うしかない。

いつものカフェのテーブル席でテキストファイルを保存し、インターネットのブラウザにする。

店内には大学生っぽい若者がひとり。コーヒー豆を挽くマスターの前で文庫本を読んでいる。街中のお店なのにサラリーマンが居つかないのは、スポーツ新聞や週刊誌がなく、フルタイム禁煙で、女性好みの雑貨をインテリアにしているからだろう。

陽が落ち、ガラスを隔てた樹木に、わたしのシルエットがうっすら重なる。

指定された時間を過ぎ、この1年が世間的にはどんな星回りなのか、手持ち無沙汰で検索したページを読んでみた。

「2011年。辛卯(かのとう)。我慢・苦労の多い年です。身を引き締めて、何が起きても動じない覚悟が大切です。予期せぬ大事故や大災害の起きることもあります」

別のサイトには、「前回の辛卯では朝鮮戦争が激化するなど、国家や民族間の激しい争い事が起きやすい干支(かんし)」と記されている。

自然災害をはじめ、思いがけない出来事が起きやすい1年ーーネガティブな未来予測にため息すると、「厄」の文字がわたしの頭をグルグル回った。

乱層雲が空を覆い、いつの間にか、水鉄砲の仕業みたいな滴がガラスのところどころに付いている。


「急に呼び出すことになってすまないね」

待ち合わせそのものと15分の遅刻を詫びながら、野間口さんは防寒着を椅子に掛けて、指定席に座った。それから、メロンソーダをオーダーし、おしぼりで顔を拭く。

「原稿、書いてた?」

「うん、まぁ、少しだけ」

礼儀程度の化粧でここに来たわたしは、珍しくスーツ姿の野間口さんを見て、自分の着古したブラウスがなるべく目に留まらないよう縮こまった。

「これから大御所作家の出版パーティーがあって……久しぶりのネクタイだよ」

こちらの心境を読み取る相手に、「お似合い」ってお世辞くらい言ってもいいけど、わたしは愛想笑いだけでカップの取っ手を持つ。

「実は、テレビ局から電話があって……『知ったかぶりゴッド』の件で、腹立つことを言ってきたんだ」

そこまで告げて口を閉ざし、人差し指の関節で窓ガラスをコツコツ叩いた。電話の内容を反芻しているのか、気持ちを落ち着かせようとしているのか……角(つの)立った気持ちが仕草のひとつひとつに表れている。

水滴が雨粒に変わり、窓枠の中を緩やかに流れていく。

「そもそも、題名を変える時点で、『おいおい』って思ったんだよな」

野間口さんはストローの袋を乱暴に丸め、同意を求める感じで下唇を突き出した。

「……そうねぇ。でも、『天知る地知る』も悪くないわ」

「古い!言葉が古い。これは『知ったかぶり』っていう日本語と英語の『ゴッド』が合わさっているからいいんだよ」

言いながら、渦中の本を鞄から出して、我が子を愛でるように表紙を撫でた。カウンターの若者が一瞬だけこちらを振り返り、「静かにしてくれ」と背中でメッセージする。

「タイトルの変更は……わたしは別に構わないわよ。ドラマの中味がちゃんとしてれば」

声のボリュームを意識して、そう応えた。

売れない作家に贅沢は言えない。野間口さんの戦略どおり、「テレビドラマ化決定!」と謳えれば、とりあえず御の字だ。

しかし、編集者は荒れ模様の感情を隠さず、「知ったかぶりゴッド」のページを忙(せわ)しくついばんでいく。

「男だったら成立しないよなぁ……」

メロンソーダを一口分だけ減らして、本を閉じた。

「男?」

「うん。信じられないけど、ドラマは主役が男だって言うんだ」

「主役が?」

「そう、サトカが男の設定らしい」

わたしは何かの間違いだと思った。

主人公が男?

それはあり得ない。小説は水前寺里香という26歳の地方公務員が一人称の「私」で語っているもので、彼女の目線で物語が進み、女性の心理描写やセリフがふんだんにある。

「順を追って話すよ。電話はドラマのプロデューサーからでね……前に僕にコンタクトしてきた者と違ったから事情を聞いてみた。そしたら、前任者が体調を崩して、現場を離れたって言うんだよ。ま、そんな内情はどうでもいい」

壁を射抜く感じの眼で、野間口さんは続けた。

「問題はその後の話だ。彼らが創るドラマには、小説にないキャラクターが登場して、ラストの展開も僕らのものから変えるらしい。だから、一応、原作者の許諾を取っておきたいってことなんだ」

パソコンの電源を切って、わたしは状況を整理する。

プロデューサーの交替・タイトルと主人公の性別変更・新しいキャラクターの登場と結末の書き換え。

「……ったく、承諾も何も、事後報告ばっかりだ。いちばん腹が立つのはさ」

グラスの水を一気飲みして、野間口さんは大きく息を吐いた。

「『一応』って言い方だ。原作者をバカにしてる!」

わたしの意見を汲み取る前に、テレビ局への対応に憤りの舌打ちをした。会話のニュアンスは分からないけど、たしかに、「一応」という言葉はひどく曖昧で、上から目線だ。

「脚本はもう出来てるの?」

「うん。それこそ『一応』仕上がってるようだけど、これからまだ修正があるってさ」

「キャストは?」

「それは聞かなかった。でも、全体のスケジュールがかなり遅れてるって言ってたな」

火に油を注がないよう、質問を選んだ。

細い雨がガラスを叩き、カウンターの若者が支払いを済ませて、店の出口で蝙蝠傘を開く。



(5/8へ続く)

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