STORY6 愛を見てきた(3/8)

ハガキサイズの1枚の写真。

室内に座る人々の中央で、ジミーFと砂田啓一郎がペットボトルの水と使い捨てカイロを配っている。既に有名人だった黒人歌手は、マスクとニューヨーク・ヤンキースのキャップで顔を隠していたのに、目ざとい一般人に声をかけられたり、ケータイをかざされたりもした。

ケイは「プレゼント」をじっと見つめた。

15ヵ月前の3月11日。

あの日あの時間、砂田たちはドラマのロケ隊とともに新宿の中央公園にいた。

突然、高層ビル群が揺れ、女性が悲鳴を上げた。スタッフはカメラや照明器具を必死に抑え、近くの建物から逃げ出してきた者があっという間に黒山の人だかりを作った。

写真は、それから5・6時間後のものだ。

帰宅困難者に開放された都内の施設で、若者やサラリーマンはじめ、帰る手段を失くした母子や高齢者がなす術なく待避していた。

「ケータイでとった人が、わざわざプリントしてくれたんだ。ボクとケイの分をね」

ぬるくなったビールで喉を潤してから、エフが説明を加えた。

「ありがたいね。貴重な写真だよ」

「うちのジムショに送ってきたってことは、ケイのファンじゃなく、ボクのファンってこと」

愛嬌のある丸い目で笑う。

「……なんのかんので、身元がバレちゃうもんだね」

従業員の耳を嫌い、つい小声になった自分のタレント意識を砂田はさもしく感じた。

あの夜、エフと待避所を廻り、帰宅困難者に手を差し延べたのは一市井民としての行動だった。自腹で使い捨てカイロを買い、ペットボトルを運んだのは、有名人になるためではない。


「デンシャが止まって、トウキョウはたいへんなことになるよ……ジテンシャがあるから、ケイ、いっしょに動かないか?」

ドラマの撮影が中止になると、北新宿に住んでいたエフが、若くて体力のあるケイをそう誘った。

東日本大震災の6年前、ハリケーン・カトリーナでニューオーリンズの生家を失くしたジミーFにとって、人助けのボランティアは当然の行動だった。


「ケイ……今日はキミのママのストーリーをききたいな」

通りすがりの従業員に追加の飲み物をオーダーして、エフがシリアスな口調になる。

「ほら、フゲンダケのフンカのとき、キミたち親子はヒナンジョに行っただろ」

「古い話だよ。僕がまだ小学校に入る前だから」

「うん、分かってる。いまから21年前だ。でも、何かのメモリーはあるよね?」

「……噴火の年を調べたんだね」

親友の探究心に驚いて、砂田は3月11日の続きを思い起こす。

長い夜だった。

都内の待避所を廻り終えてから、エフの部屋で缶ビールを空け、リビングルームで一緒にニュースを見た。マンションの一室はラックからCDが落ちた程度で、テレビの映像を現実と知らしめるのは、自分たちが見てきた帰宅困難者の姿だけ。

町を襲う津波の映像が繰り返し流れ、刻々と変わる状況をレポーターが伝えていく。

東京にも余震があり、恐怖心をアルコールで紛らわせようとしたが、少しも酔えなかった。

「昔、長崎の火山が噴火して、多くの人が亡くなったんだよ」

その晩、エフにそっと告げた。震災の夜に語るべきではない、忌まわしい史実だった。だから、山の名前も、災害のあった日付も教えず、母と避難所を訪れたことだけを話した。

「……ボクの生まれた家は、ハリケーンにやられたんだ」

ざらついた静寂の後、テレビ画面を見つめながらエフがつぶやいた。

ニューオーリンズの水没・アフリカ系アメリカ人の犠牲者たちーールイジアナのスーパードームに数万の被災者が避難して、無法地帯となった故郷でレイプや略奪が起きたことを、ジミーFはたどたどしい日本語で話した。


砂田は鉄板の温度を弱める。

「僕の母は、長崎の諫早の生まれで……父と結婚してからは熊本に住んでたんだ」

「パパは、ケンゴさんだね?」

新しいビールに口づけて、ふたりは意思疎通のアイコンタクトを交わした。

ジミーFが砂田啓一郎の肉親の名前を覚えているのは、つい2ヵ月前にその訃報に触れたからで、香典に書かれた「Jimmy F Robinson」というブロック体の文字を見て、砂田は親友のフルネームを改めて知った。

はす向かいのテーブルに家族連れが座り、芸能人を一瞥した父親が年若い母親にメニューを預ける。

「母は元看護士で、とても献身的で、他人のために自分の生活を捧げるような人だった……」

胸懐が前のめりにならないよう、砂田は深く息を吸い、小さく吐き出した。

「……噴火が起きて、島原の人たちが避難したのを知ると、すぐに行動を起こしたんだ。諫早にいる自分の妹に連絡して、『しばらくそっちに行く』って」

微動だにせず、エフは耳を傾け、扇型になったお好み焼きが置き去りになる。

「それで、僕のことも諫早に連れて行った。わざわざ幼稚園を休ませてね」

「いっしょにヒナンジョに向かったんだね?」

「そう、それもほとんど毎日。朝5時に起きて、叔母と作ったたくさんのおにぎりをリュックに詰め、僕の手を握り、電車に乗って、生活に不自由する人たちに会いに行ったんだ」

はす向かいの鉄板が大仰な音を立てて、子供の歓声が響く。

ダクトに吸い込まれる煙の行方とともに、砂田は遠い時計を追憶した。

「……フィール・ラブ」

「フィール?」

「うん。ママがみんなにあたえたラブを、ムスコのキミは感じたにちがいない。ハリケーンのときにニッポンにいたボクは、ホームタウンの人に何もできなかった。それがもうしわけないんだ」



(4/8へ続く)

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