STORY3 銀幕のネズミ(4/8)
少し間を置いて、監督は紙ヤスリで削ったみたいな声で言った。
「監督」というルール違反の呼びかけを気に留めず、薄茶色の目を細め、テンションを抑えている。
「いや、あのぉ……社長とは……プロデューサーとはガチで話してないですけど、大ヒットする映画より、社会的に意義のある映画の方がネズさんらしいと、僕は思います」
しどろもどろで言葉を足した。
「モリさんの言うところの『日本映画の品格』か?仕事も人生も中ぐらいのチュウにしては殊勝な意見やな」
内藤さんをチラ見して、監督は片方の頬でひっそり笑った。
聞き耳を立てていたヤンキー連中が、会話のなりゆきを惜しむカンジで席を立ち、キャッシャーに向かっていく。
監督はテレビ局の姿勢に批判的だけど、実は年明けに、あるテレビドラマをクランクインさせる。地方局からオファーされた単発モノで、最初は気乗りしていなかったのに、「映画と同じように撮ってほしい」というテレビマンの説得に重い腰を上げた。
「たまにはお茶の間相手もいいやろ。気分転換のアルバイトや」
監督は苦笑いでそう言った。
社長も僕も内藤さんも、ドラマの内容は知らないけど、きっと、銀幕のネズミなら骨太な作品に仕上げるはずだ。いまの僕らは、とにかく、どんな表現方法でも、根元純夫がスランプから脱出するのを願っている。
「再現ドラマカフェの劇団でな、いい新人を見つけたんよ。ド素人やけど、磨けば光るで。そういう奴をきちんと育て、このギョーカイで光らせていくのがわしの仕事や」
運転席で前に聞いた言葉を思い出し、僕はグラスの水を喉に流し込む。そうして、価値観や性格が180度違うのに、監督に魅かれる自分を不思議に思う。
内藤さんのコーヒーカップがカチャリと鳴り、監督の背中側の女性がコンパクトミラーを立てて、反射光を蝶のダンスみたいに踊らせる。
「次の映画もがっつりした社会派のようですな。本で追いかける価値がありそうだ」
粗そうを繰り返さないよう、内藤さんが陶器を慎重に置いた。
「ま、わしの撮るもんは『品格』はないけど、頑丈なハートは持っとるよ。今度のテレビもんも、この次のわしらのシャシンも、どっちもな」
感情を露(あらわ)にせず、監督はハイライトをくわえ、これから本当の闘いが始まるといった具合に、オレンジの炎を唇に寄せた。
「今日の取材でな、だいたい脚本(ほん)が固まるんや。緩んだ世の中に重いテーマでガツンとメッセージしたるわ。人が人を愛し、まともに生きるっちゅうことはなぁ……」
痩せたマッチを灰皿に放り、監督はそこで言葉を止めて、僕を凝視した。
しかし、煙を吐き出すだけでその先を語らず、喫煙と反対の手をテーブルに添え、ピアノの鍵盤を叩く要領で5本の指を順々に動かした。
「……チュウ」
呼びかけに、僕は「はい」とはっきり答える。
「お前、たまには故郷(クニ)に帰っとるんか?」
唐突な質問にとまどい、隣りの内藤さんに視線を泳がせると、「答えるのはわたしじゃないよ」といった顔で助け舟を拒否された。
「オヤジさんやオフクロさんには会っとるんか?」
まだ長いハイライトを灰皿でもみ消して、監督は続けた。
そう言えば、デニーズで初めて会ったときも同じ質問があって、僕はどう答えていいか迷い、「はい」と「いいえ」の中間ぐらいの返事でごまかした。
東京に出て来てから、延岡の実家に帰ったのは1度きり。長男の僕は、田舎の酒屋を継ぐのが嫌で家を飛び出した。映画と言えば「寅さん」しか知らない親父を否定し、ふたつ下の弟の存在を言い訳にして、格好良く言えば、故郷を捨てた。
「全然帰ってないです」
今回はきっぱり答え、ダッフルコートの埃を手で払うと、監督が急に温度の低い眼差しになった。
「……東京で独りで生きるっちゅうことか?映画ギョーカイでの仕事はお前にとって、親の存在より大事っちゅうわけやな」
誘導尋問に、ツッパリ気分で「そうです!」と応えたものの、鼓膜から自分に戻った声が昔より薄っぺらく聞こえた。頬がカッと熱くなる。
監督は淋しいような呆れたような笑みを浮かべて、ポケットに両手を突っ込んだ。
「そんでもな、親にだけはちゃんと顔見せとけよ……ほんじゃ、ぼちぼち取材に行こか」
3
ロイヤルホストを出て、国道から閑静な住宅街に入った。
単線の踏み切りを渡り、古めかしい郵便局の前に都会では見かけない円柱形のポストがある。昭和にタイムスリップした感覚で進むと、後部座席の内藤さんが電柱に表示された番地を読み上げた。
アポ取り電話で住所と家の形状を聞いていた監督が、何の目印もない一方通行路で「ストップ!」と声を張り、約束の時間ちょうどに目的地に到着した。
「甲斐錬三郎」という名前の老人の住居は、新聞記事のイメージとかけ離れた瀟洒な一戸建てだった。
幸い、隣りに空き地があり、「どうぞ車を停めてください」とばかりに平らな土を露出している。近いうちに新築を建て売りするつもりだろう。雲をかけた太陽が、焦茶色の土地に頼りない日向を作っていた。
いくつかの家屋のベランダで洗濯物が揺れ、電線のたわみにはカラスが1羽とまっている。
ファミレスの喧噪にも年末の忙しさにも無縁な空間だった。
監督のスニーカーと僕のワークブーツと内藤さんの革靴が渇いた地面に足跡を残して、家の正面へ向かう。
鮮やかなグリーンの屋根とアイボリーの外壁。近隣と様相を異にした西洋風の門扉と植木鉢の花々が玄関を彩り、町内会の新入り家族が住んでいるカンジだった。
表札にある「K」「A」「I」の3つのアルファベットはカラフルな丸文字で、呼び鈴を押す監督のごつい指がこの家に好ましくない客人のものに見えた。
インターホンに応答がなく、さすがの銀幕のネズミも緊張した面持ちで、数秒空けてから2度目のチャイムを鳴らす。
そうして、ほどなくして、チェーンロックの外れる音とともに漆黒の瞳が現れた。
(5/8へ続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます