STORY3 銀幕のネズミ(8/8)

片側二車線の道路を左折し、商店街のゲートでアクセルを緩めて公衆電話を捜す。駐車違反の取締まりが厳しいのか、辺りの路上に車はなく、いつでもどこでも停められたけど、肝心な電話ボックスがなかった。コンビニ前に据え置かれた雪ざらしの公衆電話はちょうど使用中で、傘のない監督を降ろすわけにも行かず、僕の車はアーケードをいったん離れた。

「なかなかありませんね………」

「世の中、携帯電話ばっかで、クラーク・ケントもスーパーマンに変身できんわな」

いつもなら自分のジョークにガマガエルになって笑うのに、監督はシートに体を沈めて、一点を見つめている。

それから、別の商店街を抜けて、駅前のロータリーに出ると、閉店した宝くじ売り場の横にようやく電話があった。

タクシー乗り場を左手にして進み、車を歩道に寄せてからハザードランプを入れる。車道にバイクと自転車が列を作っていたので、電話ボックスの10メートルほど手前で駐車しなければならなかった。

「すまんな」と一言残して、黒のMA1のジャンパーが降雪を横切っていく。

カーステレオから流れるマイナーコードの曲をBGMに、僕と内藤さんはエンジンをつけたまま待った。

募金箱を掲げた女性が駅に向かう人々に近づいては離れ、離れては近づき、雨除けのフードを濡らしている。

監督は電話の内容を隠すカンジで歩行者に背中を向けていた。勢いを強めた雪が景色を曖昧にし、暗がりに浮かぶシルエットは描きなぐったデッサンのようだった。

循環バスが、僕らの横を徐行運転で通り過ぎる。

「ネズさんにはつらい取材だったね」

演歌の間奏部分で、内藤さんが僕に語りかけた。

振り返ると、対向車のライトを受けた知恵深い眼差しが僕を捉えた。

「ひとりもんのわたしたちには、奥さんや息子に先立たれる気持ちは分からないね……ネズさんは思い出したんだろう」

そう紡いだ後で、内藤さんは僕の顔の「疑問符」に気づき、はっとした表情を浮かべた。

反射的に体を戻し、電話ボックスを見る。

降りしきる雪の中で、監督が口を忙しく開閉させて、しきりに何かをメッセージしていた。左手で受話器を握り、もう一方の手をテレホンカードの販売機に添えている。

誰かと会話を交わすというより、ひとり言を力任せに吐き出している様子だった。

「そうか……チュウくんは知らなかったのか」

ため息交じりの口調で、内藤さんが言った。

「交通事故でね、息子さんを亡くしてしまったんだ。雪道で、ネズさんの運転していた車がスリップしたらしい」

「……いつですか?」

「もう20年以上前になるかな。その子が生きてれば、ちょうどいまのチュウくんくらいの年齢(とし)だよ」

ワイパーに弾かれた雪が結晶体にかたちを変えながらフロントガラスの端に積もっていく。すり潰した花びらみたいに、か細くほのかに。

「たしか、奥さんとも別れてしまったんですよね」

「ネズさんは『離婚』って言ってるけど、本当はそうじゃない。息子さんを突然亡くしてね……キヨコさんは……ネズさんの奥さんは心を病んでしまったんだ。それで、ある日、衝動的に、天国にいる息子の後を追いかけてしまったんだよ」

ひとつひとつの言葉を時間をかけて選び、内藤さんは僕に真実を伝えた。いまそうすることが、この狭い空間でのルールだといったふうに。

ーーわしも家族がおるので分かりますーー

監督はそう言った。

「チュウくん……ネズミって動物はね、いつも何かを齧って自分の歯を削っていないと、前歯が伸び続けて口を塞いでしまうんだ。食べ物を口の中に入れられなくなり、最後は餓死してしまう。前にネズさんが言ってたんだけど、どうやら、ネズミのその生態は本当らしいよ」

家族の話を打ち消すかたちで、内藤さんはいつも以上に口調を柔らかくした。

僕は監督の姿をもう一度見つめる。

曇ったフロントガラスを掌で拭うと、こちらの目線に気づき、長びく電話を恥ずかしむそぶりでうつむいた。

電話ボックスの横の落葉樹が、裸の枝を人体図の血管みたいに複雑に絡ませている。

やがて、CDの終わるタイミングで受話器が置かれ、僕はサイドブレーキを自分の手で戻して、電話ボックスまでタイヤを滑らせた。ハザードランプを点したまま、ゆっ

くり。

「お待たせしてすんませんな」

自動販売機で買った缶コーヒーを上下に振りながら、監督はドアを開けて肩をすくめた。

「よっしゃ。人生のドライブ、レッツ・ゴーや!」

威勢のいい掛け声に、僕はハンドルを右に切ってアクセルを踏む。うつろな視界に目を凝らすと、斜めに流れる雪が銀幕に見えた。ヘッドライトが映写機の光になって、それを鮮やかに照らしていく。

「銀座のおネエちゃんとの別れ話がついつい長引いてしまってな」

ウゲウゲ笑いながらプルダウンの蓋を開け、丸太みたいな腕を伸ばして飲み口を僕に向けた。

「ま……作家さんも宣伝係さんも、ネズミにもうちょいつき合ってくれや。雨にも負けず、雪にも負けず、わしは死ぬまでスクリーン齧ったるわ」



おわり

(STORY4へ続く)

⬛連作「ギョーカイ冷酷夏物語」

STORY 3「銀幕のネズミ」by T.KOTAK

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る