STORY1 枯れてしまうには早すぎる(8/8)

今日は、『流しのサカエ』の予定だったけど、ギターを忘れて来ちゃったよ。ピザ屋に配達を頼んだけど、あいにく、ギターは作ってないってさ」

スターの当意即妙なセリフに、最前列の老人がいきなり立ち上がり、「よっ、大将!」と声を発した。痩せた体が前のめりになり、両手を広げてバランスを保とうとした途端、足がよろめき、倒れそうになる。大城戸が慌てて駆け寄ると、掌を併せて「ごめんなさい」とつぶやいた。

「おいおい、俺は仏様じゃねえぞ。拝んだってご利益はねぇからな」

大城戸のべらんめえ調に、笑いが巻き起こる。

江頭はジョーク交じりの大城戸の言葉をひとつずつ反芻して、事のなりゆきに集中した。

饒舌なトークと若手顔負けの機敏な所作は安心して見ていられるが、歌唱の準備がなくて大丈夫なのか?

しかし、そんな心配をよそに、スターの放熱はたった数分で会場を温め、クーラーの冷気を心地好い涼風に変えていった。

「今日は、大道芸人の演歌歌手だよ」

言うやいなや、大城戸は床に置いたバッグから細長い風船を取り出し、その両端を左右の指先でつまんだ。そして、数回引っ張った後、右手で風船の口元を抑え、一気に息を吹き込む。

ピンク色のゴムが、桜色に膨らんだ。

そうして、マジシャンばりの手つきで吸い口を結ぶと、棒状になったそれをマイク替わりに、新曲の1フレーズをアカペラで唄ってみせた。

低く静かな歓声とまばらな拍手。わずか15秒ほどのパフォーマンスに、観る者の反応は鈍い。

大城戸は風船の口とヘソを結び、出来た輪の真ん中をM字に折り曲げた。パン生地をこねる要領で中の空気を押し伸ばし、全体をシンメトリーに整形すると、ほどなくしてハート型になったそれを車椅子の老婆にプレゼントした。

今度は、迷いのない拍手がいっせいに沸き立つ。

江頭だけが乗り遅れ、たんぼの案山子みたいに動けずにいる。信じられない光景だった。

見知らぬ大道芸人が大城戸栄の四肢を借り、バルーンアートを披露しているように見えた。

「じゃ、次は何だろね?」

ギャラリーの熱い視線に気をよくした大城戸は、新しい風船を使い、よりスピーディーに、よりリズミカルに、腕と指を動かした。

全員が固唾を呑むなか、直径3センチほどの風船が捻られ縛られ、きゅきゅきゅと短い音を立てていく。やがて、両手首を中心にゴム製のピンポン玉がいくつも生まれ、部位ごとにくっつき合って、生き物のかたちを成した。

「はい、これは定番のプードルちゃん」

江頭は梢の横顔を覗き見た。長い睫とまっすぐな瞳を父親に向けて、風船の行方に微笑んでいる。

大城戸のパフォーマンスは、即興ではなく、反復練習で身につけたものであり、カラオケの十八番(おはこ)を披露する感じだった。

ーーあっ。

探し物を見つけた江頭が、心の中で声を上げる。

「定休日」の正体だ。

バルーンアートを習っていたのだ。梢とは今日が1ヵ月ぶりだと言った。何かのきっかけで大城戸は彼女と再会し……いや、自分が知らなかっただけで、ずっと前から会っていたのかもしれないが、いずれにせよ、ここに来る約束のため、大道芸を身に付けたにちがいない。

次々に変形していく風船に、「ひまわり~!」と、後ろの席の老人が大声でリクエストする。

「向日葵(ひまわり)は花びらがとんがっているから難しいな。名もない花こそ美しいって言うもんでさ」

鼻歌をBGMにして、手を休めずに大城戸は風船を操り続けた。

江頭の胸がざわつく。

一人娘の梢は元気だった。しかし、母親は……別れた妻はどうしているのか? 安易なテレビドラマなら、彼女が現れたり、お年寄りの中に大城戸の肉親もいるのだろうが、そんな気配は微塵もない。とっておきの芸を見せている相手は、紛れもなく初対面の者ばかりだ。

ふと、廊下側の男性の帽子に、神門の鳥打帽が重なる。

マネージャーとアーティストの木曜日は、遠く離れた国みたいに、まったく違う時を刻んでいた。はたして、自分の時計に狂いはなかったか、針の進み方に誤りはなかったか。主(あるじ)の歌を世間に広めるのが自分の使命と信じてみたものの、いまこの空間では、それがとてもちっぽけな、今晩の夕飯より価値のないものに思えた。

大城戸の胸の前で一輪の花が咲く。

屹立した茎と丸く柔らかな花びら。

「エイヤー! この名もない花を、美しい名前のある誰かに。枯れない花を、まもなく枯れてしまう誰かに。いや、まだまだ一緒に咲き続けたい誰かに……はい、これ、欲しい人?」

愛情と毒気に満ちたセリフで会場をさらに沸かせ、たくさんの腕が一度に上がる。園長やスタッフまでも。

出来立てのアートにふうっと息を吹きかけて、大城戸は名もない花を左右に動かした。

膨らんだ空気がゴムの弾性を味方に、赤い花びらを穏やかに揺らす。

周りの勢いに負けず、梢も右手を高く上げた。

その動作につられ、つかの間、江頭も挙手する思いに駆られたが、猫背の姿勢を正すだけにして、花の行き先を見守った。



おわり

(STORY2へ続く)

⬛連作「ギョーカイ冷酷夏物語」

STORY 1「枯れてしまうには早すぎる」by T.KOTAK

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