STORY5 々(ノマ)(3/8)

「熊本にいるのは父親じゃなくて、元父親よ。それに、わたしは砂田謙吾という人をリスペクトしてないから、『ご尊父』っていう呼び方はちょっと……」

「あっ、ごめんごめん。適当な言い方がないもんでさ」

「『知り合いの砂田』とか『昔のお父さん』とか……」

こちらの子供じみた言い分を殊勝に受け入れて、野間口さんは「じゃあ、『ミスター砂田』が妥当かな」と笑った。

熊本行きのずっと前から「昔のお父さん」の存在を伝えていた書き手に対し、近しい編集担当がその話題に踏み込むのは当然だろう。母親を亡くしているわたしが身内話の出来る相手は野間口さんだけだ。

「ミスター砂田の講演を聞こうと思ったけど、熊本城見学に時間がかかって行きはぐっちゃったの。まぁ、別にいまさら会ってもねぇ……」

つっけんどんだった報告を少し優しくした。

半分は真実、半分は嘘。いざ、熊本駅から市電に乗ると、胸を掻きむしられる苦しさに襲われ、ガラスを透過する陽射しの中で、吊り革を持つ手が震えた。

再会までは望まず、遠目から砂田謙吾の姿を見るーーその程度の行動計画だったのに、体が拒否反応を起こしたのだ。

「急いで会う必要はないんじゃない?いずれ、機会があるよ」

野間口さんは話題を替えるつもりでビジネス鞄から自社ロゴの入った紙袋を取り出して、ホチキス止めされたA4サイズの企画書をテーブルに置いた。

「これは佐々木有美にとって、かなりいいニュースだよ」

プリント面をわたしに向けて、1枚目をめくる。

「大手書店チェーンの協同企画でね。各出版社の推薦本を集めて、『コレヨメ20』と銘打つらしい。大掛かりなブックフェアだ」

企画書の数ページを流し見た。熟読するより、信頼する編集者の説明を聞く方が早い。

「出版社の推薦?」

「そう、エントリーする20社がそれぞれ1冊ずつ、計20冊のセールスプロモーションだ。うちは文芸出版社だから小説を……ビジネス系出版社は実用書を出すわけ」

野間口さんは眉根を寄せて、目力を強めた。40過ぎの風貌とメロンソーダ、スポーティに刈られた髪とタートルネックはそれぞれがちぐはぐなのに、自信に満ちた一体感がある。

「そこで、僕らは佐々木有美の『知ったかぶりゴッド』をキャンペーンに出すつもりなんだ」

思惑に満ちた表情でグラスの氷を指でつつく。

「僕ら」という複数形、「つもり」という未来形。わたしは即座にレスポンスが出来ず、話の続きを待った。

「いい話だろ?」

「……『知ったかぶりゴッド』をですか?」

つい丁寧語になる。選ばれるのはうれしいけど、普通、こうしたキャンペーンは新刊を対象にするはず。企画書に書かれた「実施期間」は来年の3月だった。

「発売から時間は経ってるけど、その頃には堂々と『テレビドラマ化決定!』って帯に書けるはずだよ。返品商品に新しい帯をつけて再出荷する。うまくいけば重版もかかる。話題性のない作家の新作より、『知ったかぶりゴッド』を売り伸ばした方がいい」

返品書籍の再出荷。つまり、在庫処理。「ドラマ化されるから選んだ」と言ってくれればいいのに、裏表のない発言が野間口流だ。

ドラマ化決定・地方局制作・映画監督による撮影ーーこれまでの断片的な情報が、それでも、ようやく真実味を帯びてきた。

「キャンペーンに『知ったかぶりゴッド』を出すのって、会社の方針なの?」

「オフコース!もともとは僕の提案で、つまり、それが編集部と販売部の総意ってこと」

ストレートな質問に、野間口さんは喜色ばみ、指をパチンと鳴らした。放置されたメロンソーダが、炭酸の泡粒を液面に上らせていく。

持ち前の情熱と剛腕で、編集者・野間口芳樹が会社の上層部とたまにぶつかることを、本人からも周辺からも聞いていた。わたしたち書き手にとって、モノ創りに妥協しないパートナーはありがたいけど、組織には煙たい存在だろう。

「とにかくさ、佐々木さんの小説に期待してるんだ。僕はずっと惚れてるんだから」

あまりにもストレートな表現に「がんばるわ」とつぶやき、まっすぐな目線から逃げた。

目的語を曖昧にした「惚れてる」に耳たぶがジンとして、「そんなに熱い性格だから奥さんに逃げられちゃったのよ!」と心の中でツッコミを入れる。

「新作の調子はどう?」

「……だいたい予定どおり。ひとつ目の改稿が済んだところよ」

「OK!1話ずつ脱稿したところで読ませてほしいな」

野間口さんとストーリーを考え、構成を練り、脱稿までのスケジュールを組んだ連作短篇。編集者とこれだけ二人三脚になるのは初めてだった。デビュー作と2作目はそれぞれ違う出版社から発売され、本が売れれば、次の作品、またその次と依頼が来たはずなのに、わたしはそうじゃなかった。

だから、「知ったかぶりゴッド」という3作目は書き上げてから自分で出版社に売り込み、運よく、野間口芳樹という編集者に出会えたのだった。

「デビュー時から『佐々木有美』に注目していた」「『知ったかぶりゴッド』の成績だけで、縁を切るようなことはない」

わたしの行く道を情熱の赤い炎で照らした野間口さんは、口約束の多いギョーカイで最初にそう宣言し、「来年2011年は佐々木さんの飛躍の年になる」と、確信に満ちた面差しを向けた。



8年間のOL生活で貯めたお金と砂田謙吾の残した持ち家が、わたしの現在の生活を支えていた。

小説3冊分の印税は300万円にも及ばず、文庫化の話もない。文芸誌に発表した短篇が4本。それらがいずれ1冊になれば、新たな収入があるものの、出版社が異なるから望み薄だ。もし、家賃払いがあったら、わたしは廃業しているだろう……いや、その前に、会社を辞める覚悟がなかったはず。


新年を迎え、野間口さんの言う「飛躍の年」になった。でも、明るい兆しはなく、ただただ、小説の執筆とパワースポットに向き合っている。

12月はホテルニューオータニの日本庭園を訪れた。戦国武将・加藤清正公ゆかりの地で、緑に囲まれた泉と高さ5メートルの滝は壮観だった。師走の喧騒から離れた、大都会らしからぬ空間。フリーペーパーの編集担当に場所の選定を褒められ、わたしのモチベーションは程よく上がった。

スイッチを「弱」設定にした炬燵(こたつ)で、今日もウェブページを閲覧していく。

箱根元宮・出雲大社・伊勢神宮・斎場御嶽……誌面の仕上がりを想像しつつ、次の取材先を見繕う。

点けたままのテレビはいつの間にか昼のワイドショーに替わり、1週間のニュースを追いかけていた。

タイガーマスク運動。

手を止め、画面を見つめると、コメンテーターに転じた元アイドルがレポーターの話に相槌を打っている。



(4/8へ続く)

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