STORY5 々(ノマ)(2/8)

熊本市方面に伸びる国道が少しの渋滞もなく車を走らせていく。

窓の外を眺めるわたしに、運転手は会話を振らず、ラジオから流れる曲に鼻歌を乗せている。

……そう、いまは鼻歌くらいあっていい。夏に出したわたしの3作目の小説が、名古屋の地方局でドラマ化されることになって、ネガティブ思考な作者が半信半疑なのをよそに、編集者の野間口さんはすっかりテンションを上げている。

「タイトルは変えられちゃったけど、佐々木有美の原作にはちがいない。すごい宣伝になるぜ。テレビドラマなのに、映画監督が撮るらしいし」


輪郭をぼかした田園の上で、針穴から光を漏らす感じで星がひとつ瞬いている。

「コズエちゃんに会えるといいねぇ」

突然、運転手が言った。

「……コズエちゃん?」

「聴いてなかった?この大城戸(おおきど)先生の歌。コズエっていう自分の娘にもう一度会いたいって歌詞だよ」

バイオリンの感傷的な間奏。大城戸栄(さかえ)という演歌歌手の曲だった。娘と別れた父。親に会えない子供。

シンクロニシティーーふと、そんな言葉が頭をよぎった。

今回、熊本のパワースポットを選んだのには、実は別な理由もあった。

「『くまもと文化シアター』って分かりますか?」

タクシーがホテルの玄関に着いて、わたしはお釣りとレシートを受け取りながら、運転手にそう問いかけてみた。

「……ブンカシアター?」

「熊本市の河原町にあるんですけど」

地図で知った町名を伝えてみる。

「水前寺駅の近くに熊本県立劇場はあるけど、ブンカシアターってのは……昔からある建物かい?」

「最近竣工したらしいです」

「わしは阿蘇界隈の運転手だからね。ごめん、知らんわ。河原町なら、熊本駅から市電に乗ってすぐだよ」

反応に納得しつつ、ホテルのフロントで同じことを尋ねると、新米らしい女性従業員が小首を傾げ、観光パンフレットを整理していた別の者に口伝えした。

「熊本駅前から市電に乗って河原町駅で降り、白川にかかる橋を渡ればあります」

ベテランのホテルマンは市内案内図を拡げ、駅からの順路を指差して教えてくれた。

わたしはその場所をGoogleマップで調べ済みで、「くまもと文化シアター」が県内でどれほど有名かを知りたかっただけだから、申し訳ない気持ちになった。おそらく、建物自体は、わたし自身がサイトでいちばん詳しく見ているし、この辺りの人はたとえ知っていても行ったことはないだろう。まして、設計者である砂田謙吾の名前など知るはずがない。


夕食と大浴場で気持ちを少しのんびりさせて、布団が敷かれた部屋でノートブックのPCを開いた。

そうして、いつものように砂田謙吾のツイートを覗き見る。

ーーー

kumaken55 明日の講演に備え、資料の整理なう。32分前

ーーー

還暦をとっくに過ぎてもブログとツイッターで自分の日常を発信……それも、ときどきじゃなく、ブログを毎日更新し、必ず1日3回ツイートしている。

くまもと文化シアターのホームページには、イベント欄に名前があった。

『一級建築士・砂田謙吾(当館設計者)〇サービス付き高齢者向け住宅の住居設計について』

業界向けのセミナーがホールで行われ、砂田の講演は明日最終日のプログラムになっていた。

ーーー

砂田謙吾(すなだけんご) 熊本県出身。東京工業大学工学部建築学科卒。博多よかとこ建築大賞、北九州サステナブル建築賞受賞。

ーーー

写真付きのプロフィールには、東京で暮らしていたこと、そして、その後、再婚して新しい家庭を持った事実はどこにもなく、左頬の大きなホクロがわたしの記憶にあるだけだった。



「それで、ご尊父には会えたの?」

阿蘇の写真をPC画面でひととおり見た後、野間口さんはメロンソーダをストローで掻き混ぜながら身を乗り出した。

再会して15分。仕事の話は、まだ何もしてない。

自宅近くの、この上野駅そばのカフェがわたしのお気に入りの空間で、執筆兼打ち合わせ場所になっている。人気作家なら、いろいろな出版社の編集者がやって来るはずだけど、わたしの場合、野間口さんばかりだ。

「ご尊父のいる熊本市内にも行ったんでしょ?」

「うん。でも、会わなかったわ」

「会えなかった」じゃなく「会わなかった」。もっと正確に言えば、「会おうとしなかった」。

「せっかく熊本まで行ったのにもったいないなぁ……ご尊父の話を楽しみにしてたのに」

「あくまでも取材旅行だし、熊本市内は帰りにちょっと寄っただけよ。主役は阿蘇神社と阿蘇山だから」

PCを閉じて、わたしはブレンドコーヒーのお替わりをオーダーする。

カウンター席6つ、テーブル席4つの店内は貸し切り状態で、目線ひとつでマスターに意思が通じた。

さっきまでの、マスターに原稿書きを見守られる状態が、地声の大きい野間口さんの登場でファストフードの客席ふうに変わっている。

それはさておき、「ご尊父」という言葉の響きが引っかかってしょうがない。



(3/8へ続く)

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