STORY1 枯れてしまうには早すぎる(3/8)

「エガよ……ありがたいねぇ。テレビ局がいつもこうしてお弁当を用意してくれてさ」

向かいに座る大城戸が新曲の譜面をテーブルに置いて、「おっ、お前の好きな鳥そぼろじゃねぇか。俺のも半分食うか?」と続ける。

江頭は、愛想笑いで沢庵浸けをつまんだ。

「そのタクワン、ステージ衣装と……今回の曲の衣装とおんなじ色だぞ。こりゃ、縁起がいいな」

割り箸を手に、大城戸が豪快に笑った。

ギョーカイの中で、江頭のことを「エガ」と呼ぶのは大城戸栄だけだ。しばらく前に、ラジオ局のプロデューサーらが「エガちゃん」と言っていたが、同じ愛称の芸人と江頭順平の落差もあって、「エトさん」に変わった。口下手で生真面目な古参マネージャーは、たとえ、宴席でも、腹芸やトークで他人の笑いを取ろうとしない。営業めいた接待をしなくても、大城戸の周りには人が集まってくる。いや、集まってくるはずだった。

白飯を口にして、ふたりはお茶のサーブがないことに気づく。

いままでは、弁当の脇にペットボトルが必ず2本置かれていた。そう言えば、各部屋に配布されていたスポーツ新聞も見当たらない。

「ちょっと、お茶を買ってきます」

畳の上の胡座を崩した江頭に、大城戸は楽屋通路の入口に給茶器があったことを告げ、わざわざ自動販売機で買わないよう命じた。

入り組んだ通路を歩き、江頭は番組関係者に嫌味のひとつでも言ってやりたかったが、リハーサルまで時間があるため、フロアは休日のオフィスビルみたいに深閑としている。

誰ともすれ違わずに進んでいくと、いちばん外れの楽屋に懐かしい名前があった。

ミュージックシーンからすっかり姿を消していた歌手だ。

立ち止まり、その角ばった文字面を見つめ、江頭はハッとする。つい1ヵ月前、その者が大手の芸能プロダクションに移籍したことを思い出した。今日の大トリも同じ事務所の大御所だ。

紙コップを受け口に置いて、緑茶のボタンを押す。

ジーンという作動音に、苦い薬が舌先に乗る違和感を覚えた。有力事務所やCDメーカーの放送局への圧力は個人事務所のアーティストに不利に働く。演歌歌手の生命線である「NHK紅白歌合戦」もそうだ。メディア出演を決めるのは実力の有無ではない。新人やカムバック歌手の出現で、「大城戸栄音楽事務所」のような個人プロダクションがテレビの器から押し出され、マスコミの箸に引っかからなくなるのだ。

火傷する熱さをコップの側面に感じて、救い主の顔を思い浮かべた。

「エトさん!」

振り向くと、神門ヒロキがいた。

あまりのタイミングに江頭は後ずさり、両手に持ったお茶をこぼしそうになる。

「栄さん、今日、出演ですよね?」と神門。

昨日の鳥打帽とアロハシャツから一転して、長い髪を後ろで束ね、マオカラーのシャツにデザイナーズブランドのジャケットを併せていた。

「……ええ。神門さん……今日はここで何か?」

周囲を気にしながら、江頭が上目遣いで問う。

「来週、ジミーFがこの番組に呼ばれたので、プロデューサーに挨拶に来たんですよ。僕ら、演歌の番組は初めてですからね」

神門は早口でそう答え、目の前の湯気をちらりと見てから江頭ににじり寄った。

「エトさん、例の件、僕にいいアイデアがあるんです。後でメールしますよ」


歌謡ショーは佳境に入り、司会のアナウンサーが次の出演者をオーバーな手振りで紹介した。

2階席の最後列で、江頭はCDメーカーの原島とステージを観ている。放送台本と香盤表を持つ原島は、外で別のアーティストとの打ち合わせを終えてからやって来た。江頭にはそれが気に入らず、会ってからほとんど口をきいていない。

結城紬のキモノを着た女性歌手が曲のイントロで拳を振る。まだ40代なのに大物然とした貫禄を持ち、いまや紅白の常連である「上クラス」の歌い手だが、大城戸の出番前での登場はテレビ局のせめてもの配慮だろう。

香水やナフタレンの匂いが入り混じる会場は、ギョーカイ人にとっては日常の空間だが、地方からバスツアーでやって来た観客は、スターを生で見る非日常に忘我し、感動の沸点を惜しみない拍手で表していた。

上クラスの歌手の楽屋にもお茶の用意はなかったのだろうか? 新人のジミーFはどんな待遇で迎えられるのだろうか? 江頭はそんなことを想起して口をすぼめた。そして、「アイデアをメールする」という神門のメッセージを反芻し、大城戸栄と過ごした半生を顧みる。

島根から上京して36年。しばらくは道路工事や夜間警備の仕事で食いつなぎ、24歳でようやく憧れの芸能界にぶら下がれた。歌謡曲全盛の70年代最後の年に、大城戸の師匠である作詞家の宇田川圭に出会い、オフィス専属の運転手になれたのは幸運だった。

当時、宇田川の事務所に所属していた大城戸は、「乱れ祭り」のヒットで紅白初出場を果たすと、「エイヤー!」という掛け声を代名詞に、3年連続で大晦日の晴れ舞台に立ち、マネージャーに昇格した江頭とともにハードなスケジュールをこなしていった。

遮二無二に過ごしたその頃が人生のピークだったかもしれないと、江頭は下唇を噛む。

それから、大城戸は元宝塚の女優と入籍し、まるで芸能界のルールに則るみたいにあっけなく別れた。「禍福はあざなえる縄のごとし」で、翌年には師匠の宇田川も急逝し、ふたりは事務所からの独立を余儀なくされたのだった。

芸能界で生き永らえてはいるものの、これと言ったヒットが出ず、「紅白」もご無沙汰となり、プロフィール欄に書かれる文字の量がキャリアの長さに反比例していく。

元宝塚の妻も、とっくに成人しているはずの一人娘も、いまはどうしていることか。父親である大城戸栄は何も語らず、家族の存在をすっかり消去していた。

「エイヤー!」

いきなり、客席が湧く。

舞台に大城戸が現れ、スポットライトを浴びたジャケットを輝かせながら、ダジャレを織り交ぜた軽妙なトークで、ホール全体の熱気をさらに上げていく。

「さすが、大城戸師匠……」

江頭の隣りで原島が唸る。

表情の機微までは読み取れないが、その圧倒的な声量とパフォーマンスは、アリーナ席で体感する迫力だった。

マネージャーは目をつむり、新曲の旋律を体に染み込ませた。

梢(こずえ)とともに…

ふと、詩中の単語が耳に残る。

大城戸自身が綴り、歌うそれは、愛娘の名前だった。



(4/8へ続く)

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