STORY1 枯れてしまうには早すぎる(2/8)

古参マネージャーはレコーディングルームの弦奏者を見つめ、厳しい現実に嘆息した。

この10年あまりで、音楽市場全体のCD販売は3分の1に縮小し、マーケットの規模はオンラインゲームにも劣っている。歌謡番組も減り、CDが売れない。若者向けのJ―POPに較べれば、演歌はまだ緩やかな右肩下がりとは言え、メーカーの売上ダウンは人員整理だけでなく制作現場にもメスを入れた。上階の漏水が天井のシミを拡げるみたいに、宣伝やレコーディング予算が削られ、スタジオの使用時間まで制限されるようになった。

遅れてやって来たディレクターがバイオリニストに指示を出す。制作側の姿勢そのまま、動作も口調も慌ただしい。

「大城戸師匠は今日はお休みですか?」

タブレットを膝に置いて、原島が江頭に尋ねた。

「うん、毎週木曜はね、基本的に定休日」

「……定休日ですか?」

「このところ、本業の歌手が儲からないんで、アルバイト。コンビニ店員の演歌歌手」

年長者の自嘲めいたジョークにCDメーカーの管理職はボケもツッコミもせず、タブレットの画面をフリックする。

演歌界で「中の上」のポジションを保ち、作詞印税も入る大城戸栄にアルバイトなど必要ないが、つい1ヵ月前、「木曜はなるべく仕事を入れないでくれ」と、大城戸は江頭にリクエストした。ステージでは還暦どこ吹く風のパフォーマンスを見せながらも、一昨年に実母を亡くしてから、物憂げに考え込む時間も増えている。だから、主(あるじ)の定休申請を、マネージャーは理由も聞かず、内情も探らず、訝しむより案ずる思いで承諾した。ついでに自分自身も休んでしまえばいいものを、55年の人生で趣味も家族も持たない江頭は、こうしてレコーディングスタジオに篭るしかなかった。

上行進行する第2バイオリンが主旋律に音符を重ねる。厚みがあるのに軽やかなメロディは、演歌の小楽節というより、まるでシンフォニーの主題のようだ。

芸能界への憧れだけでアーティストのマネジャーを生業にした江頭に、音楽の才はない。しかし、能力や理論がなくても、旅人が異国の夕景を美しく感じるふうに、レコーディングルームの生演奏がささくれ立った気持ちを丸めていく。

「それ、ジミーF(エフ)ですよね?」

サウンドの途切れたところで、原島が江頭のバッグを指差した。二つ折りにしたチラシが顔を出している。

持ち主の江頭はとまどいを隠して、それを拡げてみせた。

神門との密会のことは、大城戸にも原島にも内緒にしている。狭いギョーカイで、CDメーカーの移籍話は、冠婚葬祭や引退ネタ同様にナーバスなもので、情報漏洩は厳禁だ。離陸と着陸の失敗が歌手生命に致命傷をもたらすこともある。

「ジミーFは巧いよなぁ」と、原島が伸びをした。

「……ハラちゃん、知ってるの?」

「もちろん。もともと、テレビの『地球ピカイチのど自慢』のチャンピオンですよ」

話し相手に口元を近づけ、原島は目の前のディレクターを気遣う小声で答えた。

「うちは手を挙げなかったけど、いくつかの会社が争奪戦を繰り広げましたよ」

「地球ピカイチのど自慢」というテレビ番組もCDメーカーの動向も知らない江頭は、頷きも相槌もなく耳を傾ける。

「結局、落ち着くとこに落ち着いたってカンジかな。ま、売れるでしょうね」

「落ち着くとこ?」

「プライムミュージックですよ。エトさんも知ってるでしょ? いまやギョーカイナンバーワンだから」

キャッチコピーを覗き見て、原島は羨望と諦念の入り混じった口ぶりで続けた。

プライムミュージックは神門の会社だ。

「でもさ、あそこに演歌は無理だろ?」

自問するかたちで、江頭はクエスチョンを上乗せしたが、低くした声が掠れてしまい、慌てて咳ばらいする。

「いや、プライムは宣伝と営業力がハンパじゃないから、演歌でもクラシックでも何でも売りますよ。方法はどうあれ、演歌ギョーカイを盛り上げてくれれば、ボクらはうれしいですけどね」

CDメーカーは、一握りの売れ筋アーティストがもたらす利潤を新人育成やプロモーション費に充てていく。トップアーティストのヒット曲が、不良債権的な歌手を養っていくのだ。

J―POPで勝ち組になったプライムミュージックはそうしたサイクルで音楽のジャンルを拡大し、マーケットを席巻していくのだろう。演歌に進出するなら、未知数の外国人なんかより、大城戸栄の方がずっといいはずーー江頭は、養いも養われもしない老舗メーカーとの別離をリアルに想像した。

「もう1テイクだけ行ってみまーす」

ソファに座るふたりに振り返り、ディレクターがストップウォッチを掲げて遠慮がちに発した。



9ヵ月ぶりの楽屋ーーかつては毎月の出演オファーでここを訪れていたのに、2ヵ月に1回が半年に1回になり、やがて、新曲のリリース時期だけになった。

大城戸栄は「中の上」から「中」、もしくは「中の下」に格下げされてしまったのか。胸間に重たい雨雲をかけて、江頭は仕出し弁当の蓋を開ける。髪の生え際ににじむ汗は外の陽気のせいではない。

大ホールに観覧客を入れて行う、生放送の歌謡ショー。

「番組が続いているだけマシか」

江頭は心の中で独りごちて、割り箸の袋を開けた。



(3/8へ続く)

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