STORY2 再現ドラマカフェ(7/8)
「なまじゅげむ」のフロアいっぱいに客が入り、ステージから控室へ繋がる通路で役者たちがざわついている。
「ギンネズが来てるぜ!」
「おお、いたいた。驚いたな」
タオルで汗を拭う劇団員が、出番待ちの小百合を囲んだ。
「……ギンネズって、根元監督?」
「そうだよ!間違いないぜ」
半信半疑で聞き返した彼女に、空芯菜の主役が興奮調で答え、そばにいた尾畑と砂田も会話に加わった。
ギンネズは、映画監督の根元純夫の愛称だ。スクリーンを意味する「銀幕」と「ネモト」「スミオ」をミックスして「ギンネズ」。小百合が数日前に面接を受けた、映画界の重鎮が客席にいるらしい。
「サユリちゃん、砂田くん、ちょっと覗きに行かない?」
2本目の「ソロバンは寝て待て」が終わり、「与党と野党の火繩銃」まで15分のインターバルがある。尾畑たちは、柱の陰からフロアを伺える上手(かみて)側に向かった。
丸テーブルが放射状に拡がる店内で、観客はバーカウンターを起点に移動している。
軽食つき1000円の再現ドラマカフェの生命線は飲食物の追加販売で、幕間がその書き入れ時だった。
座席の間隔が狭いうえ、立っている者と座る者が交差しているせいか、場内は何かの避難所みたいに混み合っている。
そこに、根元純夫がいた。
ステージから5、6メートルほどの距離。トレードマークの薄いサングラスをかけ、テーブルに片肘をついてタンブラーを持っている。タバコの銘柄までもはっきり見えた。
談笑する相手の顔も、小百合には記憶がある。オーディションにいた、テレビ局のプロデューサーだ。
「あら、やだ。結構目立つ場所に座ってるわね」
尾畑が耳元で囁く。
すでにメイクを終え、舞台衣装も着ている3人は客席に紛れ込むことが出来ず、張り込み中の刑事さながら、息を潜めて彼らの様子を伺った。
ちょうど、さっきの記者が根元の後ろのテーブルに座り、ノートブックのパソコンを開いている。
「なんで、ギンネズさんが来てるんですか?」
砂田が尾畑に訊いた。
「なんでって……私たちの舞台に興味があるからでしょ。隣りの男もギョーカイの人間よ。どこかで見たことあるわ」
「すごいなぁ。やばいなぁ。ぼく、かなり緊張してます」
「最近は、他の劇団の俳優とか、広告代理店もよく観に来るのよ」
ふたりのやりとりを聞き、小百合は根元の連れの正体を明かしそうになったが、口をつぐんだ。オーディションのことは誰にも話していない。
おそらく、監督の根元とドラマのプロデューサーは「高梨小百合」の芝居を観に来たのではなく、あの時の会話から、「じゃあ、再現ドラマカフェに行ってみるか」となったに違いない。それでも、出演者の顔ぶれに気づき、今日の舞台をオーディションの追試にするだろう。いや、もしかすると、合否の最終チェックでやって来たのかもしれない。泡沫な考えが浮かんでは消え、心臓がひっくり返るほど、小百合は脈拍を速めた。
そうして、控室に戻ろうと体を反転させた時、非常口の近くに父親の秀造を見た気がした。
まさか。
驚いて二度見したが、年輩の男はこちらに気づくはずもなく、バーカウンターの方へ消えて行く。
頭頂部の薄さと対照的な襟足の長い髪。スポーツ選手のように広い肩幅。顔は判らなかったものの、見覚えのあるジャケットとシルエットだった。
やがて、開演を知らせるブザーが鳴り、場内が暗転した。
「さぁ、頑張りましょう!」
ベテラン女優が気合いの入った表情で小百合の手を引いた。
静まったフロアで、ステージが光を集めている。
再現ドラマカフェのセットはシンプルだ。
それぞれの演目が1度きり20分の公演なので、無駄なお金をかけられない。たとえば、舞台で使用する家具のレンタルは、本番当日の搬入搬出でコストを最小限に抑えていく。ひとり1000円プラスアルファの飲食で100人の集客なら10万円程度の収入しかなく、スタッフのギャラを考えれば収支トントンだが、荒川は劇団そのもののプロモーションとして割り切っている。
ゲネプロが出来なかったため、小百合たち3人は、初めて「与党と野党の火繩銃」のセットに向き合った。
皮張りのソファと背の低いテーブル。下手(しもて)にはマンガの「どこでもドア」みたいな玄関扉が置かれている。
1幕1場。賃貸マンションのリビングルーム。
嵐の月曜の夜、新婚夫婦がぎこちない時間を過ごしている。
始まりから5分が経ち、ふたりの会話と振る舞いで、観客はそのぎこちなさの理由を理解していた。夫に、別の女の影がある。
数秒の沈黙の後、インターホンが鳴った。
「……こんな時間に誰かしら?」
読みかけの雑誌を閉じ、小百合は砂田と視線を交わす。
「はい。どなたですか?」
家主の応答に、返事はない。
「部屋を間違ったんだろ」
「気味悪いわね。大雨の夜に」
夫婦がそれぞれの行動に戻ろうとすると、玄関が激しく叩かれた。オーバーな音響も再現ドラマカフェの十八番だ。
「開けなさい!開けなさい!」
ヒステリックな声が響き、夫が妻を制して玄関に立った。
「ちゃんと話をしなさいよ!」
来訪者の尾畑が姿を見せた。ロングコートと黒髪を濡らし、肩で息をしている。
(8/8へ続く)
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