STORY4 変態ゲームGO!GO!(3/8)
「変態!」「GO!GO!」
グラビアアイドルの甲高い声と芸人の野太い声……非日常のバカ騒ぎで、年甲斐もなくはしゃぎ過ぎた。
ヤマドリは遮光カーテンを開けて、ゲンコツで後頭部を2、3度叩く。休んでいる暇はない。デスクに置いたノートブックパソコンが起動する間に、携帯の受信メールを開いた。
「今日は対外試合で勝ったよ!」
娘のメールだ。彼女の送信時刻は夜中の2時。部活から帰り、受験勉強を終えて寝る前に書いたのだろう。ヤマドリは二日酔いを恥じながら、激励と自分の出張便りを短く返信する。
辞令が出たときは単身赴任を覚悟したが、家族は「一緒に行く」と言った。岐阜出身の妻は東海地方への転居に抵抗がなく、折しも中学受験に失敗した一人娘が生活環境を変えたがった。父親は、一家3人で東京を去ることが出向の「片道切符」にならないよう簡便な借家住まいを選んだものの、バドミントン部で活躍する娘は地元強豪校への進学を目指し、もはや、東京帰りを望んでいない。だから、やがてあるはずの東京帰還こそ単身になるかもしれないーー嶋田孝は、いつ出るか分からない異動辞令に脅かされながらサラリーマン生活を送っている。
「ヤマドリくん、いっそ、俺みたいに転籍したらどうだ?東京のキー局で数字に追われるより、こっちで番組をのんびり創ろうや」
出向社員の先達でもあるプロデューサーの小笠原は、名古屋・栄の赤提灯でそんなことを言った。しかし、のんびりするはずのその人がスペシャルドラマの仕込みに忙殺され、脳梗塞を患った。
ヤマドリは偏頭痛に顔をしかめながら、パソコンで仕事関係のメールをチェックする。
「天知る地知る案件」「スポンサーから嶋田部長への伝言」「ロケ先候補一覧」「来週の会議時間変更について」……10件以上の表題が並び、携帯からでも会社アドレスのメールを見られたが、電話が鳴らないことに安心して、昨夜は確認を怠った。そして、その「半日遅れ」を後悔するメールがあった。
監督の根元純夫(ねもとすみお)からだ。
「キャスティングの相談あり。東京にいる間に電話くれ」
ヤマドリは時計を見て、慌てて発信ボタンを押した。
留守電機能に切り替わらず、呼び出し音が続く。10秒・15秒……鼓動を速めて、携帯を閉じる。
「お前は朝早くにケータイ鳴らして、ホンマしゃあないな!」
根元のそんなどやし声を想像しながら、ヤマドリは急いでワイシャツに着替えた。
過密スケジュールな2泊3日の東京出張。今晩はジミーFの事務所社長との会食があり、日中はDVDメーカーに営業し、ロケ地の下見をして、制作発表を行う予定のホテルと打ち合わせする。それに、キー局の経営管理部から、明日までの空いた時間に社屋に顔を出すよう命じられていた。
水道水で顔を洗い、レジメンタルのネクタイを締める。鏡の中の顔は赤らんでいるが、外気に触れれば治まるだろう。根元の折り返しコールを待ちつつ、出勤までの間、テレビのスイッチを入れた。
東京ローカル放送のワイドショーが今日の天気を伝え、リストラされた中間管理職の悲哀が再現ドラマで映し出される。
映像を漫然と眺め、ヤマドリは自分の立ち位置に思いを馳せた。
テレビ局での仕事は本懐だ。しかし、東京を離れてから、奥歯に何かが挟まったような、喉に魚の小骨が刺さったみたいな違和感がある。
リモコンでチャンネルをザッピングすると、ローカル局にはない華やかなセットの前に人気者たちの顔が並んでいた。
全国の民放局は、首都圏の5大キー局を中心にネットワークを組んでいる。ピラミッド型のヒエラルキーで、「キー局」の次に関西圏の「準キー局」と中京圏の「中京局」があり、下層にローカル局がある。ローカル局の多くは青息吐息の経営で、しゃちほこTVも例外ではない。
働き盛りの年齢で東京から地方へ赴くのは、傍(はた)から見れば都落ちだ。本丸がエース級の人材を手放すはずがなく、何かの懲罰辞令と勘繰る者さえいる。経営管理部は、番組編成部にいた嶋田孝に「系列局の戦力強化」という大義名分を与えたが、誰もが首を捻る人事だった。
ヤマドリは部屋のカードキーを財布に入れ、フロントマンに会釈して建物を出る。鈍色(にびいろ)の雲がビルの谷間を埋め、強い北風に前屈みで歩いた。
スペシャルドラマの制作ーーそれにしても、厄介な仕事を抱えてしまった。テレビマンに障壁はつきものだが、今回の壁はあまりにも厚く高い。
まず、タイトルだ。
「天地る地知るチルチルミチル」は、大口スポンサーの意向で、監督の根元は難色を示している。
「『チルチルミチル』は余計やろ。韻を踏んだところで幸せの青い鳥なんて見つからんで」
そう冷笑し、「アホなタイトルは、しゃちほこTVの汚点になる」と警告した。
一枚岩になれない、監督の根元純夫。はたして、テレビドラマに映画監督を起用する必要があったのか?スペシャル感・話題作り・スポンサー集めの口実……目論みは分からなくもないが、映画界の重鎮の存在は頭を悩ませた。
キャスティングも紆余曲折があり、未だ暗中模索の状態だ。関西の大御所タレントをブッキングしたいのに、「ローカル局のドラマ」というだけで芸能事務所が門戸を開かず、こちらも島田の人脈を頼るしかなかった。
脚本はすでに完成している。しかし、クランクインはおろか、全体のプランが大幅に遅れていた。見積もり段階で予算オーバーの制作費もどう回収していくか。ヤマドリはコートの襟を立て、頭の中の「TO DO LIST」を整理していく。
そうして、根元にもう一度電話をかけようと、東京メトロの入口で立ち止まったとき、携帯が鳴った。
(4/8へ続く)
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