STORY3 銀幕のネズミ(3/8)
隣りのテーブルのヤンキーが、テレビで見かける監督の存在に気づいて、さっきからニヤついてる。「銀幕のネズミ」は毒舌文化人としても知られてるから、街中ではちょっとした有名税を取られてしまう。
上着を脱ごうとした僕を、そんな監督は仏頂面で制し、サングラスを外した。長居無用のメッセージ。
正方形のガラス窓からうっすら差し込む陽射しが監督の目元を照らし、瞳孔の奥に潜む力強さを映した。茶色がかった虹彩は肉食系の獰猛さと冷静さを併せ持っている。
「ひどい事件やろ。まったく適当な裁判や。正義なんてどこにもないで」
言った後で、鼻毛をプチンと抜き、頭を無造作に掻いた。
僕が初めて、この「銀幕のネズミ=根元純夫」に会ったのは、2年前の冬だった。
場所は原宿のデニーズ。お決まりのMA1を着て、社長の隣りで不機嫌そうにコーヒーを啜っていた。
当時、専門学校を卒業した僕は、希望する映画会社の職にありつけず、フリーターともプータローとも呼べない中途半端な生活を続けていた。そんな最中(さなか)、思いがけず「面接」の機会を得たのに、就職斡旋した学校関係者が急に同席しなくなったせいで、インディペンデント系映画会社の社長と銀幕のネズミにひとりで会うはめになったのだ。それはまるで、心臓を針で突つかれる時間だった。
「映画ギョーカイに入っても儲からんで」
開口一番に監督は眉間に皺を寄せ、社長は僕の懸命なアピールに憐れみの眼差しを向けた。
「でも……ま、シャシン屋の仕事ってヤツは命を賭けるだけの価値があるわな」
しらけた空気をごまかす調子で監督はつぶやくと、飲み物をお代わりしてお気入りの映画をまくし立てた。
「ゴッドファーザー」「狼たちの午後」「イージー・ライダー」「ディア・ハンター」……。
名作批評はめちゃめちゃおもしろかったけど、キレ者社長の三白眼の斜視とロレックスの腕時計と仰々しいアタッシュケースに気後れして、僕は面談から逃げ出したい一心で、志望動機をめいっぱい重ね着した。
「根元監督さんのお手伝いが出来たら光栄です」「映画をヒットさせるため、死ぬ気で働きます」
やがて、「まぁ、うちも急に欠員が出たからね」と、社長がネクタイの結び目を直し、監督は「お前さん、車の運転はできるんか?」と、真顔で尋ねてきた。
結果、その1週間後に、僕はスーツ姿で社用車のハンドルを握り、助手席に座る監督を「ネズさん」と呼んでいた。そうして、いつの間にか根元映画村の住人になり、スーツがダッフルコートに変わる間に、監督は2本の映画を撮り、そのどちらも不本意な成績に終わった。
僕の雇い主である社長は、制作・配給会社の経営者であり、映画のプロデューサーだ。一方、監督はあくまでもフリーランスの立場で、ふたりは気心こそ知れているものの、結局はビジネス・パートナーの間柄。だから、製作費を賄う僕らの会社にとって、銀幕のネズミは外部のスタッフであり、社長と喧嘩でもすれば、他の製作プロダクションや製作委員会からお呼びがかかるのを待つしかない。いや、喧嘩なんて子供じみた話じゃなく、次の作品も赤字なら、ジ・エンドだ。
「CG?ベストセラー原作?人気タレントの起用?そんなもん、なんぼのもんじゃい」
監督がそう吠えるにつけ、ギョーカイの明るい陽は根元映画村から遠ざかっていく。まるで僕らは、雪道にタイヤを取られ、エンジンを空ぶかしする中古車のようだった。
取材ノートに新聞記事をメモる内藤さんを見ながら、監督はポケットのハイライトをテーブルに乗せた。
「チュウよ……たとえばな、テレビ局や出版社と組んで製作委員会かまして宣伝費をぶちこめば、興収20億30億は当たり前に行くんよ。アクションプラスお涙頂戴のラブストーリーでな。でも、そんなテレビドラマに毛の生えたもんをわしらが作ってもしゃあないやろ?お前さんの配給会社はそんなん望んでないやろ?」
荒々しい論調に、内藤さんが手を止めてホットコーヒーを一口飲む。
「……たしかに、それはネズさんの仕事ではないな。根元純夫はそんな安っぽい映画を作ってはいかん。製作委員会を後ろ盾に放送局のプロデューサーが映画の宣伝番組をテレビで流す……あれはルール違反ですよ」
カフェインが徹夜明けのジャーナリストの血を刺激したのか、内藤さんも語気を強めた。
「そや。電波法違反やで。所詮、テレビ屋にホンモノのシャシンが撮れるわけない。モリさんの本にも書いてあったとおり、このままじゃ、日本映画は崩壊するで」
「最近のテレビ局制作の映画はあまりにもお客さんをないがしろにしてますな。安易に作って、スクリーンに垂れ流している」
白いものの交じった髪を手櫛で梳いて、モリさんこと内藤さんは大きく頷きながら自分の考えを反芻した。
「まぁ、そうは言っても、わしらのプロデューサーも根元組でずっと渋い映画を作るわけにいかんやろ。10億は稼がんとな。今回はモリさんがメイキング本をまとめてくれるし、ホントの勝負や」
いつになく慎重な監督を、宣伝マンの僕が鼓舞する番だけど、目線が右往左往するだけ。
ちょうどその時、斜め向かいのテーブルで老夫婦がウエイトレスを呼び、どこかの子供の嬌声に僕の背中が押された。
「僕の社長も、ヒット50億の大作なんて、監督には望んでないと思います!」
瞬間、監督は眉を吊り上げた。
しまった……「ネズさん」と言うべきところ、うっかり「監督」と言ってしまった。胃袋がぎゅっと縮む。
「そうか。チュウもそう思うか」
(3/8へ続く)
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