第30話 想定外の展開
青木との付き合いはその後も続き、日本ではまだ入手が困難だった調味料や食材を送ってもらったり、、
さらには千恵子との新婚旅行の帰りにバンコクに立ち寄った時でも、
タイ料理研究会(TFRA)の野崎たちと、一緒に“居酒屋源次”で合流してくれたり・・・。
昨年、曼谷食堂を開業した際には、大きな花を送ってくれるなど、
もはや健一にとって無くてはならない存在になっているのだった。
正に“恩人”ともいえる青木がわざわざ健一の店にまで来てくれたのだった。
健一は慌ててハンカチで涙をふき取るのだった。
「健一君、もちろんお話は知っています。残念ながら葬儀に出席はできませんでしたが、
千恵子さんのことは私もショックですよ。
いや、バンコクの源次郎さんも、他のお客さんもみんなそうですよ」
青木も沈痛な表情で語った。
涙を拭き終えた健一は「ありがとうございます。皆さんに、そんなによく思っていただいている千恵子も
きっと天国で間違いなく喜んでくれると思います」
健一の言葉に静かにうなづきながら青木は再び口を開く。
「千恵子さんのことは、私は今でも忘れられないよ。そう健一君が初めて彼女を私のところに連れてきたときの事だよ。
彼女は私に日本の企業を退職してタイで起業をしたことをすごく気にしていてね、挨拶もそこそこに
『青木さんその決意はどのタイミングですか?』『大企業を退職したときに不安は無かったのですか?』
『好きな道に進まれて後悔はないですか、今、一番楽しいことは?』と言った具合に矢継ぎ早に質問攻めにあって
いや、驚いたね。あたかもマスコミのインタビューを受けているみたいで。
健一君の熱意はいつもすごいけど彼女の熱意も本当にすごかった。」
「青木さん、ごめんなさい千恵子は悪気があってではなく、いつも真剣なのでつい先走っていて・・・・」
健一が頭を下げようとすると青木は笑いながら。「何で謝るの?そんなこと無いよ。むしろ逆に私は嬉しかったよ。
こんな熱い女性が世の中にいるとはと思ってね。それも健一君の奥様と言うから、余計に心中で『健一君にはいい奥さんが来たなあ
本当に良かった』と思ったものだよ。だから彼女には私も真剣に答えたんだ。そしたら彼女は本当に嬉しそうだった。
あの笑顔は今でも忘れられないよ」
青木の懐かしそうな顔を横に健一は静かにつぶやく。
「青木社長ありがとうございます。ただ、この店は残念ながら閉店することになったんです。今回のことのショックもありますが・・・」
と、再び泣き出しそうな鼻声で青木に伝えた。
青木は少し驚きの表情を見せながら「ああ、そうなんですか。あれだけタイ料理に力を入れていたのに・・・。
これは本当に残念ですね。実は、今日は健一君のタイ料理をいただきながら千恵子さんのことを偲ぼうと思っていて
結構楽しみに来ていましたから」
「ごめんなさい。今はどうしても作る気力が起きないんです」必死で謝る健一。
「大丈夫。健一君のその気持ちもわかるよ、でもタイ食文化研究会(TFCRA)の活動もやめてしまうの?」
少し心配そうな青木に、「それなら大丈夫です。僕の後輩の野崎が後を継ぎましたので」
「そうか。では、このお店でもやっていたというTFCRAの定例の研究会も別のところになるんですね」
青木の逃げ道を封鎖するかのような更なる鋭い問いに対して健一が答えにくそうにしているところに、
それまで黙って聞いていた福井が大きな声で口を開いた。
「あ、それはそのままよ!あっ申し遅れました。わたしゃね福井と申しまして、
健一君にこの店を貸し出していました人間よ。これからはこの店はアジアンカフェになりますが、定例会はこれまで通り、
ここでやってもらおうと思っています」
江戸っ子気質のようなスピード感あふれる口調になった福井は、さらに語気を強める。
「ところであなたは、さっきから聞いたら貿易会社の社長さんでしたっけ?」
青木は福井に逆襲されたかのように圧倒されつつ「あ、はい、ご挨拶が遅れました。青木貿易の青木と申します。
大畑健一君とはバンコクで知り合ってからというもの、いつも頑張っている姿を見ていつも元気をもらっています」
と慌てて挨拶する。
「じゃあ、恐らく顔は広いわね。ここで頼みがあるんだけど、健一君の就職先とかいい所ないかしら?
彼は普通に就職活動しても、うまく良いところが見つかるかどうかもわからないし、
就職できたとしてもどうしても中途採用になっちゃって何かと不利だと思うから。
どうせなら知り合いの紹介のほうがいいと思うんだけどね」
福井がまくし立てるように言いきるとと、青木の表情が急に穏やかになり、
顎鬚をこすりながら「福井さん。それならぜひお願いしたいのです。
健一君を私のところで預かりたいのですが」
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