第49話 恩人社長の許可

健一が5通の手紙をしたためてポストに投函したが、普段の生活では一切その話をせずに

すごしていた。


最初には脳したのは2日後、ちょうど事務所が2人だけになった時、大串がまず聞いてきた。

「毎日目の前にいるのに手紙なんて・・・。でも大畑先輩の気持ちわかります。

気にせずに新しい道に進んでください」と励ましてくれた。

翌日のお昼休み。「一緒にご飯を食べませんか」といってきたのは山本明子

健一はその理由をほぼわかっているので、その質問に答えるために気合を入れる。

「手紙を見ました。いつも一緒の事務所なのにちょっと水臭いと思いましたよ」

「それは大串にも言われた。でも、なかなかその場では言い出せなくてごめんなさい」

「大串さんはなんと言ってました?」「彼は喜んでくれた」

健一とのやり取りの最中明らかにに少し残念そうな表情をしていた山本であったが、

大きく深呼吸して「少し残念だけどわかりました。大畑さんの夢かなえてください」と

最後は笑顔で了承してくれた。


その日の夜、福井が健一の家をたずねてきた。

「手紙読みました。これは健一君の人生だからがんばって。泰男ちゃんは大丈夫。

私も普段は一人暮らしだから孫のような子供がいると楽しいのよ」と言ってくれる。


そしてトンブリーの主人からも「大畑さん、あなたのタイ料理への想い、大変よく伝わりました。

家族経営の小さな店ですが一緒に盛り上げましょう」と、

結果的にこの4人からは健一の判断に好意的な返事を頂くことができた。

しかし、問題は残された1人青木であった。


大串から遅れること3日後、東京事務所に電話がかかってきた。

「大畑君、手紙は読みました。一度2人だけで話をしましょうか?」

いつも以上に感情のない静かな青木の声。

健一は「多分怒ってらっしゃるな」と少し恐怖を感じるのだった。


翌日の仕事が終わってから、青木との待ち合わせは、都内に古くからあるタイ料理店。

もちろんここにも食材を卸していて、健一の担当している店でもあった。

席についてまず最初に料理を何品か注文したところで、

青木が顎鬚をさすりながら静かに口を開いた。

「大畑君、いやここではあえて健一君と呼ぶことにしよう。

手紙に書いてあったことをもう一度ここで説明してもらえないか?」


健一は、緊迫した空気に心臓の鼓動音が耳に響き渡っていた。

一度大きな深呼吸をしてから今までの経緯をゆっくりと青木に説明した。

青木は目を閉じて静かに聞いていたが、健一が一通り説明を終えると

目と口を同時に開いた。「わかりました。君はやはり、タイ料理をもう一度やりたいということですね。

いいでしょう。私も君の作ったタイ料理をもう一度食べたいと思っていたからね」

「ありがとうございます」健一は席を立って頭を下げた。


青木は、表情一つ変えず話を続ける。

「但し条件があります。あなたの代わりの人を探してください。

君の紹介してくれた同じ大学の後輩の大串君、それから君を兄のように慕っている

山本君も非常に立派に働いてくれています。

ですから健一君らが関わっている“タイ食文化の研究会 ”のメンバーで良い人が

いれば、それまでに2、3人お願いしたいのです。

当然この件で1人経験者が抜けるのですから、会社へのダメージは免れません

ですからそれだけは絶対お願いしたいと思います。

お店は6月からですね。それまでに出来るだけスムーズに引継ぎも行ってください。

そのあたりは君と大串君に任せます」「わかりました。早速探してみます」


健一は即座に答える。

「それともう一つ、これは私個人の考えなのですが、今度は絶対にあきらめないで

ください。1人前のタイ料理シェフになるまで約束ですよ」

青木の約束に健一は強い口調で「心得てます」と答えると、

青木の表情が和らぎ「よし、わかりました。そろそろ料理が来たようですね。

ここからは健一君の新しい人生のスタートを祝して頂きましょうか」

こうして青木からも無事OKをもらうのだった。


食事の後、青木は、健一に今まで話したことのないことを突然告げた。

「これは、個人的なことだから今まで話はしなかったのだけどね

 私は、神と言う存在はいるとは思えないんだよ。夢で千恵子さん

 が天使になって出てきたとか君は言ってたけど」

突然のことに、少し健一の顔が強張った。


「いや、わかっている君も千恵子さんもクリスチャンだし

 私は人の信仰のことをとやかく言うつもりはない。

 ただ実は私はある教会の牧師の子供だったんだよ」

「ええ??」突然の青木の告白に返す言葉が思い浮かばない健一。


「親は必死に神様とかイエス様とか言っていたが、俺にはわからなかった

 この世の中にそのような存在がいることが、聖書も読んだけどやはり

 わからなかった。それでも理解しようと大学は神学の大学に進んで

 神学を勉強した。でもやっぱり俺はわからない。


だから大学在学中に 家を出て、別の道を選んだよ。

親も驚いたがその時は何も言わなかった」


初めて聞く青木の話に、体を動かさず、目を左右に動かすだけの健一

「いや、余計なことを言ってしまったな。気にしないでくれ。

 これはここだけの話だ。君の信仰心が強いようだから、ちょっと話したかっただけなのさ」


青木と別れて帰路に向かう健一

「青木さんにそんな過去があったのか・・・でも僕は信じる

 神様の事をそして天使となった千恵子の事も」健一は一人つぶやくのだった。

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