第35話 名古屋の関西弁上司
健一が、千恵子と一緒に登った富士山の思い出に浸りながら
時間が流れて行き、気づいたときには浜名湖が車窓から広がっていた。
「名古屋まであと少し。千恵子の分までがんばらなくては」とつぶやきながら
こっそりかばんの中に潜ませていたピンクの熊を見つめていた。
名古屋駅に到着し、駅には青木貿易の社員の人が迎えに来てくれていた。
その車に乗り込み15分くらいのところに青木貿易の本社があった。
8F建てビルの3Fの1フロアが、青木貿易のオフィス。
20人近くのスーツ姿や作業着姿の社員が働いていた。
そして青木のいる社長室だけ別フロアであった。
社長室に入ると、いつも以上に背が高く見える青木が待ち構えていた。
「おう来ましたね、お二人さん」「青木社長よろしくお願いします」即座に挨拶をする2人。
顔を上げると青木の横には、青木とは対照的に、背が低く小太りで頭髪がやや薄い、
青木と同年代と思われる男が立っていた。
青木がその男に、健一ら2人の視線を振り向けさせる。
「紹介しよう、こちらが今回君たちの研修を担当する営業部長の中堀幸治君だ。
彼は私の右腕のような存在でもあるんだ」
「中堀言います。よろしゅうに」中堀はゆっくりと低めの声で、関西訛りの挨拶をした。
「大畑です。よろしくお願いします」「大串です。よろしくお願いします」と
2人は慌てて挨拶を返す。
青木が話を続ける「東京事務所の責任者はあくまで私であるが、7月までの研修期間は、当社のことや業務内容。また、社会人としてのマナーなどの指導を中堀君にお願いするので、
彼の言うことを聞きながら質問なども彼にするように。
私は、健一、いや大畑君と大串君に東京事務所に常駐してもらって、
主に営業活動を頑張ってもらおうと思っている。期待しているよ」
この日から中堀部長の下で、健一と大串の2人の研修が始まった。
「ほな、ぼちぼち始めましょか。まずは貿易会社がどんな事をするか言う事やけど」咄嗟に健一は、
関西訛りの中堀に質問をした。「部長は名古屋ではなく関西の方ですか?」
中堀はじろりと健一のほうに目をやると
「そうやで、出身は、あんたが知ってるかどうかわからんけど、大阪と京都の中間にある高槻いうところや。実はな、名古屋弁は出ないけど、社長が名古屋出身やから本社が名古屋にあるんや」
健一が、緊張しながら恐る恐る質問する。「実は、僕いや私は、以前大阪に行った時、言い方が高圧的な人が多いもので、実は関西弁が苦手で・・・」
健一は、大叔父が経営している大阪の居酒屋に、中学生のころ一度だけ遊びに行った事があった。
東京生まれの東京育ちの健一にとって、関西弁への印象は、威圧的とも高圧的ともとれる抵抗感を感じてしまい、それ以来、関西に対してある種のトラウマを感じていたのだった。
それでも、バンコクで知り合ったオーケン土山も関西訛りでしゃべっていたので、多少慣れている筈であった。しかし、軽快な語り口調のオーケンとは対照的に、ゆっくりと粘着質で来る中堀の
しゃべり方に、再び抵抗感を感じてしまったのだった。
「そりゃ、河内や和泉あたりとか、地域によって多少の違いはあるんやと思います。
まあ、その点は多少馴れてもらうしかおまへんな」とゆっくりとしたペースでさらりと言う中堀。
健一は、中堀の関西弁には当初抵抗があったものの、今そんなことを言える立場でないこともわかっているのだったが、休憩時間になった時に、大串に「名古屋と思ったので安心していたのにまさか関西の人が上司とは・・・」と少し憂鬱につぶやくのだった。
貿易業務の基礎についての研修が初日に終わると、「ほなら今から、あんたらの寮へ行きますけど、
せっかくやから、ワイのおごりでちょっと一緒にご飯でも食べまへんか」と
中堀に誘われ、中堀行きつけの居酒屋に案内された。
「お疲れ様です」といいながら、生ビールをのどに押し込む健一と大串。
「いやあ、どないでした初日の研修は」「あ、初めてのことばかりで難しかったです。
この後帰って復習しようかと」と優等生のような返事をする健一を見て大きく笑う中堀。
「ハハハハ!、復習てそんな面倒なんやめたほうがええ、頭やのうて体で覚えなはれ。
まあそれにまだ1日目やそりゃわからんわ。心配せんでええで、明日からはもっと実務的な
ことやるで、お客さんところや港の倉庫にも行くからな。だから必死で覚えんでもええ、
自然に体が覚えよる」
と中堀に豪快に言われると、健一の緊張がずいぶんほぐれる。
「わかりました!。部長がんばります」とやはり緊張から解きほぐれたのか、
横にいた大串のテンションが早くも上がっている。
「そんなことよりも、大畑君、社長から聞いたで、タイ料理の店やってたんやなあ」
「はい、そうです。でもいろいろあって」言いにくそうにしている健一であったが、
「ああ、そうやな嫁はんのことやな。いやや若いうちからえらい苦労して大変やなあ。
でもその経験は、絶対にこれから役に立つって。もう社長はあんたのことえらい気に入っておったわ。
もちろんわいも期待してるんやで」「はい、部長ありがとうございます」とあわて
て頭を下げる健一。
「そんな挨拶もうええから、もういっぱい飲むで」と中堀はすぐにお代わりの生ビールを注文した。
こうして、当初心配していた中堀の関西弁にも、徐々になれて慣れて行き、
気がついたら2軒目まで回ってしまうのだった。
ずいぶん飲んで寮でそのまま布団に入ったが、中堀との楽しい席が功を奏したのか
2日目からあまり緊張することなく研修を受けることができたのだった。
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