第23話 同級生の励まし

井本に肩を叩かれた健一は、しばらくうつむいたままであったが、

気持ちを落ち着けてようやく顔を上に向けると井本に感謝した。

「ありがとう井本。なんとなく俺、少し元気が出てきたよ。

考えたけど、もうこのまま店を続ける気が起きないと思う。

一旦店を閉めて新しい人生を歩み直すよ。

忘れ形見の泰男を立派に育てなくては、いけないしな」

「よーし、そうだ! じゃあ大畑、

今から俺が奢るから気晴らしに近くの居酒屋で飲むか。

そのほうが絶対に気が晴れる。お前の新しい人生の門出を2人で祝おうぜ!」

その様に井本に伴われた健一は、店の鍵をかけて近所の居酒屋へ向かった。



生ビールでの乾杯の後、

井本は「悪いが最初だけやはり千恵子さんのことを話させてくれ、

お前を悲しませるのではない。むしろ彼女はお前と出会ったから

幸せなひと時があったのだと思ってな」

すでにビールを半分飲んでいる健一は先ほどの落ち込みとは違い、

声のトーンは高い。

「いや、井本いいよ。むしろその方が、

井本から千恵子の思い出を聞くのは辛くないといっちゃあ

うそかもしれないが、お酒も飲んでいる今だから聞ける気がする。

続けてくれ」


健一の一言にちょっと安心した井本は、千恵子の思い出を話し始めた。

「千恵子さんを初めて紹介してもらったときには驚いたな。

そのときにお前との相性はぴったりだなと。

だって、挨拶をよそに、いきなり俺に、

タイの仏教と日本の仏教の違いを質問してきたんだからな」

そういいながら思い出し笑いをする井本。

「ああ、千恵子はそういう子なんだ。

多分俺がタイ料理やタイの話ばかりするから

どうしても気になって仕方がなかったのだろう。許してやってくれないか」

「まあ、許すも何もだが、彼女は本当に研究者になってほしいくらい

熱心だと思ったよ!と同時に、そんな妻をもらったお前が

うらやましかったよ。

だから、多分決して夫婦生活は長くはなかったけど

彼女は本当に幸せだったと思う」

井本にそういわれながら、まんざらでもないような

表情をする健一であったが、

何かを思い出したかのようにかばんに手を入れて何かを取り出す。

「そうだ、せっかくだからなんだけど、このピンクの熊を見てほしいんだ」と

かつて千恵子にプレゼントし、千恵子亡き後、

常に持ち歩いているピンクの熊のぬいぐるみを井本に見せる。

「この熊のぬいぐるみがどうしたと言うんだ」

「井本、これは俺のキリスト教でもお前の仏教でも違うんだけど

どうもこの熊のぬいぐるみには千恵子の魂が宿っているのでは

と言う気がしてならない。どう思うか?」

井本は熊のぬいぐるみをしばらく見続けると

「それはわからない。科学的に証明されていないからなあ。

でも魂がどうのこうのというより、この熊のぬいぐるみには

千恵子さんとお前の思い出が詰まっているのではないのか?

それはそれでよいではないか。

千恵子さんとの楽しい思い出は忘れなくてもよい、

でもおまえ自身は常に前に進め。

そうすれば悲しみは忘れて人生をまた楽しめるから」と

健一に生ビールを注文する井本。「そうだな」健一もうなづきながら、

これ以降は学生時代の思い出を熱く語り合うのだった。



井本と別れた健一は、少し酔いが回っているせいか、

今までのような暗い表情が消えていた。

泰男を引き取りに福井の元を訪れた時にも、

福井が驚くほど元気になっていた。

「おばさん!今日は井本と久しぶりに飲んできまして、

今までご心配をおかけしました。

おかげさまで僕の考えがようやく纏まりましたので、

明日の朝、店のほうに来て頂けないでしょうか?」

「まあ、飲んできたのね。それだけ元気になったので良かったわ。

これで京子にも報告できるわ。健一君いいわよ。

明日の朝お店のほうに行くからね」福井の表情も明るかった。

家に戻り、泰男を寝かしつけた後、

健一は明日福井に店を辞めることを言う決意を胸に、床に入った。

しかし、久しぶりに酒を飲んだせいか、

目が冴えてしまっていただけでなく、店を閉じることを福井に

伝えて福井がどう思うのか、そのことが気になった。



「否定されたらどうしよう。でもこのまま続けれそうにもない。

閉店時の費用は立て替えてもらって働いて返そう。

スーパーの社長からもらった5万円をとりあえず渡せばよいかな」

と、無意識に明日のことを考えているうちに、

ふと店を始めるきっかけとなった、1年前の春のことを思い出すのだった。



例年の通り近くの公園に並んでいる桜の木の花が、

満開になりかけようとしていたある日の午後。

仕事が休日だった健一は、千恵子と泰男を連れて福井の経営している

喫茶店に遊びに出かけた。

健一が店に入ると、福井は嬉しそうに「ああ健一君!千恵子ちゃんとあら、

泰男ちゃんも一緒ね」

「福井のおばさん、今年も桜の花がきれいな季節になりましたね。

さっきちょっと桜を見てきました。

やっぱり桜のじゅうたんは綺麗でしたよ」健一は笑顔で挨拶をする。

「健一君そうね、ちょうど花見をしたい気分だね。

私ももう店閉めたいけどまだ早い早い。夜こっそり見ようかな」

と福井もご機嫌な雰囲気。

「あっそうそう、健一君お仕事のほうは順調なの?」

突然真顔になった福井の問いかけに、

健一の表情は瞬時に暗くなるのであった。

「あっごめんなさい。余計なことを言ったかしら」少し気まずそうな福井に

「いえ、そんなことはないんだけど・・・」

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