第19話 結婚へのきっかけ

「そうでしたか、この度は、大変でしたね」角刈りに

サングラスでスーツ姿という一見

やくざのようにも見える格好をしながらも、対照的に小さく優しい声で

和本は、憔悴しきっている健一に静かに語りかけると、

健一も小さくうなずく。


「大畑さん。あなたとの出会いほど鮮明に覚えているものは、

他にはありません。実は私も、あの時は会員数が増えていたものの、

少し将来の見通しが不安定でなりませんでした。

しかし、あなたが新しい分野“タイ料理”で参加してくれて、

そして千恵子さんとの二人三脚で準備され、

初回からから私の想像を超えたような完成度の高い研究会を

してくださり本当にありがとうございました。

その後3ヶ月くらいのペースでタイ食文化研究会を始められてから、

当時はまだ未知の部分が多い、

“タイ料理”に興味を持ってくれた方々が新たに会員さんとして

加わってくれて、今では当協会でも一番大きな研究会にまで成長しました。

他国の研究会のメンバーもあなたの熱意に刺激され、組織の強化を経て、

昨年ついに法人格を取り“社団法人アジア食文化協会

(Asia Food Culture Association:AFCA)”として、

本格的な活動を開始できるようになりました。

私の最初の目標を達成し、次は各国の料理コンテストを

大々的に開催する事を考えているのです。

恐らく準備などを入れると3、4年後の話でしょうか?」


いつもながら和本の熱い語りが続く。

「また、大畑さんがこうして独立開業された事自体、

非常に素晴らしいことで、私は勝手ながら当然繁盛されているものだと

思っておりました。

しかしこの前の葬儀に参列させていただいたときに初めて知ったのですが、

そんなに経営が大変だったとは・・・。

私たちが組織をあげて、もっと利用するように

応援すればよかったと今更ながら後悔しております。

そうすれば、千恵子さんもあんな事には・・・あっ失礼」

少し言葉を濁す和本に健一は、涙交じりの鼻に詰まった声で、

「和本さん、千恵子の事は、気になさらないでください。

彼女は天に召されたのです。思っていたよりもずっと早くに・・。

でも全て僕が悪かったんです。と言うより早かったんです。

この泰男が生まれる事になり、就職先も大手の飲食チェーンの会社を

和本さんに紹介してもらったというのに・・・。

配属されたのがホールだったから焦りが出てしまい、

希望していたキッチンの配属の可能性がないと思って、

3年間で辞めてしまった。食文化研究会を盛り上げながら

あそこで貯金が溜まるまでもっと頑張ればよかったんだ!

嗚呼、どうして我慢できずに焦って店なんか始めたんだろう!!

もうすべて辞めた方が!!!」

と言い放つと、急に悲しみが湧き出し、和本たちの存在を完全に忘れて

思わず大声で嗚咽するのだった。



実は、健一と千恵子の結婚はいわゆる“出来ちゃった婚”であった。

時は1986年の1月、千恵子から「すぐに会って欲しい」と連絡があった。

健一が千恵子のマンションに駆けつけると、

いつも明るい表情の千恵子の表情が心なしか暗いように感じた。

「千恵子どうしたんだ?急に呼んで表情もあまりよくないし」

心配そうな健一に、千恵子は暗く小さな声で「実はできたみたいなの」と

静かに答える。「へ?体にできものか何かがか??」

健一の的外れな答えに、千恵子は少し大きな声になり、

「何言っているのよ!子供ができたみたいなのよ!」「えっ!」

健一は、その瞬間からしばらく固まってしまった。

千恵子はそのまま話を続ける。

「これは健一あなたの子供よ!どうしよう。

やっぱり堕ろさないといけないのかしら?」健一は気を取り戻すと、

「いや、ちょっと待ってくれ、2・3日考えさせてくれないか?」と言うと、

とりあえずその場を後にした。


さすがに、その日の夜は食事ものどを通らず、

一晩眠れずに、考え込んでいた。

「どうしよう。クリスチャンである以上

本当は婚前交渉も、あまり良くないのに・・・・。

でもお互いが盛り上がってしまって・・・

しかし子供が、彼を殺すわけには行かないから元気に生んで

欲しいが、問題はこれで結婚したとして現在のアルバイトだけの

学生の身分で生活ができるのだろうか?。

神様、主イエス様教えてください、どうすればよいのでしょうか?」

と健一は、キリスト教の洗礼を受けてから今までにないほど真剣に祈った。

千恵子のマンションに出入りしているとはいえ、

実際には、親の家から通っているから不自由することなく

生活ができている健一。千恵子は現在フルタイムで働いているが

大学を中退して入った会社は妹美奈子の上場企業とは

間逆的な下請け中小企業の工場で機械の組み立て作業。

給与も知れているし、と言うより、

出産のために産休がもらえるかもわからい。

つまり千恵子が退職することも覚悟しなければならなかった。

いずれにしても不安が先走った。

何度力強く祈っても力みすぎてしまっているのか答えが貰えず、

ただ将来のことなども考えるとさらに悩みが尽きず、

静かに時間だけが過ぎていったが、

考えを巡らせているうちに、今タイ料理のことを考えているときが

最も充実していることに徐々に気づいてきた。

そう思いながら、ふと机の上に何気なく置いてあった聖書を手にした

「そうだ、確か聖書をあけて読めば、神様から何かヒントがもらえる筈だ」

これは千恵子から教えて貰ったことであった。

ふと聖書を開くと、そこには、処女でありながら聖霊の神様から

イエスを身ごもった母マリアを婚約者のヨセフが受け入れる場面・・・・。


「そういうことか・・・よし心は決まった。俺はヨセフになろう。

ただ子供は俺の実の子供だけど」

ようやく結論に達した健一は、約束の時間になると千恵子に会うことにした。

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