第41話 大阪の母

千恵子の生まれ故郷である和歌山の新宮を一人散策した健一は、

この日列車に乗り込みさらに紀伊半島を西に進む。

途中、串本という町で1泊した。ここは本州最南端の潮岬がある町であった。

夕食の後、ビジネスホテルに戻ると、ピンクの熊を眺めながら今日の新宮での出来事を思い出す健一。

「あのブランコの時、確かに千恵子がいた。絶対そうだ」と他に誰もいないところで一人

そう言い聞かせるのだった。


翌朝、健一は潮岬をたずねた。

駅からバスで15分ほど、台地状になっているところの上に岬があり、展望台と灯台が聳え立つ。

潮岬の展望台から見る真っ青な海とその先に流れているという黒潮があるという。

昨日までは千恵子の思い出を探りに着ていた旅も、

ここからは、新しい気持ちで大阪の母に会った後、東京事務所を立ち上げ

そこの主力部隊としての新たな一歩を踏み出すための、心の準備をするための旅に変わっていた。

「この海は俺の好きなタイをはじめ、千恵子と出会った台湾とか初めてデートした横浜。

そして、新婚旅行に行った英国。

それから研修した名古屋やもちろん東京ともつながっている。わかっていても海はすごく広いなあ。

俺も東京に戻れば、あわただしい日々がまた始まるだろうなあ。気持ちだけはこの雄大な太平洋の大海原ように余裕を持ちたいものだが」

健一はそういいながら、あのピンクの熊をかばんから取り出して太平洋に向けて両手で持ち上げる。「魂のことはわからないけれど、この熊の中に千恵子の魂があると考えよう

だから、こうやって一緒に旅をするし、戻ってからも常に一緒だ」



健一は、串本の町に戻って昼食を採った後、特急列車に乗り、

結果的に紀伊半島を一周する形で進んでいき夜には大阪に到着した。

大阪には健一の母・京子が住んでいて、健一からは大叔父にあたる人物が経営している

小さな居酒屋を手伝っていた。

居酒屋は大阪の「船場」というエリアに存在していたが、

京子が一人で住んでいるのはそこから少し離れた「京橋」というところ。

健一はその京橋を目指した。

「母さん。」「おう健一。新しい仕事を始めるんだってね」

京橋の駅で待ち合わせた京子に言われて健一は軽くうなづく。

「せっかくだから今晩は外でご飯を食べましょうか」と夜のネオン街を歩きながら

駅から歩いて10分くらいのところにあるレストランに入った。

「大体のことは(福井)真理から聞いたけど、とにかく元気になった用でよかったわ」

「うん、まだ千恵子のことは気にはなっているけど、ずいぶん次のことを見れるようになったよ。

あのレストランは、結局閉めることになってしまった。

でも福井のおばさんが変わりに引き取って「アジアンカフェ」にするといってくれたし、

僕もタイでお世話になった青木社長の下で働くことになり、2ヶ月間名古屋で研修を受けたよ。

その研修もようやく終わったんで、今晩母さんの家で泊まって明日東京に戻るんだ」

健一の説明にうれしそうにうなづく京子。




「あ、そうそう保険会社との交渉は順調だから、たぶんこちらの希望通りになりそうだわ。

真理の弁護士腕いいから」

千恵子の交通事故の補償について保険会社とのやり取りは、

そういうことが到底できる状況でなかった健一に代わり、

母京子がすべて取り仕切っていた。弁護士は親友で健一たちの面倒をいつも見ている

福井真里の喫茶店の顧問弁護士にお願いしていたので、信頼関係も厚く、

そのあたりは滞りなく行われていたのだった。

「ごめんなさい。本当は僕がしないといけないことを母さんに」「いいのよ。あのときの健一ではとても

心配で、見てられなかったわ。あなたの親だからこういうときに頑張らないと」

「ありがとう。とりあえずすべてが終わったら、そこから借りた100万円を」と健一は開業時に

京子から借りていたお金を引いてほしいと伝えると、「ああ、ありがとう。でもそれはまた健一に

預けるわ」と京子。驚く健一に京子は「それはできたら孫の泰男のために使ってあげてね。

だから泰男はあなたがしっかりと大人になるまで育てなければダメよ」

それを聞いた健一は元気にうなづくのだった。


こうして久しぶりの母子の食事を楽しみ、逆に子育てを終えた京子が身軽になって

大阪の居酒屋で頑張っているさまなども聞くことができた。

この日健一は、京子の家で一泊するのだった。


翌日、健一は予定より少し早く出発した。

「大阪の町は一時期トラウマがあったけど、中堀部長のおかげで

そういうのが無くなってよかった」といいながら、ゆっくりと大阪の観光名所を回る。

最初に京子の家から程近い場所にある。大阪城を見学した後、

道頓堀と通天閣というような有名どころを効率よく回っていく。

午後には鉄道やバスを乗り継ぎ、少し郊外にある万博公園まで足を運んだ。

健一はどうしてもここに来て見たかった。それは「太陽の塔」を見るためであった。

大阪で万博が開催された年(1970年)は健一がちょうど小学校に入ったころであったので、

テレビなどではこの模様をリアルに知っていたし、テレビなどで放映されているのを見て、

非常に盛り上がっていたが、健一一家は、結局この博覧会に見に行くことはなかった。

そのため太陽の塔を健一は初めて眺めるのだった。「これが太陽の塔というやつかあ。何度見ても飽きないなあ」

と言いながら、健一はここでも人気のないのを確認してから、

ピンクの熊を天高くそびえる太陽の塔に対して掲げる。

あたかもこの熊の中に千恵子の魂が宿っていて、それを健一が一緒に見せているかのように。

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