第21話 レジの女性とスーパーの社長

アジア食文化協会の和本たちの訪問の後、相変らず一人で泣いていた

大畑健一がふと、気分を変えるために向かったのは、

「銚子屋」という食品スーパー。

そう、千恵子が事故の当日まで働いていたところである。

健一の店からは徒歩で20分くらいのところにあり、

千恵子は自転車で通勤していた。

本当は、途中何軒かの大手資本のスーパーはあるのに、

千恵子はこちらの小さなスーパーで働くことにこだわった。

千恵子の話では、「生まれ故郷の匂いがするから」だといっていた。


実は千恵子が生まれたのは東京ではなく、紀伊半島にある海沿いの小さな町。

小学生のころの親の仕事の関係で東京に引っ越してきたのだという。

小さなときの思い出の匂いは、海の香り・・・確かにこの「銚子屋」は

元魚屋だったこともあり、鮮魚の品揃えや鮮度が他のスーパーを

圧倒していて、地域一番店として近隣の主婦や飲食業の人たちからは

大人気の店。開店時間の午前8時の前には近隣から多くの人が

待つほど繁盛していた。


鮮魚以外にも生鮮野菜や精肉や・卵類など質の良いものを揃えていたので、

健一も仕入れ時にはこのスーパーを非常に重宝していて、

千恵子が午前中出勤したときに

あらかじめ必要なものを予約しておいて、

夕方の業務終了時に、夕方の帰りに引き取って

店に届けてくれたりもしていた。

健一は、妻が働いていることもあって「銚子屋」に行くのは

めったになかったが、この時は気晴らしと同時に千恵子が働いていた職場を

しっかり目に付けて起きたいという気持ちが高かった。

「銚子屋」は商店街のちょうど真ん中にあたりに、

他店とは明らかに違うオーラのようなものさえ感じる存在感がある。

午後3時前のこの時間でも多くの人が買い物に来ていた。

健一は、銚子屋の売り場をくまなく回る。

その中でも一番気になったのは鮮魚売り場。

パック詰めされた切り身の魚も販売されているが、

それ以上に魚が丸のまま氷のじゅうたんの上に載っている姿は爽快。

頼めば内臓などの処理をしてくれるので、健一は千恵子を通じて

いつも使用する魚の処理をしてもらい、料理を作るのに非常に

助かったことを思い出した。


「気晴らしに今晩魚でも焼いてみよう」と思った健一は、

すでに処理済で販売されていた小さな鯛を

購入して、レジに持っていく、

レジの女性は背の低い学生のような若い女性であった。

そのレジうちを見ながら健一は千恵子ががんばっていたであろう

シーンを一人想像する。

お金を払い、レジの清算を済ませようとしたが、

健一はどうも釣り銭がおかしいのに気づいた。

健一の店にはレジがなく電卓で計算していたが、

いつしか暗記でも計算できるように

なっていたので、咄嗟につり銭の違いがわかってしまった。

「これは?」と健一が怪訝そうな表情をすると。

レジの女性は慌てて計算しなおし、事なきを得た。

ところがそれをちょうど、スーツ姿ながらも「銚子屋」のハッピを着た

貫禄ある店の幹部らしき男が見ていたらしく、

「山本さん、またやったね。ほんとしっかりしてくださいよ」と

女性を軽く注意した後、健一にも「大変失礼しました」と頭を下げる。

「あ、あなたは大畑さんのご主人さんでは?」突然男の声が変わる。

「ああ、社長!この前は、葬儀の時に挨拶もできずに申し訳ございません

でした」と健一が頭を下げたのは、この銚子屋の社長であった。

「いえいえ、急なことでしたから動転されたのでしょう。

お気持ちわかります。あっもしお時間あれば」と白髪頭の社長は

健一を事務所に案内する。

事務所はスーパーの2Fにあり、所狭しとダンボールが並んでいる奥にあり、

事務机とちょっとした応接のテーブルとソファーがおいてあった。

社長は、「どうぞ」と健一をソファーに座らせると。

「大畑さんのことはあまりにも突然で私たちも大変ショックでした」と

低めの声を発しながら頭を下げて健一の目の前に座る。

「千恵子は、レジの仕事は好きだといっていましたし、

この店の雰囲気が好きだといっていました」

静かに健一がそういいながら頭を下げる。

「いえいえ、本当に良い人でした。大畑さんは決して明るく振舞う人では

なかったのですが、とにかくレジうちが早くてかつ正確。

さっき不注意がありました、あの子とは大違いです」社長のの語りに

健一は語りの邪魔をしないように静かにうなづく。

「いまさらながらなのですが・・本当は、大畑さん今年の7月からパート

ではなく正社員をお願いしようと思っていたのです。

彼女の能力が素晴らしく、当店の強い戦力にすら感じてまして、

実は、すでに若い子の指導とかもお願いしていました。」

健一は社長からそういう話を聞くと気持ちが重くなり、軽く唸る

「もっと早くわかっていれば、スナックなどさせなかったのに・・・」

「ということでして、明日にでもご自宅にお伺いしてと思いましたが、

今日、当店にご主人様が見えられたので、ほんのわずかですが、

彼女に特別にボーナスをご主人様にお渡ししようと思っているのです。

ちょっと待ってください」

そういうと社長は、いったん立ち上がり事務所のデスクから

茶封筒を取り出して健一に渡す。


「これは・・・いいんですか社長?」」「はい、私から大畑さんへの

せめてものお礼です。ご主人様、手を煩わせますが、是非ともこれを」

健一は、申し訳なさそうな表情をしながら封筒をポケットに入れる。

「社長、妻がそこまで貢献していたと聞いてうれしくなりました。

今日お店で購入したこの鯛で一人祝います。」といって一礼すると

事務所を後にする健一。後でこっそり見ると茶封筒の中には

現金5万円が入っていたのだった。

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