第8話 衝撃のスープ

スタッフに案内され、通された席は、中庭のようなところに

テラス席がある一角で、目の前には大きなステージがあった。

そこではちょうど、数名の奏者がタイの民族楽器を使った

演奏の最中であった。

ここは、日本人駐在員のエリアらしく、

メニューも日本語で書かれたものがあり、

客層も日本人駐在員とその家族の姿が目立っていた。

そんな中、一人客の大畑健一は、静かにメニューを覗いてみる。

タイのカレー、まだ熟していない青パパイヤのサラダ、


あるいはタイの焼きそばなど・・・・・。

いろいろ魅力的なものが揃っていたが、健一は三角の形をした枕のような

タイの肘掛に寄りかかりながらも、軽く見ただけですぐに

店員にある料理を指差して注文した。

そのタイ料理とは、“トムヤンクン”

これは、世界三大スープのひとつであることは

事前に調べていたのだが、辛い料理が苦手な健一は、

最初は食べるつもりはなかった。

しかし、今回、”居酒屋 源次“の店主の後押しがあったので、

タイ料理の中でもっとも気になっていたこのトムヤンクンを

食べてみることにした。

注文してから、しばらくはステージでゆっくりと流れる

タイの民族音楽の演奏をぼんやりと聞きながら待っていた。

やがて、大きな土鍋に入っている“トムヤンクン”

がテーブルの上に乗せられた。

トムヤンクンの赤いスープを一目見たときに、

「どれだけ辛いのだろう。これは覚悟せねば」と、

思わず気合を入れる健一であった。

だが、実際に店員に小さな器にスープを注いでもらったときに、

鼻に伝わってきたトムヤムスープの香辛料とハーブの香りに、

健一は思わず引き寄せられそうになった。

「この香りは、バンコクの街中にあふれているあの香りと同じようだ。

源次の店の人のいうように辛いだけじゃないのかも」健一が、

そういいながら早速スープを口に運んだ瞬間!瞬間強烈な辛さを感じたが、

同時にそれを上回るかのように香草のさわやかな香りとスープ本来の旨さを

味わうことができた。


「こ、これは辛い!けどおいしい!!」

すっかりトムヤムスープのとりこになった健一は、

次から次へとスープを口に運んでいき、気がついたときには中に入っていた

大海老も含めて見事なまでの完食。

気が付けば顔中は汗だらけになっていた。

健一はトムヤンクンを堪能後、

帰り際に、“居酒屋 源次”に報告に向かった。

「先ほどタイ料理を食べてきました」「ほう、どうだったかい」嬉しそうな

表情の健一を見て店主は、思わずニヤリと微笑む。

「トムヤンクンを食べてきました確かに辛いけど、本当においしかったです!

思わず全部食べてきました」

健一の感想に、店主も嬉しそうに「そりゃ良かった。タイ料理はもっといろ

いろなものがあるからよ。でも明日帰国だったね」

「そうなんですよ。もっと早くタイ料理のことを知っていればと、

今になって少し後悔しています」健一は少し寂しそうにつぶやくと、

店主は、元気一杯の声で、「青年、君はまだ若いからまたこっちに

遊びにおいでよ。

日本とタイは遠いようだけど、通いだすと意外に近いんだぜ」

店主は話を続ける。「おれも青年よりは年をとっていたかな~。

縁あってタイにきたらこの魅力にすっかりはまっちまってよ!

気がつけばこっちでこの店を出してからもう10年になるかなあ。

一応日本料理屋やっているけど、日本と違って、こっちは一年中暑いだろ、

暑さには辛いけどタイ料理が合うんだよ。

香草類もたくさん食べてるから、俺はもうすぐ50になるんだけど、

気力体力は40歳かな」

すると健一は、突然大きな声を張り上げて

「僕は必ず戻ってきます!そのときはまたタイ料理を教えてください!!

ちなみに僕の名前は大畑健一といいます」

「そうかい、健一君かあ。俺は城山源次郎。常連のみんなは、『源さん』と

呼んでくれているんだ。戻ってくるのを待っているぜ」

「はい、必ず。源さんありがとうございました」

健一は、今までのモヤモヤとした気分がきれいに晴れた気持ちで宿に戻った。

そして健一は、ある決意を胸に、日本への帰国の前に、

あるところに立ち寄った。

それは、バンコクの中心部を流れるチャオプラヤー川のほとり。

バンコク到着当日に初めてこの地に来た健一は、様々な船の往来や

対岸の建物の景色を何気なく見る事が大好きになり、

この日も、見納めに、訪れるのだった。

「これで、気持ちは決まった。きっと神様が俺に「タイ」という国・

「タイ料理」を見せてくれたんだ。

よし、だからすぐに就職せず、もう少し大学に留まって研究を続けよう。

タイという国は中国から多くの人が流れてきた。

だから歴史的にはつながりがあるからなあ」

そして、もう一度家庭教師のバイトで稼いでタイに戻ってくるぞ!

その時には源さんにもっとタイ料理を教えてもらおう!」

健一が、川に向かって心の中で叫んだ。

本当は声を出したかったが、それができなかったのは、健一のいる所から

10mほど横で、空手衣に身を包んだ、日本人と思われるの親子が、

日本語の大きな掛け声を出しながら訓練をしていたからであった。


ちなみに、子供のほうは、まだ小学生にも入っていないくらい、

小さいように感じるのであった。

この時、健一は必ずもう一度タイに戻ろうと心に決めたのだった。

しかし、あれから8年の間に、5回もタイに行く事になり、

その都度どんどんタイの魅力に嵌ったかと思うと、

気が付いた時には東京都内でタイ料理店を出すまでの

状態になっていたのだった。

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