第51話 新たなる旅立ち

不思議な「体験」で見事に千恵子と再会した健一は、

かつてのような、力が漲るような気合が戻ってきたのか

次の日から、青木からの条件を満たすために早速行動を積極的に開始するのだった。

タイ食文化研究会(TFCRA)の野崎の協力で、各大学で就職が決まっていない者を

何人か当たってもらい、10日間で正社員希望3名(男性2名と女性1名)と

アルバイト女性1名を、健一が自ら面接して採用することが出来た。

即座に青木に報告し、了承を得た後、引継ぎと研修は大串らの既存のメンバー総出で丁寧に行った。


こうして健一が退職することになっている5月末までにはどうにか間に合った。

健一の青木貿易での最終日のお昼。山本明子が「差し入れを持ってきました。ご馳走させてください」と

健一ににお昼ご飯に

誘う。「いいなあ。いつもあの2人。兄と妹の関係とか言うけど本当はどうだか・・・」

と一人うらやましそうなのは大串洋次であった。


事務所の近くの公園のベンチに腰掛けて山本が作った弁当のおにぎりをいただく。

「短い間でしたがお世話になりました」「いいよ。もう山本ちゃんは銚子屋の時とかスナックの

時とは違う、完全なビジネスウーマンになったね。千恵子もたぶん天国で喜んでいるよ」

山本は照れながら、「でも、職場は変わりますが私はトンブリーの担当なので先輩には

いつも会えるのはうれしいですね」健一はうれしそうに「うん、本当に山本ちゃんは妹のようだ。

そう、別に千恵子のように会えなくなるのとは違う。これからは立場が変わるけどよろしくな」

「はい、でもこれからは『先輩』というはちょっと変な気がする。

私のことを妹と思ってくれるのなら、私もこれからは『大畑のお兄さん』と呼ばせてくださいね」

山本の笑顔に健一も笑顔でうなづくのだった。



この日の業務を終えると、新入社員の歓迎会と健一の送別会を兼ねて行われた。

「東京事務所が出来てまだ、1年も経っていないのに、私は退職することになりました。

大串をはじめ皆さんにご迷惑をおかけしますが、どうぞ私の想いを叶えさせてください」

健一が立ち上がって、別れの挨拶をする。

「大畑先輩。今度こそ頑張ってください。東京事務所は、私が先輩に代わって取り仕切りたいと思います。

ぜひ一流のシェフとなられて、当社の食材をたくさん扱ってください」

大串が代表して、健一に送別の言葉を述べた。

「乾杯」の後は、普通の飲み会となり、ここで健一は夢の事やこれからの熱い想いを

一人でしばらく語り続けたが、途中からは大串が大学時代に披露していたと言う「腹芸」なるものまで

はじまり宴は深夜まで盛り上がるのだった。



ちょうどその頃、青木はタイ・バンコクの “居酒屋 源次”で一人飲んでいた。

「大畑健一君・・・。非常に惜しい人材だが、こればかりはやむをえないなあ」

「青木さん、健一君はやっぱりタイ料理を作りたかったんだよ。奥さん急に無くしちゃったから、

一時迷いがあったんだろうよ」城山源次郎が、青木の愚痴を静かに聞く。

「源さん、確かにそうだな。彼は俺の下で働くような男では無い。

将来一流のシェフとして立派な人生を送るだろうなあ。

まあ、これで縁が切れたわけでも無いしね」

そういいながら、グラスに入ったウイスキーのロックを一気に飲みほす青木は、

誰にも聞こえないように静かにつぶやいた。

「神か・・・そうか、親父の言うとおり、己の力では限界があるのかもしれないな。」


「あ、そう源さん、でも健一君が一緒に連れてきた大串君。彼も優秀で、

将来が楽しみなんだ。こうなったら健一君の代わりに彼を徹底的に育て上げ

東京を完全に任せられるようにしよう」


「そうだよ、青木さん。ただ立ち去るだけでなく。代わりの人を用意してくれたんだよ。

女性の子もやり手と聞くし、新入社員も、優秀な人が入ってきたというじゃないか。

やっぱり、いいなあ健一君は」

源次郎も、ビール片手に健一への想いを語るのだった。



健一の去った翌日。後を継いだ大串洋次は東京事務所主任に昇進。

本来なら4月から健一がなる予定だったらしいと、

ずいぶん後に青木から直接聞かされるのだった。


その大串主任誕生の裏で健一は、1泊2日の予定で台北向かった。

向かったのは、そう千恵子と出会った台北の茶芸舘。

店はその時と何ら変わることなく存在していた。

あの時と同じ席が空いていたのでそこに座り、

当時わけもわからず注文したのと同じお茶を頼んだ。

突然現れた千恵子に教えてもらった方法を自分で淡々と行い、お茶をすする。

健一は、帰国した翌日からの本当の意味での再出発に心をときめかせながら、

「天使の千恵子、この前はありがとう。一度挫折したけど明日から

トンブリーレストランでもう一回頑張る。今度こそ、一流のシェフになるからな。

見守っておいてくれよ」と、目の前に置いたピンクの熊を眺めながら一人で呟き、

ゆっくりとした時を静かにたたずんでいた。


(完)

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チャオプラヤーの夢 ~魂の絆~ 麦食くま @kuma_kuma

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