第43話 一人で買い付け・開業を回想して

思わぬところから入ってきた資金を見て健一はあることを思いついた。

それはもう一度タイに行って、現地で備品類を買い付けることであった。

そこで健一は千恵子に一緒にタイでの買い付けのことを言うと千恵子は、首を横に振り、

「健一、あなた一人で行ってらっしゃいね。私は泰男のことが気になるから」千恵子は泰男の面倒を見るという“理由”で、タイ行きには同行することを断った。

しかし、本当の理由は別のところにあった。「これから収入が不安定になるというのに大丈夫なのかしら?泰男を保育所にでも預けて私も働きに出たほうが安心だわ」千恵子は、将来への不安感から、パートとしてスーパー「銚子屋」に働きに出ることを考えていた。このことを健一が知ったのは、タイからの買い付けから戻ってからのことであった。


健一がタイに出かけている間、千恵子は泰男をどこかの保育所に預けようと探してみたものの、

近所の保育所はどこも一杯で、やむなく事情を福井に説明した。

福井は笑顔で、「いいわよ、私が預かってあげるわよ。だって健一君に店をやるように

勧めたのは私だから、多少の責任はあるわ」と快く了解してもらい、

千恵子が「銚子屋」にパートに出ている昼間の間、泰男を預かってもらうことになった。



健一は、会社を無事に退職した翌日に、一人でタイ・バンコクへ向け出発した。

通算5回目の渡航であった。今回の予定は10日間。到着すると、いつもの宿に荷物を置き、

すぐに源次郎の店へ。

翌日は青木の会社に向かい、いよいよ独立して店を始めることを報告した。

青木は、感心しきった様子で「そうですか、健一君は、順調に人生を歩んでいますね。

では当社の輸入するタイ食材はどんどん使ってくださいね。また大きな荷物はコンテナで一緒に

送りますので、遠慮なく言ってください」と最近生やしはじめた顎鬚をさすりながら

青木は健一にお祝いの言葉を述べるのだった。

この日から健一は、バンコク中を歩き回り、食器をはじめ、いろいろな物を購入しては宿に溜め込んでいった。

皿などの食器類をはじめ、厨房道具、店に飾る装飾品などを探し回った。

中でも気になった物が一つ。それは“屋台”であった。バンコク市内には、屋台街もいくつかあって、安くて旨い屋台料理は健一も大好きであった。「この屋台を店の前に出すと臨場感が出そうだ」日本とタイとの物価の差があるので、予算内で屋台も一台購入することが出来た。

こうしてあっという間の10日間が過ぎ、屋台は青木にお願いし、

残りの荷物は航空便と健一の手持ちで持って帰ることにした。

日本に帰る前に源次郎に別れの挨拶に行った。


源次郎は少し寂しそうに「健一君、日本でタイ料理を広めるように頑張ってくれ。君ならできるよ。

俺もこっちで応援するからよ。店が落ち着いてから遊びにおいでね」年々涙もろくなっていた源次郎は

今にも泣き出しそうな表情で別れを惜しんだ。

健一はお礼を言うと、帰る前に、バンコクに来たら一度は必ず立ち寄るチャイナタウンを散歩し、

チャオプラヤー川の辺にでた。川をぼんやり眺めてこれからのお店のことを考えていたが、

どうも川の表情がいつもより荒々しく感じてならなかった。

「これから天候が悪くなるな」健一はあまりそのことを気にせず、たくさんの荷物を抱えて日本に帰っていった。



「どういうことだよ!一緒に店を手伝ってくれないのか?」健一がタイに行っている間、千恵子がスーパー「銚子屋」でパートを始めた事を知ったとき、何も聞かされていなかったこともあって、なんともいえない怒りがこみ上げ、思わず怒鳴った。

「何言っているのよ、自営業ってどういうのかわかる?サラリーマンと違って生活が不安定なのよ!

これから泰男を立派に育てないといけないのに。あなたの夢は邪魔しないけど、私には生活を守る義務が

あるのよ!」今まで健一が見たこともないような怒りのような大声で反論する千恵子に

健一は次の言葉を出すことが出来なかった。



少し沈黙の時間が流れ、ようやく重い口を開いた「うーん、それはそうなのかも。ごめん。急なことだったので思わず怒鳴ってしまって」千恵子も冷静さを取り戻し、「いやわかってくれればいいのよ。タイ料理はまだマイナーな存在だから。でもあきらめずに頑張ってね」「ありがとう。で、泰男は福井のおばさんが預かってくれるのか?」健一の問いに笑顔になる千恵子「うん、おばさんって本当にいい人ね」

今年3歳になる泰男は、2人の横で何も知らずに無邪気に遊んでいるのだった。


結局健一は一人で店を始めることにした。

内装は、大掛かりな工事をするつもりはなかったものの、

いろいろな準備をすると開業まで1ヶ月かかった。

その間、無収入と言うことを考えると、千恵子の考えは正しいように感じるのだった。

健一は、一人黙々作業を続け、開業日直前に屋台などの荷物も間に合い、6月に始めてのお店を開業した。店名は“曼谷食堂(バンコク食堂)”とした。

開業日には、AFCA、TFCRA、青木貿易からそれぞれ花が届けられ、

初日から野崎と大串が「大畑先輩おめでとうございます」と、お客さんとして来店してくれた。

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