第二十四話 大いなる英知 一
黒い眼晶装をかけた容姿の女性がいう。
「復旧の作業は進んでいるの?」
場所は魔界の人間界調査斥候部隊、その指令室。
隊長キンセイをはじめとした鬼の部隊と情報を伝達し合う、司令塔である。
「正確な情報はわかりません」
八本の手足で情報操作器を操作している彼は、土蜘蛛族の情報交換手である。
彼は続ける。
「今ある情報は」
「法族からの連絡です。境界性通路の不安定化は一時的なものである、時期に収まると」
「そう―――あっちがそう言ってくるなら信じるしかないわね」
今回の人間界遠征で
その管理の全権を
そもそも界門自体が、禁忌のようなものである、ずっと、つまり、名前を出すことすら控えられていた。
「千年もの間、扱えなかったものを扱う―――か」
「鬼族の部隊は勇気がありますね」
それともそれしか扱わせてもらえないのか、または、扱う以外ないのか。
そう考えたくなる間があった。
……任務であるからにはやらなければならない。
「誰かがやらなければならないことよ―――私たちの魔界のために」
女性は報告書を眺める。
大型界門の接続は危険である、荷物輸送の第三級以下の界門ならば問題はない、いずれ復旧する。
そう書かれてある。
「ルバーヴさん」
土蜘蛛族の情報交換手が、彼女の名を呼ぶ。
「その―――法族でしたっけ、法族という方々は、界門をうまく扱えるのですか?」
「そもそも、管理はずっとやっていたらしいのよ」
「そうなのですか?」
「いえ―――そうねえ」
指を口元に当て、言葉を選ぶルバーヴ。
「管理というよりも、そもそも千年前に、界門を使うことを禁じたのが、法族―――という話よ」
「禁じたのが法族?」
「もちろん何十代も前のご先祖サマよ。一部の一族で禁止を続けてきた。法族は大規模な組織だけれど、その中でも、人間界についての法を管理する者。法を取り締まるのが彼ら」
「―――鬼たちの部隊は、帰ってこれるのでしょうか」
この調子が長引けば、帰路に影響が出る。
不安はあった。
「やるしかないのよ、これも誰かがやらなければならないことね」
++++++++++++++++++++++++++++++
キンセイをはじめとする隊の一行は町へ到着した。
そこも、外観を、外面を見る分には、ぼろぼろの廃墟であった。
島での調査任務よりも、はるかに巨大であったが。
亀裂が入っているが、塔のように高い建物。
空に向かって無数に伸びている。
傾斜している物もあった。
「中に入って大丈夫か」
「では森の中に入ったほうが?」
「―――いや、それはもういいだろう」
「黒い絡繰がまた来るぞ」
森であの黒い絡繰りに襲われるのがよいか、あるいは大都市で人間に襲われる可能性か。
二者択一である。
「丸一日、歩いて離れた………前に進もう」
「そうだな………行こう」
建物の質が、島にあったものとは違う。
一つ一つの大きさが、規模が違った。
見上げれば建物の映り方が違う。
様々な塔が伸びているので、空が狭い。
塔。
白い塔の、大群。
それは極めて正確に切り出された石材―――と言った印象であった。
「火事で燃えそうにはねぇな」
すべてが新しく見るものであり、やっとバスタムが言ったのが、それだった。
「ああ。まさしく異世界だ。技術がどうとか―――いうレベルではない………これは末恐ろしいな」
末恐ろしい。
隊の全員がそう感じた。
全容が見渡せないほどに、高層の建物が密集している。
「だが―――」
隊列は進んでいく。
まごうことなき大都市である、ここは。
大都市であった―――のだろう。
魔界の大規模な都、失楽園も
もっとも、華やかな
「自然石の、石造り」
と、リョクチュウは呟いたが部隊の面々は聞いていて違和感を抱いた。
これでもかというほどストレートに切り裂かれた岩の、天に伸びる塔のように見えるが、何をどうしたらこれを並べられるのか見当もつかない。
だがしかし、ここからも。
ここからも、人間はいなくなった。
文明の抜け殻を置き去りにして。
しかし抜け殻であっても、元が整っていたのだろう、整い過ぎていたのだろう、美しくもある。
圧倒的な静けさの中、曇天から、不意に光線が伸びて建造物を輝かせる。
キラキラと、荘厳な極楽のようにも見えた。
「ここも………」
「ここも駄目か」
リョクチュウが言ったのを皮切りに、皆、呟く。
「引っ越したのか、鬼恋しくなって」
「人恋しくなって―――ね、もっと人間の多いところに移住したんでしょう?」
島にいたときと同じ台詞である―――流石にもう皮肉だとわかる。
状況が変わっている。
こんな大都市にも、人はいない―――魔界の住人である俺たちから見ても、これは異様だ。すべて探索し終えるまでに、見つかることを願う。
人がいない。人っ子一人いない―――。
人と、そして生き物も。
「まるで巨大な―――白い骨が並んでいるみたい」
「なんだ、ケイカン」
「いえ、なんでも………つい」
「お前は一番まともに見えて、しかし妙なことを言う癖があるな、お前は」
ケイカンは、なんとなく視線を下げる。
道にもゴミが多い、およそ手入れが定期的になされているとは感じない―――。
皆、一様に押し黙って歩くが、キンセイ隊長だけは、そういえば―――と思い出した。
建造物ではないが、白い骨のこと。
『これは―――鳥の骨よ』『海鳥の―――ということか』
魔界との交信での、彼女とのやり取り。
関係はないだろうが、連想してしまった。
「住んでいるわけがないですよ、アタシだったら、住みません―――」
「島とは違う、大規模であることは間違いない」
「隊長、もう報告書にはそれを書きましょう、それでいいじゃないですかぁ」
「落ち着けシトリン」
周囲に注意しながら進むのも、ばかばかしくなってきた頃だ。
「手分けして探そう」
隊長は言った。
++++++++++++++++++++++++++++++
俺はウレックと二人で、新しく入ってきた白い鬼と二人で、人間界の文明の跡を進んでいく。
二人で。
静かな灰色の世界を。
死体のように灰色の建物を。
進んでいく。
迷宮のような建物の、階段を上がっていく。
階段は細い道だったので俺が前、奴が後ろとなり、一段一段と埃が舞い、割れた水晶質の壁から指す光で白くなる。
「―――なあウレックよ、お前はどう思うんだ、人間は、何がしたいのだと思う」
新入りというべき鬼だったが、俺は内心、助けを乞うような気持だった。
状況に言いようのない不快感を覚え―――それでも進まなければならず、すぐに魔界へ帰れるような状況でもない。
「………どう思う、というのは?」
初対面のころから無機質な声のウレックだったが、俺は構わず訊ねる。
まず人間は攻めてきたこと―――リンカイが被害にあっているから戦闘の意志はあるってことだ。
しかしあの島や、大都市に人間はいなくて、当初の予定になかった絡繰としか戦闘をすることが出来ていない。
文明の廃墟には訪れているが、肝心の人間―――奴らの足どりが、まるでつかめないという、この状況の異様さ。
シトリンは女々しく恐怖を感じていたが、俺は俺で、人間界にいるのはいい気持ちがしない。
「―――まったく本当に、人間界で調査してんのかって感じだよな………!」
「島は探索していない」
「………ああ、ウレックは、お前はそうだろう確かに」
「状況が異質―――だが、これも調査だ」
放置された場所でも、それでもこの広さならば報告物には事欠かないだろう、ということだった。
確かに報告できるものは、この大都市には山ほど捨てられているだろうが………。
なんだっていうんだ?
人間はいったい、何がしたい―――魔界の千倍は不気味だぞ、人間界。
何もしたくないのか?
俺とウレックは階段をあがり、とある一室にたどり着く。
広い部屋だった。
物が散乱していたが、台の上に、目を引くものがあった。
手に取って持ち上げる。
埃を払った。
それは薄っぺらな、ちいさな―――俺の掌よりも少し大きい、絵であった。
「――――それは?」
ウレックが近づいてくる。
俺の手にした精巧な造りの絵は、水晶質がひび割れているものの、確かに『人物』を写していた。
小さな子供と、その父親か、母親かだった。
「人間の―――」
ここで俺たちは初めて、人間を見た。
人間という者の風貌を、千年ぶりに。
実物ではないが。
絡繰とではなく、人間との出会いだった。
ごくりと、生唾を飲み込む。
のどぼとけが鳴った。
「
「これは、隊長に報告できる内容であるな。人間の姿かたちをついに確認できる―――」
「―――マスクをつけずに、どうして歩いてるの?」
その言葉の意味はわからなかった。
音声の意味はわからなかった。
ただ―――呼びかけられた。
ただただ―――透き通った声だった。
部屋の入り口から聞こえた。
振り返る。
そこには白い衣服を身に着けた、小さな鬼がいた―――ように見えた。
いや、鬼ではない。
なにか、わからなかった。
白い布で覆われている子供。
顔どころか頭まで、白い布で覆っていて目のところに水晶質の窓が開いている。
目が見えたが、遠いのではっきりとしなかった。
俺たちは、一瞬何が起きたのかわからなかった。
ん?
子供?
ここは魔界のどこかなのか、と思った。
故郷で子供たちに呼びかけられた時のような、何でもなさがあった。
体の向きから察するに、ウレックに向けて話しかけたようだった。
小さな、白い衣服の子供は、俺たちが振り返ると、少し顔を上げる。
表情はわからない。
少しの間をおいて、踵を返し、素早く走って出ていった。
「………!」
俺とウレックは顔を見合わせて、走り出す。
彼を追いかける。
ずうん―――と、地響きが、鳴り響いた。
地響き、そう地響き。
建物の外からだ―――揺れて、足を預けていた階段から落ちそうになる。
「なんだっ!」
疑問に返答するはずもなく、建物が揺れる。
もう一度。
―――ずうん。
パラパラと、天井から細かい塵が落ちた。
「いくぞ」
ウレックが階段を駆け下りる―――子供を見失わないように。
「―――角がないように、見えた」
言って、駆け下り続ける。
―――ああ、俺もそう見えたよ。
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