第三話 鬼ヶ島は 三
補足するならば、その言語は初めて聞くものであり、魔界から訪れたばかりの鬼に理解できるはずもなかった。
『警告する!ここは我が国の領土である!すみやかに退去せよ!無断での上陸、立ち入りは―――』
鳥ではない、魔鳥の類でもないということはもはや完全に理解できた。
だが、『それ』がなんであるのかは理解できなかった。
結局のところ、何がいるのかわからないという予想は、当たっていた。
けたたましい鳴き声を―――――いや、けたたましい言語を上げる、『それ』。
言語の音量に
言葉の意味は分からない。
鬼族の言語ではない―――が。
意図せずして、その場から避難したくなってしまう。
奴の目が、赤色と黄色に、交互に点滅している。
これもいい気持ちがしない。
リンカイは目蓋をゆがめ、
「コハク………!」
リンカイは俺の名前を、小さく、落ち着いて―――呼ぶ。
どこかニヤけた面構えはまだ健在だが、奴もやる気らしい。
「ああ………!」
ヤバいことになったのはわかっているよ。
理解している。
まさか人間界の上陸二日目にして、重大な、何かに巻き込まれてしまったのか。
だが―――しかし。
ここからどう動けば…………?
重要な任務を任せられた軍鬼である以上、動揺を見せずに状況を検分する必要がある。
落ち着け。
この白い生き物がけたたましく警告する口調で話しているが、それは鳴き声ではなく言語。
つまり正体は動物ではなく、文化を持つもの。
人間に近い文化―――で、あるとみて間違いないはずだ―――
喋る言語の意味はわからないが。
途端に体調が悪くなってきた気がする。
なんだ、この感じは―――。
違和感は。
「コハクッ」
はたかれるように呼びかけられて、奴を見る。
視線は俺を見据え、胸元に取り付けられた機器に触れている。
それは最新式の魔道兵器―――などということはない。
むしろ旧式。
隊列で、部隊で、最低限必要な基本装備だった。
そうだ、最初に隊長に報告。
俺は通信用魔導具に指をかけて、隊員共通回路での通信を始める。
「こちらはコハクです、異常を検知しました」
「―――キンセイだ。なんだ、何があった」
「た、隊長―――…………ぅ、う」
「なんだ、何かがあった」
緊張で舌がもつれる―――というわけではなかった。
そこまで
『警告する!ここは我が国の領土である!すみやかに退去せよ!無断での上陸、立ち入りは―――』
また例の言語だ、意味は分からないが、人間界の言語。
俺たちの動揺を狙っているのだろうか。
イヤだ。
何が嫌かって、口調が嫌だ。
先程の言語と、一字一句同じだった。―――音量、音程までが完全に一致している、そんな印象を受けた。
それがひどく―――気持ち悪い。
気持ち悪いのだ。
しかも、なんだこの音質は。
通信を聞いているかのような―――それに、近いが。
畜生、クソッタレが。
動揺している。
し、しかし―――。
これは………どう説明すれば。
怖い、という感覚を持っている鬼は、この場にいないと考えている。
人間界。
こんな、故郷から遠く離れた任務を受けない。
感情を押し殺すことはできる。
鬼族の、未来のためならば―――。
だが―――。
今。
隊長になんと、説明すればいいのかわからない。
言葉が、言葉で―――どういえばいい。
それは白い、鳥のような何か、と言えばいいのか。
人間界で行う任務を控えた折に、急遽人間学についての知識は教え込まれたものだが―――水辺に降りて休む『白鳥』という生物に関しては、図説入りで見たことがある。
だが、人間界に訪れて初めて出会った動物が、どうやらこの鳴き声がすさまじい鳥………。
いや………?
動物ではない―――知識にないが。
動く、ものだ―――しかし。
『………に』
俺ではない。
聞こえた、自分以外の鬼の声。
ハッとして、リンカイの方を振り向く。
『―――人間と遭遇しました、隊長』
リンカイは、素早くそう言った。
俺は驚いて、口を開けかけたが、通信は、会話は止まらない。
『―――人間と遭遇だな、わかった。近くにいる隊員を向かわせる』
キンセイ隊長はそう返事をした。
『はい』
『―――いや待て、
通信が終了する。
『ここは我が国の領土である、直ちに退去せよ―――』
++++++++++++++++++++++++++++++
「隊長、今の通信は何だったのですか―――?」
連絡を聞きそびれたケイカンが言う。
彼女は軍鬼服に身を包んでいるが紅い肌があでやかな女鬼だ。
今日は洞窟の内部が仕事場で、闇の中、奥まで調査に行って戻ってきた、というところだった。
外のことなど知る由もない。
「リンカイが現地の人間と遭遇したらしい」
一同は驚きに包まれる。
「おそらくコハクもだ」
「―――人間だって?隊長、早すぎます!」
リョクチュウが布団からはみ出すように、不格好に出てきた。
芋虫のような動作だ。
「早い段階から見つかると風土の調査に支障をきたすため、調査の二日目である今は集落、村に近付かないと―――」
言いながら眼晶装を、片手でせわしなく探す―――寝ていた時は外すらしい。
「それでも遭遇したということだろう」
「東の砂浜と、北の険しい岩盤地帯だったな、今日は―――」
キンセイは顎に指を当て、考え込む。
「上陸して二日目に俺たちの気配を嗅ぎ付けるたぁ、ずいぶんな働きもんだねぇ、現代の人間は」
軽口を口にする、バスタム。
「―――バスタム!」
呼ばれた紫色の顔色の鬼は―――もともとそんな色をしているが、興奮でさらに肌の色が濃く見える。
「はい!」
「お前はケイカンと一緒に砂浜へ迎え。正確な場所は追って通信する、通信具を手放すなよ」
ケイカンとバスタムは、装備を手に、素早く外に向かって走っていく。
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「おい、人間ってなんだよ、ふざけんな」
俺はリンカイに尋ねていた。
どういうつもりで隊長にあんな連絡をしたのか。
「いいから!」
「いいからじゃねえ、何を嘘ついてんだ」
隊長への報告だぞ。
あの青い肌の、キンセイ隊長。
若くして抜擢された、俺たちとそう変わらないように見える鬼なので、実力に疑い、訝しみ―――のようなものを出す奴はいるかもしれないが。
「人間の言語を発している………文化を持つ生物だ」
単なる動物ではない、という意見で俺とリンカイの心境は一致していた。
しかし、一致していたのはその点だけだったようだ。
「人間である―――の、だろう」
リンカイは呟きながら再び、それに向き直る。
両手を、ゆっくり横に広げる。
手の甲の辺りに、紫陽花色のような液が、擦りついていた。
気になったが、さっきのがけで擦りむいたという、血だろう。
魔力が少ない、この人間界であるためか、青色が濃くなって見える。
両手に武器を持っていないということをアピールし、話かける。
もちろん魔界の言語だ。
「あぁ―――俺、ワタシたちは人間界を魔界から調査しに来たものだ。君達に危害を―――加えるつもりはなく、
『直ちに退去せよ―――』
だ、そうだ。
変わらない、一字一句、変わらない、言語。
なんだか、むしろ馬鹿らしく感じた。
文化を持つものと推測したが、さっぱりわからない。
鳥に似ている、と遠目には感じた、白い体表面のそれ。
赤い光で発光している目。
それは甲高い鳴き声を、発している、それ。
『直ちに退去せよ―――この領土から立ち去り―――』
「
「俺は人間の言葉を習ってきたつもりだったがね」
あの講義は本当に意味が解らなかったが、我慢して座っていた。
「ああ、大昔の情報だ、勉強の甲斐がないぜ―――」
リンカイは体をやや半身に傾ける。
そして、手を下げる。
じゃり、ぱき、ぱき。
足元の砂浜が鳴る。
「だが、まったくわからないわけじゃあない――――こんにちは、はじめまして、じゃあないってことは、わかるぜ」
それは、まあ---。
「―――同感だな」
『―――退去の意思はないものと判断し、これより攻撃を開始する』
『それ』は片腕を上げた。
正確で精巧な円形の目が、黄色と赤の点滅から、赤に変わった。
俺は白い鳥の持つ腕―――らしき『なにか』がこちらに向けられていることで、状況が変わったことを察して、一歩後ずさる。
―――と、同時に『武装』を取り出す。
任務に支障が出る可能性がある場合、少数の人間を排除することは上からも認められている。
リンカイは既に発砲を開始していた。
まだ攻撃されていないのに気が早い―――とは、思わなかった。
先手を取る。
一般的な軍鬼が支給される、小口径の魔道砲だ。
高濃度魔石の力で弾丸を打ち出して攻撃する。
二発、三発、連発するたびに魔石使用の独特の衝突光が、漏れる。
―――ミヴッ
………音なのだろうか、妙な音が響いた。
『それ』の腕が―――黄緑色に光った。
ように見えたが。
俺は砲を撃ちながら、砂浜を小走りにかける。
攻撃は、白い鳥の足元に何発か着弾した。
腕や足を、吹き飛ばす算段だったが―――走りながらなので、否、走ることを優先しているので、確認はできなかった。
考えなしではない。
岩場地帯から降りてきた俺たちだ。
地形なら、ちゃんと見ていた。
砂浜に混じり、俺たち鬼族をちょうど隠せそうな
「―――シッ!」
俺は砂を巻き上げ、尻を砂で擦らせ、そこに滑り込む。
よし。
遮蔽物は確保した。
日陰が自分に被さっていない。
もう少し時間を稼げるか………。
ぎっちゃ、ぎっちゃ、ガシッ。
音が聞こえた。
奴が動いているようだ。
顔を半分だけ、遮蔽物から出して先程の場所を見る。
砂煙の中、見えた風景では、リンカイと白い鳥が、向き合っていた。
………オイ、リンカイ。
まだ交渉を試みるつもりか?
流石に向かい合っていたら危ないぜ。
と、言いそうになったところで、隊長から通信だ。
心の臓がびくりと跳ね上がる。
『コハク、リンカイ―――今二人がそちらに向かった。バスタムとケイカンだ。そちらの正確な場所は砂浜か、岩盤地帯か伝えろ』
遮蔽物の中にいるので、ここはリンカイではなく俺が言うべきだろう、通信具に触れる。
『砂浜です。森から出れば、すぐに―――見晴らしがいいので見えるでしょう―――今』
リンカイが見えた。
さっきの場所に、伏せている。
隠れているつもりなのだろうか?
砂を、手でひっかいている。
非常に緩慢な動作だ―――。
『………リンカイ?』
俺は奴の意図がわからず、様子を見ることにする。
流石に
リンカイは肘も手もしっかりと地面につけて、動いていたが、頭は上げていない。
ふと、奴が動いているのではなく、震えているだけだということに気付いた。
それも自己の考えで、震えているわけではなかった。
ある瞬間、奴が転がるように体を上げる。
リンカイの腹か、腰のあたりから、紫陽花色の体液が染み出ていた。
俺は奴の名前を叫んだ。
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