第三十六話 犬 三


鬼たちが、『大いなる英知』の部屋から立ち去り、少年たちのいる場所をあとにした、すぐ後のことであった。



白い部屋の中、少年は歩く。

地下の廊下を。

文明の跡を。

ここまではフィルターの影響でかなり汚染が抑えられている。

少年のように、マスクをつけて遊びに出ることは地下区画に住んでいる不良少年がよくやることだった。

否。

少年は、人間が地上を歩くことに、別段悪を感じなかった。

じいと婆にあたる、老夫婦はそんな少年をたしなめた。

地上は危険なところだ、危ないところにはいくんじゃあない。

曇り空と、崩れた町。

それが地上。

少年が生まれたのは、地下が清浄で人間が住むべき場所。

地上は不良少年しかいかないような、治安が悪く何もない場所。

少年はそんな教育の中で、周囲の中で生まれ育った。



立ち止まった少年。

廊下で、とあるものをひろう。 

この辺りはもう慣れたものだったが、だからこそ見慣れないものは気になる。

鞄、というよりも小物入れのようなサイズだった。

旧世代の遺物、というよりは最近見つかった落とし物という印象である。

紋章が描かれている―――『角』が描かれ、二本、交差したシルエットだった。


「………?」


顔に近付ける。

やはり床に比べて、埃があまりついていない。

ふと、ためしに、マスクに近づけてみた。

芳しい草の匂い。

うっすらと。

マスクをつけている限り、嗅覚はかなり制限されるが、それでもこの地下のコンクリート駐車場のような匂いのなかで、際立った匂いであることは確かだった。

嗅いだことがない、とも感じだた。


地下で育てている新型の人工ハーブだろうか。

そう思い、マスクをつけた白衣の少年は、懐にそれを入れる

走り出す。

駆けだす。

壁には青い、はがれかけた塗料で、『4』と書かれている。



地下区画は広大で、この日本に大都市レベルの地下都市は六カ所存在する。

食料生産区画では、青白い人工光の恵みを受けて育った植物など、食料は豊富に作られている。

地上の光を取り入れるという試みもあったが、太古の昔に比べ、日照時間が大幅に減ったため、見送られている。


『4』と書かれた壁を通り過ぎる少年。

示すのは単に階数―――地下四階のことである。


『4』と壁に書いてあるとき、それを地上の四階のことだと考える、連想する者は少ない。地上に住んでいた時代を知らない世代も多い―――彼もその一人であった。

人類は人間界の地下で、科学の力をよりどころとして、強く生きる民。

今は。


扉をいくつか開け、住居区画とは違う区画に移動する。

大きな部屋だった。


頑丈な防護服と、マスクをつけた大人たちが、何人か、振り返った。


「―――はやめに到着し準備をしろ、どこへ行っていたんだ」


大人は言う。

マスクなので顔はわからないが、日本語であるという点は、戦前と同じであった。


「………ごめんなさい」


「新しい防護服が届いている。ガキだからって、向こうにとっては関係のないことだ。気を引き締めていけ」


「………」


少年は黙って防護服を受け取り、それに着替える。

子ども扱いは、してもらえないのだろう。

これからは―――。

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