序章 三 境界性通路を渡って


「公式での発表は千年ぶりだそうだが、裏で魔界とやり取りしていた人間はいたそうだぜ―――そういう人間は『魔術師』って呼ばれてよ」


 計画で聞かされていたより長く感じるその路程ろていの中、バスタムが言う。

 バスタムは紫色の肌をしている。

 奴は噂好き、お喋り好きでよく話す間柄だ。

 このくそ長い道のりに飽き飽きして、ついに喋り出した。

 俺もこのトンネルの、妙なにおいは好きではない。

 目的地がまだなら、風景を楽しみたいところだが、光の屈折が異様過ぎて落ち着かない。

 目が眩む―――景色を楽しむ余裕もない。


「だから実質、七百年ぶりくらいなんじゃないかって話だよ―――まあ界門かいもんの無断稼働は閻魔様えんまさまも怒る、れっきとした重罪だから、その影響で―――」


「バスタム!そろそろ目的地に到着する。無駄口を叩くな」


 キンセイ隊長が言った。

 しかし到着までが長いと感じていた奴らは多いようで、皆が口々に騒いだ。

 未知の人間界に警戒する一方、胸を躍らしている連中である。


「『近い』ぜ―――、境界性通路の色が紫から青に変わってきた。もうすぐ出るぞ」


「出たら新世界?」


「見たことがないことは確かだが―――」


 鬼族にとって、初めてではない。

 無関係ではない―――今回の急務を受けて、魔界で人間界学の知識を最低限学んできた。


「水ばっかりなんだろう、そこは」


「到着地点は陸地だぜ。ちゃんと。安心しろ、それと、いきなり人間の目の前なんてことはないはずだ」





 ++++++++++++++++++++++++++++++





「鬼ヶ島よ、鬼ヶ島っ」


 シトリンが甲高いこえで、はやしし立てる。

 黄色い肌の色をした女鬼だ。


 とある島に到着するらしい。

 予定通りにこの通路がつないであればだが、ね。

 それは人間界の中でも、魔の領域に近い『魔渦マギの島』にあたるそうだ。 

 人間界の地理的魔力量にはムラがある。

 中には、魔界にかなり近い性格を持つ地域もあるらしい。

 そういう地域を選んで、魔界と人間界はつながれる。

 太古の昔には、そうしていた。


 千年前、俺たちのご先祖様も上陸した場所だそうだ。

 同期の軍鬼の中でも目立つ顔立ちのこの女は、ちょっとした旅行気分か。

 目的地近くだというのに、こういう時にずっと笑顔だと苛立ちを覚えないでもない。

 自分より楽しそうに生きる鬼は嫌いとは言わないまでも、困る。


「まあ、人間には会えるでしょう」


 赤い女鬼、ケイカンが口を開く。

 心なしか、目に光がある。

 彼女はご先祖様のかたきを取りたいと言っていたし、いずれそういう事態になる―――戦うことは、俺も覚悟している。



 この隊列のほとんどの面子は、日々の訓練が終了し、心なしか顔色にその安堵が出ているようだ。

 人間界は未知だというのに。

 人間は極端につらい状況を地獄にたとえることがあるらしいが、とんでもない。

 単なる生活の場だ、俺たちにとっては。



「人間と会ってからだな、せめて彼らがどんな生態なのかを知ってから、死にたいものだ」


 緑色の表情、リョクチュウは半月形の眼晶装がんしょうそうの奥に覗く目を細めている。

 魔力の加減で視界を操作できる魔導鏡だ。

 奴はあまり健康的でない印象だったが、それでも訓練よりは楽しいと見える。


「楽しくなどないさ。非常に興味深いだけだ」


 不愛想に視線を外し、答えるリョクチュウ。

 ………それ、つまり楽しいんじゃねえか。


 機嫌がいいのか悪いのか、わからない奴もいる。

 シャコツコウだ。

 漆黒の体躯が、軍鬼服の端々から覗いていて、迫力を増す。

 なんといったか―――遠い村から招集を受けて来た男鬼で、あまり他鬼と関わろうとしない。

 こいつは身体は頑丈らしいが表情筋の硬直が気に食わん。

 なんだか妙な棒切れか、杖かを抱え込んでいるし。

 何を考えているかわからない不気味さがある。



 通路は渡れるが、心配なのは境界酔いだ。

 魔界でも人間界でもない異空間に、我々が通れるだけの魔力を流した、空間。

 界舷かいげん調整班の力がなければ、この魔界でも人間界でもない空間で、我々は生命維持もおぼつかない。

 不安定であることは間違いないだろう。


「桃太郎に、会えるかもね」


 シトリンが、ふと、小さく言った。

 俺は黙り、言葉を返そうとしたころには、隊長がまた、はっきりとした声で言った。


「諸君、あと十間じゅっけんほど進めば、通路の出口である」


 隊長に任命されたばかりの青鬼、キンセイが、仰々ぎょうぎょうしく言う。

 俺たちの前方には、水色の界門が揺れて、波打っている。

 水色。

 それは人間界の、海の色だそうだ。




「バスタム、今回の目的は!」


 青い肌をした隊長――――キンセイが、隊員全員に聞こえる、響く声で言う。


「はぁ?」


 呼ばれた紫色の鬼。

 一瞬、困った表情をする。


「口のき方ァ!今回の目的!」


 言われてバスタムは顎を少し上げて、一瞬だけ目を閉じる。

 その首で、のどぼとけが少し動いた。

 彼らには人間の血液とは違うものが流れている。

 人間は血の色が濃いが肌の色は俺たちよりも淡いらしい。


「―――人間界へ、千年ぶりに侵攻し、現地の風土を調査、我々の住み着くにふさわしい土地を見つけ、報告する―――です」


 ――――彼は訓練中のように、やや目線を上にあげ、言う。


「ふん、聞こえているのなら素早く言え」


 界門の出口が、近かった。

 水面のように揺らめく、壁。

 光が乱反射している。


 壁の中に身体をうずめる。

 未知の世界、異世界へ向かって進んでいく―――。

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