第一話 鬼ヶ島は

 世界と世界を隔てる界門。

 それを、俺たちの小隊は無事に通ることができた。

 千年ぶりに、我ら岩健がんけんたる鬼族は『世界観』の移動に成功した。

 しかし、これは門と言えるのだろうか―――怪しいところである。

 なかなか得難い経験だった。


 水面を抜けるような感触とともに、人間界に上がった。

 そう、上がった。

 大気の質が急激に変わるさまは水から大気に上がったときのものに近い。

 門のかけらが、一部が、身体にまとわりついていないか心配になる。

 つい、手で払って確認してしまった。


 かくして、部隊の一行は無事に人間界に到着した。

 ―――と言っても、場所に目が慣れるまでは時間がかかった。

 隊長が魔導灯の明かりを持っていたが、その一帯は暗かった。

 黒い岩石の床。

 そこはかび臭い岩場の闇であった。

 無骨な床である。

 天井が黒く、青く、白く、茶色く、さまざまな種の鉱物が入り混じり、その岩肌がむき出しになっている。


「谷ですか?ここは」


「いや、洞窟だ」


洞窟どうくつ――――」

 広い―――ずいぶんと天井が高かった。

 魔導灯のひかりが吸い込まれそうな闇だ。


 人間界に住む人間の立場から見ても、立派な洞窟だと、俺は知るよしもなかったが―――だが、虚しさ、空虚さを第一印象として感じたのも、また確かだった。

 無味乾燥。

 せっかく違う世界に来たのだから、何か―――もっと劇的な光景を想像していたのは間違いない。

 にぎやかさを、感じたい―――うるさい、という感じでもいい。

 洞窟と言っても、地面以外は闇。

 界門の放つ独特な光に照らされても、多くは闇であった。

 一つの集落か村か、その住民がまるまる入る。

 大量の鬼が避難できそうだなと、思った。


「島の洞くつだ―――ここをねぐらにする予定だが、まずは島を実際に眺められる位置に行きたい」


「全員―――揃っているな?島を歩くぞ」


 俺をはじめ、一同は少しざわつく。


 それからすぐ、界門の縮小に巻き込まれないために離れるという名目で、俺たちは、

 島を歩いた。

 色々と面倒な門だ―――という者はいない。

 門のことよりも、ここから離れて異世界の景色を見たいという想いが、各々の心の中にあったのだ。


 出口はそう遠くなかった―――一鬼が、外の明かりを見つけると早かった。

 洞窟の出口が、見えてきた。

 自然と早足になった。







 ++++++++++++++++++++++++++++++





 ざり、と砂浜を踏む。

 踏みつける―――八鬼。




 森を過ぎたあたりから、いやそれ以前からも潮風が強かった。

 砂浜まで降りれば吹きさらした。

 そこだけ切り取って見れば荒野のようでもある。

 遮蔽物がなくなると、俺は朱色の肌を叩かれるのみとなった。

 もはや着慣れた軍鬼服がばたばたと、鳴る。

 ケイカンの長い髪が、彼女のつのにかかっていでいるのが見えた。

 彼女は髪をかき上げている。


 見れば白い砂浜と、細く長い木々に、控えめな緑の葉。

 黒々とした、しかしほんのりと輝く海。

 それ以外は砂地、と言った風でなにもなかった。


 空は曇り空であり、晴れ舞台にはふさわしくない。

 魔界の方がまだ明るいぞ、とぼやく。


 いや、鬼が上陸した鬼ヶ島だ。

 暗雲立ち込める荘厳さ―――それこそふさわしいだろうと考えを改める。

 海水が砂をひっかき、攫って海の中へ引いていく。

 遠く岩場の方に目を向ければ、黒い岩が海の中からいくつか頭を出している。

 岩にぶつかった波が白く弾ける。


「島自体は立派なものだ―――」


 人間界の自然。

 大気の匂いも違う。

 魔界の瘴気ではないのは、若干息苦しいが、得難い興奮だ。

 純粋に、新鮮な気分になる。


「洞窟はねぐらとして魔界と連絡を取る拠点にできる。これもご先祖サマの示した道か」


「む―――」


「ここは日本の小さな島であるはずだ。立派とは言ったが―――小さな島で―――そう広くないと事前の情報にはある。探索して人間がいないようであったら、報告内容を集めていく」



 事前情報―――と言っても、それは無いに等しいだろうということは、皆わかっていた。

 千年前の情報だけしかないわけではないが、人間との関係が根強い、いくつかの魔界部族から情報をかき集めたとして。

 実際に行ってみるまでは分からない―――。

 人間は自らの文明が発達し、魔界との縁を完全に切って、久しいらしい。

 魔物の存在を信じていない連中になり下がったのだろう。

 それは『科学』と呼ばれる不思議なチカラらしい。


 とは言っても、千年前とそう変わったのだろうか。

 この時点ではわからない。

 この砂浜にいる限りにおいては、平和そのものに見える。

 拍子抜けの感―――といってはなんだが、出発前の緊張に比べるとずいぶんマシだ。

 むしろ穏やかさを感じた。


 降り立った土地は、島々だったと、一行は感じた。

 島ではなく、島々だ。


「この島だけじゃあ―――ないみたいですね」


 リョクチュウが言う。

 周りを見渡す。

 海を挟んで、遠くに島があり、岩肌や、緑が見える。

 それも小さな島だ―――大して大きくもない、測ってはいない目測だが、半日もあれば探索を終えることができる面積だろう。


 白い砂浜をあとにして、洞窟の方を振り返ってみる。

 木々は多く、良くも悪くも人間界の自然という風情だった。

 魔界の教本で見た絵巻の模写コピーとそう変わらない。


 集落は見えたが、組まれた石垣が目立つ。

 家々が見える。

 島であるという点でも仕方ないが、坂が多く、段を組まれた足場は間違いなく人間が作ったものだ。

 松の木は、鬼たちにもなぜか懐かしく映る。

 あれは昔からあったのだろうか。

 千年前から?



「隊長―――砂が痒い―――隊長?」


 リンカイが水際に近付き、バタつく。

 じゃり、じゃり。

 ぱき、ぱき。

 地質から音が鳴る。

 キンセイ隊長は―――彼は集落の方を見ている。

 この砂浜からは離れているが、建造物らしきものの屋根が、木々の合間に見える。

 そうか、人間に関して注意を払っているのか、と察する。


 リンカイの奴は、砂浜を検分しているようだ。

 黄色い肌は青い海とのコントラストでいつもよりえるが、やかましいので相手をするのが面倒だ。


「安心してください、たとえ人間がやってこようが、最新式の魔道兵器で―――」


「人間との交戦は最終手段だ」


 実際、歴史を感じる一世代前の銃器しかなかった。

 あくまで斥候せっこう、調査が目的なのが俺たちである。

 砂浜から坂へ移る。

 八人は―――否、八鬼は、周囲への注意を怠らずに、坂を登っていく。


「物音はないみたいだねっ」


 注意を怠らずに周囲を観察するものもいれば、ただ珍しい風景に挙動不審になっている者もいる。

 物音か―――、風と海しかいない。

 ものといえるのか。


「人間はいないのかな?」


 好奇心を隠さないバスタム。

 まあ、俺も気になってはいるが。

 ふと気づいてみれば―――。


 リョクチュウはまた、海の向こうを見る。

 確かにいくつか、ちゃんと茂った島があったようだ。

 俺はまずこの島のことが気になるがね。


「リンカイ、今回の目的は何だ」


「え、ええと―――」


「通路で、バスタムが言ったよな」


 そんなこと知っている、とばかりに、不機嫌になるリンカイ。



 表情にしわを増やす。

 なんだか、ひどく馬鹿にされているのは気に食わない。

 実際馬鹿ですよ、馬鹿みたいにきつい訓練を受けてたことも、そうなった原因の一端だろうに。

 下級魔獣じゃあねえんだから。

 人間界のことなんて、実際、何の情報もないというのに。


「―――人間界へ、千年ぶりに侵攻し、現地の風土を調査、我々の住み着くにふさわしい土地を見つけ、報告する―――です」


「その通りだ」


 人間と遭遇することは目的ではない、と隊長は言った。




 ++++++++++++++++++++++++++++++








 一日目はすぐに終わった。

 洞窟に集合。


 人間は見つからないが、風土のデータを送って転送した。


 調査を目的とした部隊ということもあり、

 報告内容は一日目―――何もなかった。

 言いはしないが体調不良の気もある。

 魔界で教わった知識だが、世界酔いだそうだ。

 今まで来たことのない世界に来たことで体調を崩すものもいる―――まあ魔力分の補給が可能な食料も食べることができる。

 向こうで大人しく飢えていくよりマシだ―――というのが、隊員の多くの意見だった。

 この部隊に、舞台にいれば、配給は豪華だ。




 キンセイは、洞窟で今日最後の作業をしていた。

 こればかりは他の者に任せられない。

 小型の界門を通して、魔界に報告書として、調査内容を送った。

 あの砂浜で採取した砂。

 地形、風土、データ。

 人間と出会えなかったにも関わらず。


 遭遇した人間は一人もいない、という旨のことも書いた。

 キンセイは思う。


「初日から遭遇できるようなものでもあるまい―――」




 ++++++++++++++++++++++++++++++





「元々、全員が洞窟から出る必要性はどこにもない、少人数で行けばいい」

 翌朝は、俺とリンカイが二人で、島の調査にあたった。

 調査というよりも、その前の段階、下見。


「なーんで俺とお前なんだよ、シトリンと二人っきりがよかったなー」


 リンカイがぼやきながら森の中を歩く。

 派手な黄色の肌は人間界調査用の軍服に包まれて、細部までは見えない。

 俺はその後についていく。


 しかし―――。

 へえ、お前シトリン派かよ。

 俺はケイカンなんだが。


「そう言うなよ、洞窟内で設営が忙しいんだとよ、聞いただろ?魔界へのアレ―――なんだっけ、ホラぁ」


「報告書?」


「そう、その報告書を―――送るための小型の界門だよ。俺たちじゃなく、移動じゃなく、物資を送り届ける用の界門はいてるんだ」


「あァ、まぁ―――そうだな」


 ほとんど聞いていない風なリンカイ。

 任務に真面目ではなさそうだ。

 元々、こういう雑な性格の鬼ではある。



 しかし―――無理もない、ここは目移りするものが多すぎる。

 植物に気を取られ過ぎだってぇの。

 確かに風景が魔界とまるで違う。

 魔界にも、過去には人間界の動植物が、何かのはずみで迷い込んでしまったと聞くので、まったく共通点がないわけではないが。



「人間は、いると思うか?」


 俺は黄色い肌の鬼に問いかけた。


「んん………………、今日は砂浜と岩盤地帯だろう?海沿いの崖の辺りまで、そこにはいないのでは」


 家でもあれば別だがな。


「そうじゃあなくてだな―――全体で、島全体でいるかどうか」


「賭けるかい?」


 お前の意見が聞きたいだけなのだが。


「そりゃ、集落があるんだからいるだろう、屋根が見えたぜ」


 確かに、屋根はあり、つまり家屋はあった。

 村、集落が島に存在する。

 しかし俺が遠目に見た時点で、という印象だが………。


「ありゃあ、古かったと思う」


「千年経ってるからな」


 しかし千年の間にずっと建っているわけでもないだろう。


「建造物なら建て替えぐらいはするはずだけどな―――まあいい、人間と直接接触する任務が来るまで我慢だ」


「かぁー、土拾いだけかよ」


「いずれは日本大陸に行く連中も出てくるぜ、その連中が俺たちの部隊じゃあないかもしれないが」


「そうだけど、よ………日本ニホンって大陸なのか?」


 さぁな。

 今回の任務が決まってから、人間学の何とかという教官に教わった話では―――。


「島国―――、島らしい、それでリンカイ、準備はできたか?」


 俺は訊ねる。

 木々の影を抜けて、そろそろ森を出る頃合いだ。


「ん?何の準備だ」


「任務のだよ」


「今やってるだろ」


 視線は森の木々、その隙間をキョロキョロと動いている。


「………真面目にか?」


「真面目にってぇワケじゃあねえけど―――珍しい植物がないか、探してるんだ」


「………まあ」


 全部が、珍しい。

 自然が残っている島で、植物の類に関しては生え放題、と言った風だ。

 人間によって耕された畑は見当たらない。

 だが、何かが―――足りない気もする。


「魔界に送るのに手ごろなものだよ、隊長喜びそうなもん、無いかなぁ」


「………リンカイ、任務はきっちり、だな」


「ああ」


「―――人間に、出会ったら?」


「報告書の内容が増える」


「彼らが暴れて、仲間を呼んだら」


「その時は―――無力化する。厄介なら排除する。まさかだけど、『一匹』じゃあないよな」


「………ん」


「問題ねえよ」


 俺はなんとなく、かける言葉が思いつかなくなる。

 そして俺も木々の美しさに、はかなさに見とれた。

 がたがたと、折れている松の木のトンネルを、間もなく抜ける。

 昨日と同じ、東側の砂浜に出た。

 天気が良い―――心なしか、空が広く見えた。


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