第九話 人里に降りた鬼たちは 四

「ここが人間の建造物だったとして、それなら宿主やどぬしが立ち去った理由は何なんだよ」


 何なんだよ---と。

 紫鬼バスタムの疑問も、もっともだった。

 これから俺たち鬼がどうするか、その方針にも関係する。


「決しておかしな話じゃあないだろ―――小さな島だから、あァ、もっと大きな島に行ったとか………さ………?」


 俺は言いながら、自信がなくなってきた。


何故なぜ


 突っ込まれると情けない気分になる。

 この意見はケイカンの意見よりも低レベルだ。

 言ってしまえば、しょぼい………。

 そういう自覚はある。


「だからぁ、おかしくないって………鬼恋しくなって………いや、人恋しくなって、か。移動したんだろうよ、理由はまだわからないけど、いないんだから」


「ふむ」


 人間界の全容、その広さは鬼たちも知るところである。

 日本列島全体ですら、人間界の中―――専門的な、正確な用語では地球だが―――その中ではごくごく、わずかな一部分でしかない。

 教本や、他部族との交流で得た知識である。

 正確には、鬼の種族だけでも地域によって文化や身体的特徴は異なる。


「人間も俺たちと変わらないんだねぇ。意外、意外………」


 バスタムは意外と肯定的なようだ。

 だがこの能天気な紫鬼に肯定されると、素直に喜んでいいという気分になれない。

 まだ何かある、と感じてしまう。

 ただ引っ越しただけ、可能性はあるとしても、そんな簡単なことなのだろうか。


「待て、平和的に考えすぎてはいないだろうか」


「臆病者め、今度は何だ」


「………人間は俺たちを攻める準備をしている」


「どうして攻めてこない」


「だから、今は準備で、油断させているのだろう、俺たちを」


「さっさと攻めて来いよ、だから!」


「なに苛々いらいらしてるのよ―――人間は敵よ。いつだって」


 いつだって。

 千年前に、鬼と人間は相容れなかった。

 そして今回も。

 今更恐れることはないはずだ。


「奴らは狡猾こうかつだ」


「ここは攻めてきてもよい場面だろう、人間の立場からすれば。何しろ俺たちは少数だ。魔界から諸勢しょぜい引き連れて―――というわけでもあるまいし、人間が徒党を組めばひとたまりもない、この事実は認めるしかない」


「ええっ、攻めてくるのか?軍隊の規模は―――」


「たとえ話だろ、臆病風に吹かれやがって………」


「そう、怖がる必要はない。装備はあるし、俺たちには界門がある。いざとなれば撤退することはできる」


「―――ていうか、攻められるだの攻めないだの―――言っているけど、もうリンカイがやられてんだよ!」


 俺は我慢できずに叫んだ。


「人間は俺たちを狙っている………が、砂浜で会ったのが最後の一匹だったのか………?」


 リョクチュウが、ぽつりと言う。


「あの………」


 シトリンが呟いた。


「『あれ』は―――本当に人間だったのでしょうか?」


 砂浜で出会った敵についての疑問。

 この部屋の鬼たち、多くが怪訝な表情をした。

 もっとあからさまに、端的に、迷惑そうな表情と言ってもいい。


「人間じゃなかったらなんなんだよ」


 バスタムが言う。

 皆表情を変えない。

 というより、忌々いまいましそう、不機嫌そうだ。

 苦々しい空気。



 しかし俺ははっとさせられた。

 助かったと言ってもいい。

 言いたいことを言ってくれたのだ。


 しかし皆は心中が複雑なのか。

 リンカイがやられた。その上、犯人がわからない、正体がわからないとなっては、たまったものではない。

 どういう心境になればいいのかわからない。

 単に混乱の中だ。


「そう、です―――あれは、あれは攻撃をしてきましたが、人間ではない」


「人間界を攻めるための訓練をしてきたんだろ、俺たちは―――今までの訓練は何だったんだよ」


 バスタムは言う。

 事実、俺たちの部隊はそれを想定していた。

 対人間。


「バスタム。調査が目的だ」


 隊長が言い―――紫色の鬼は、そうですね、と無表情で頷く。

 キンセイ隊長は、まず遭遇した人間とおぼしき何かについて、考え直すことに決めたようだ。


は――人間の言葉を話した、のではなかったかコハク―――お前とリンカイが言っていることだろう、私の記憶違いでなければ」


 隊長から睨まれる。


「そうです………」


「お前から聞いた通信、巫山戯ふざけているようには聞こえなかったが?」


「ふざけてはいません―――が」


 言いよどむ。

 さあて、この感情は何だろう。

 知らないもの、よくわからないものについて説明しろというものだ。


「人間の、ことを―――知らない私の無知によるところです。てっきり人間だと信じてしまったのです。さらに言えば、私は『アレ』を人間だと言っていません。リンカイがそう報告しただけであり―――」


「いやいや、人間界なんだから人間だろ」


「そうとは限らない………そうだ、人間界だからと言って、『人間だけ』だということはない」


「そ、そりゃあそうですが」


「人間の他にあんなのがいるってんなら、どうして」


 キンセイ隊長は長い間沈黙した後、口を開く。


「………村に人間が一人もいないということを確認した、今では」


 目を細めるが、蝋燭のうっすらとした灯りだけでは表情がつかみきれない。


「確認した今では、考えを改める必要もある………か。だがコハク、リンカイをやった白い敵は、何なのか見当はついているのか?」


 最初に遭遇した自分。

 いわば第一発見者の証言が重要だと感じてはいるものの、コハクは答えは出ない。

 人間学の教授から、人間の特徴について講義は受けたものの、やはり千年前の情報。

 結局のところ何も知りはしない自分。


「………あの白い鳥は、人間には関係する存在だとは、感じました。ですが―――ああ」


 うっかり白い鳥と言ってしまったことを、後悔しそうになるが。


「トリ?」


 隊長が不機嫌そうに呟く。

 むう、失言を拾われた。


「いや………鳥みたいだな、と思ったので、最初に見たとき」


 場がしーんと静まり返っている。


「あ、いや―――動き方が。歩き方が、です」


 慌てて付け足す。

 そういえば隊長は白い鳥が動いているところを見たことがないのだ。

 砂浜で、ヤツのあの歩き方を見ていない。

 バラバラにされたものを検分しただけであり、そこは当然の感想だった。


きじじゃないの?桃太郎の家来けらいの」


 シトリンが特に考えもなさそうに、言う。


家来けらい!」


 バスタムは嬉しそうな顔をする。

 吊りあがった頬の陰に、牙が覗く。


「ケライ………ケライか、そうかケライかぁ、そうきたか」


 バスタムが笑っている。

 馬鹿にしているのか―――しかしそれでも仕方ないと思えた。

 結局、リンカイをやったのが、攻撃したあれが―――何なのか、わかっていないのだから。

 ここにいる全員が明確な答えを出せていない。

 わかっているのは敵だという事だけだ。

 それでも、俺は非常に真実に近いという印象を、捨てなかった。

 単なる勘ではあるが。


「人間の―――人間と関係する何かだと判断します、役割としては家来に近いでしょう」


 俺の解答に、理由は定かではないが、笑みが表れた隊長。


「まあ―――なんにせよ、人間がいないのならば任務に支障がなくなる―――そう思っていい。任務の期間も短くなるかもしれない」


「もともと滞在はそんなに長くないのでしょう」


「ああ、俺たちの部隊は言ってしまえば下調べだ。『本当の上陸』の前のな」


 そう、鬼が住みつけるかどうか、これからの問題は未確定なままである。

 しばらく滞在すれば、何かつかめるだろうか?

 バスタムはまだ笑みを絶やさない。


「だから手を抜け、という意味ではないぞバスタム」


「わかってますよ」



 そのあとは、人間がいないのはどういう訳か―――、という理由について、推測を立てるには立てた。

 理由、屁理屈、いくらでも考えようはある。

 人間の考えなど、あずかり知らぬが。


「まだ気を緩めるな。敵地だぞ」


 隊長はそれだけを言って、その話を切り上げた。

 皆、煮え切らない表情でそれぞれがそれぞれ、視線を切った。

 リョクチュウは、すぐにまた壁と喋っていた。

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